2019

美しいものはそれだけで存在価値がある。
すぐそこで繰り広げられる斬撃の応酬を眺めながら、自然と笑みがこぼれてしまうのを止められない。時折散る火花は、斬りつけた場所から噴きだす時間遡行軍のどす黒い、おそらくは人間の血液に相当するものにのみ込まれて儚く消える。
暗躍する獣のように敵方の懐へと飛び込んでゆく短刀たちと少し離れた場所で大太刀と斬り合っている三日月宗近は、まるで舞を舞っているかのような緩急で間合いを詰めつ取りつつしながら確実に息の根を止める頃合いをはかっている。

「そうそう、そこで……」

私は口に入れていた棒付きの飴を右手に持って振り下ろす。それと同時に雲間から細い月が静かに姿を現し、大太刀の喉笛を掻き斬るの三日月の姿を照らし出した。刀身を鞘に収める澄みやかな音が夜のしじまに小気味よく響き、私は満足して手にしていた飴を再び口に咥えた。

「はーい、お疲れさまでした。みんな怪我はない?」

私の問いかけに五虎退と前田が「ありません」と声をそろえる。優秀な者揃いで結構なことだ。その後ろに立つ三日月に「大丈夫そうだね」と言えば、彼は口元だけで静かに笑った。

「主が直々に出陣だったのでな。やる気を出したというわけさ」

「そうだな。大将がいるといつもより頑張れる気がするぜ」

遅れて戻った厚が頭の後ろで手を組んで歯を見せる。

「僕も、主さまがきてくださって、う、嬉しいです。」

「私もみんなの頑張りが見れて嬉しいよ。それじゃ、帰っておやつにしよっか」

五虎退と前田、厚の頭を撫で、私は右手で空に四角を描く。軌跡は淡い光となって音もなく時空の扉となり、私たちは過去を後にする。
帰還し、各々戦装束を解くために部屋に戻るのを、私は三日月だけ引き留めた。

「報告書のことでちょっと。後で部屋に来てくれる?」

「……相わかった」

ほんの少しの間をおいて三日月が肯く。じゃあまたあとで。ひらひらと手を振って私は彼に背を向けた。
部屋に戻り普段着に着替える。ティーシャツとショートパンツ。これが私にはいちばんよく似合う。
さっきまで夜の世界にいたというのに本丸はまだ昼過ぎ。時空を超えると普段使わない部分が疲労する。ベッドに横になって目を閉じると、うっかり寝てしまいそうだった。小さくなった飴をかちゃかちゃいわせていると「入るぞ」と三日月の声が扉の向こうから聞こえてきた。「はいどーぞ」と寝転がったまま言えば三日月が姿を現す。

「だらしがないな。長谷部が見たら叱られるぞ」

「はやく扉しめちゃって」

「じじいに世話を焼かせるとは」

「ちょっと寝てもいい?」

「つまり報告書の件は口実、とな」

「うーん、さぁどうだろう」

報告書のことで呼びつけたのは本当だったけれど、少し眠気が勝ってしまっただけ。

「私の机、使っていいから報告書、適当に、おねがい、ね」

「本当に眠るのか?」

「おやすみ」

困った主だ。三日月が言うのが聞こえた、気がした。舌の上からすっと甘さが消える。飴、が。「おやすみ」とやわらかく響く三日月の声は明らかに私の飴を口に入れている。
目覚めると、私の秘蔵のお菓子を三日月が食べていた。部屋には澄んだ墨の香りがほのかに漂っている。

「あー、それ今晩食べようと思ってたやつ」

「頂戴したぞ。あと報告書はそこに」

「ありがと」

「見ないのか?」

「いいよ。問題なし」

オッケーを指で作ると三日月も同じように人差し指と親指で丸を作って見せた。私が自分の指で作った丸を覗いて三日月を見ると、これまた彼も同様の仕草をする。意味なんてないから、それが面白くて私は笑った。私が笑うと三日月はうんうんと頷いてお菓子に手を伸ばす。
私はベッドに横になったまま三日月を見る。内番の服に着替えた三日月はさっぱりとした出で立ちで、それでも凛とした気品が感じられるのがとても良い。少し離れて見るのも、間近で見るのも、どちらも趣深いというか、常に新たな発見があるので天下五剣かつ名物中の名物というのは誠に侮れないものなのだなとつくづく思う。
凡庸な造作の顔面だというのに審神者、彼らの主であるというただそれだけの理由でこのように美しいものを側に侍らせることができるというのも審神者冥利に尽きると言えよう。審神者でいるにあたってそれなりに(多大なるといっても過言ではない)代償を払っているのだ、良い思いをしたって咎められることは無いだろう。
なので私は存分に彼らを楽しむ。三日月は、殊更に。

