2019

夜ふかしが続いたせいで頭がぼんやりしていた。かすかに漂ってくる朝食の匂いに釣られて目が覚めたけれど、身体は布団から出ることを完全に拒否していた。うぅと呻いてみたり、寝返りを打ってみたり、わざと目をぱっちり開けてみたりと無駄な抵抗を試みるも敢え無く撃沈して、空腹を訴えるお腹をさすった。

「主、朝食みんなと食べるかい?」

ひもじい、と嘆いていると襖の向こうから光忠の声が聞こえてくる。

「みんなと食べたいけど、起きれないし化粧もしてないから先食べてて」

「入ってもいいかな」

「だめ」

「だめと言われても引かないよ」

「光忠めずらしく強引だね」

力なく笑うと襖が開き光忠が姿をあらわす。いつもと変わりない360度どこから見ても隙のない出で立ちの彼を前に、髪もぼさぼさ、くまは黒々、すっぴんの顔はぱんぱんという無残な私は彼の眩しさに目眩がしそうだった。まーぶしー、と目を瞑ったまま言うと、側まで来た光忠が私の額に自分の額をくっつける。
「熱があるってわけじゃあなさそうだね」と心配そうにしている光忠に「夜ふかししすぎただけ。あと至近距離はやめて」と彼の左目を手で塞ぐ。

「身だしなみは整えたほうがいいけど、僕はきみが化粧をしていなくたって特に気にしないよ」

「私は気にするの」

眉毛が三分の二しかないこととか、かさかさで血色の悪い唇とか、目が気持ち小さいこととか。
光忠は目を塞いでいる私の手をとって退けると「今更じゃない、そんなの」と首を傾けた。

「だって、きみの素顔なんかよりもっと凄い物見ちゃってるし」

ね?と唇を持ち上げる光忠に私は一気に目が覚める。
先日の宴会で悪酔いした私は、酒飲みの槍と大太刀に囃し立てられるがまま華麗なる脱ぎっぷりを披露してしまったのだ。いつまで馬鹿騒ぎをしているんだとこめかみに青筋を立てて部屋に入ってきた長谷部の両目を、その背後についてきた光忠(翌日の朝食の仕込みのためにまだ起きていて、台所の前を通った長谷部の剣幕を心配に思ってやってきたらしい)が目にも止まらぬ速さで塞いだからよかったものの「もしきみの格好を長谷部くんが見ていたら、きっと彼折れていたと思うよ」と光忠に言われるような痴態(辛うじて下着は着たままだった)を晒していた私はそれ以来万全な体制でしか光忠と顔を合わせづらくなっていたのだ。長谷部にも酒は控えるようにと懇懇とお説教をされ、ここのところ私は口寂しい夜を送ることとなっている。

「やだやだやだ!その話はもう思い出したくないから忘れて!」

「お酒は美味しいけどね。酒の席の失敗は何度も見ている身からすると、もういっそ断酒した方がきみのためだと思うよ。だって本丸だったからいいものの、これが外だったらどうするんだい?」

「さすがに外で飲むときはもうちょっと考えて飲むよ」

「どうだか」

「えっなにその目」

爽やかな光忠に似つかわしくないじっとりとした目を向けられて私は目の下まで布団を引き上げた。審神者同士の飲み会でへべれけになって担がれ帰った私が異常ににこやかな笑みを浮かべた光忠に迎え入れられたことは、かれこれ覚えているだけでも3度ほどある。

「きみのあんな姿を軽々しく他の男士に見せてほしくないな、って僕は思っているんだけど」

「……はい」

「お酒が飲みたいのなら近侍の僕とふたりだけの時に飲むといい。なんなら肴も作ってあげるよ」

「お酒と光忠の肴は魅力的だけど、なんだろう、この背筋がぞぞっとする感じ」

「人聞きの悪いことを言わないでほしいな」

やれやれと光忠は肩を竦めると、私を布団から引きずり出し、寝乱れた私の髪を手櫛で整えたかと思えば。、どこからか取り出した櫛できちんと梳かしてくれるので私は大人しくされるがままになっている。
光忠は優しくて、私はいつも彼に甘えてしまう。全てを肯定してくれる長谷部とは違って光忠は時々私の心の薄皮を剥ぐような言葉を口にするけれど、それがかえって彼の優しさを際立たせている。
私のお腹がぐぅと鳴ったのに苦笑して「顔を洗いに行こう。ほら、立って」と光忠は言う。

「もうちょっとだけ寝ちゃダメ?」

光忠の胸元を掴む。見上げると目が合って、キスがしたいなぁと思ったけれどそういえば私はスッピンだったんだと我に返って慌てて彼の胸に顔を埋めた。可愛さ(というものが元から私にあればの話だけど)が半減している顔を隠して動かなくなった私に光忠の腕が回される。

「そういうこと、僕にしか言っちゃいけないって知ってる?質問は受け付けないよ。だってそんな、誘うみたいな台詞、だめに決まっているじゃないか」

「じゃあ光忠が一緒の時しか私は寝坊できないってこと?」

「きみは寝坊がしたいの?」

それはつまり、僕と夜ふかししたいってこと?
顎に手をかけられ上を向かされる。降ってきた低い声に私は身体の内側がチョコレートみたいに溶けてゆくのを感じた。
唇が重なって、離れる。
「リップクリーム塗らないと、唇が切れてしまうよ」と掠れた声で言う光忠の指先が私の唇をなぞった。あまりにも焦れったい触れ方だったので、私は手袋を噛んで脱がそうとすると、こら、といなされてしまう。

「……光忠と寝たい」

「そのどうとでもとれる言い方、ずるいと思うな」

試すような言い方をしたのに光忠は怯まない。それどころか私の発言を挑発と受け取ったのか「いいよ、きみがそうしたいのなら」と私の腰に手を添える。

「じゃあもうちょっと、」

おやすみー、と私が言うのを遮って光忠は私を横抱きにして立ち上がるとすたすたと洗面所に向かう。

「寝るのはいいけど、また夜に。さぁ起きて。なんなら着替えも手伝うけど?」

「結構です!」

「そう?じゃあ僕はまだ朝ごはんの支度が残っているから行くね。お化粧なんていいから温かいうちに食べにおいでよ」

「はぁーい」

間延びした返事をすると光忠は「じゃあまた後で」と言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。
光忠の後を引かないところこそずるい。だって、引き止めたくなってしまうから。
私は急いで顔を洗う。化粧は………。鏡を三秒眺めてリップクリームだけを塗り、きちんとした下着をつけパジャマから部屋着に着替えて廊下に出ると、魚を焼く香ばしい香りが漂っていた。

「ん?なんだ大将、寝不足って言ってたわりには顔色いいな」

廊下で行き会った薬研に顔を覗きこまれ、私は返事に詰まってしまう。えーなんだろー若さかなぁーと嘯けば「なるほど」としたり顔をされたので脇腹をくすぐっておいた。

「ほら、早く食堂行こっ」

「走ると転ぶぜ」

空っぽのお腹が食べ物を求めるのと同じぐらいの強い気持ちで、私は光忠の顔が見たかった。
その夜に「あんなにすぐ来るとは思わなかったよ」と光忠に苦笑される勢いで、私は食堂の戸を開けて飛び込んでいくのだった。
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