「なんだ、触ってもいいぞ」

「ここから見てる」

「好きだな、主も」

「うん」

肯いてあくびをする。
最近疲れたなと感じることが前に比べて多くなったような気がする。時を遡る際の疲労は出陣の回数を重ねるにつれ回復に時間がかかるようになった。ひどいとほぼ丸一日寝てしまう、なんていうこともあるほどで。だから私は以前ほど頻繁に出陣に同行することができなくなってしまって、それをとても残念に思っている。彼らが最も彼ららしくある姿、いわば彼らが「生きている」姿をきちんとこの目に焼き付けておきたいのに。

「疲れたか?」

「疲れた」

「どれ、じじいが癒してやろう」

そう言うと三日月は私の頭をゆるゆると撫でる。あれほど剣を握っていても、彼の手の平にはマメらしきものは見当たらない。

「あー、また寝ちゃいそう」

「寝るがいいさ」

「だめ。ひと月分の報告書まとめて出さないといけないもん」

「それは難儀だな。してやれることがあれば何でも言うといい」

「なんでも?」

試すように三日月を見ると、彼は変わらない淡い笑みを湛えたまま肯く。

「じゃあここから起こして」

「よし、まかせろ」

そう言うと三日月は私をベッドから抱き起す。

「ありがと」

「礼には及ばん」

菓子分の働きにはなったな。と笑って私の机の上に置いてあった報告書をとってくれる。毛筆の、流れるような字が書きつけてあって、もう少し私にも読みやすいように書いてくれると助かるのだけれど、三日月はいつもこうして私の隣で作業の供となってくれるので彼の筆跡については不問としていた。ざっと目を通すけれど、目の奥が重たくまぶたを開けているのが困難で、私はため息をついて眉間を揉んだ。

「今日はひとりで大丈夫。もう下がっていいよ」

「つれないな」

「また明日ね」

「なんだ、夕食は皆ととらんのか」

「うん。飴ちゃん舐めとく」

これか?と三日月は菓子器に山盛り積まれた棒付きの飴をつまんで寄越し、自分はピンク色の飴を手にしている。私はぺリぺリと包装を剥いて水色の飴を口に入れた。嘘っぽいソーダ味が口の中に広がる。

「甘いな」

「いちごミルク味だからね」

いちごミルク、と呟いた彼にいちごミルクの何たるかがわかっているようには思えなかった。神妙な面持ちで飴を舐めている三日月に部屋から出ていく気配は見えず、おそらくこれ以上言っても無駄であろうから私は彼を好きなようにさせておく。
三日月に書いてもらった今回の分の報告書を読み終え綴りに閉じる。あとは集計と、所見と。頭を抱えていると、目の前に湯呑が置かれた。

「あれ、いつの間に」

「nameにしては集中していたな」

「ありがとう。いただきます」

私の向かいに座った三日月も湯呑を手にお茶を啜る。彼が部屋を出たのにも入ってきたのにも気が付かなかったなんて。確かに三日月の言う通りだ。私にしては集中していた。それだけ追い込まれているということなのだけど。

「次の出陣、いつにしようかな。政府から急な要請が入らないといいんだけど。基本的に放任主義なのは助かるけどたまに人使い荒いよね」

「お上とはいつの時代もそのようなものだよ」

「クビにならない程度には働かないとね」

「うむ、給料分はせめて働くといい」

「給料分ねぇ……」

お茶に浮かんだ毛茸を眺めてぼやくと、三日月が「見合っていないと言いたげだな」と意味ありげな視線を寄越す。彼は気が付いているのだろう。私の力が増大するのに反比例して私の肉体が弱っていることに。
審神者になるにあたって時の政府より色々な説明を受けたけれど、どれも大した興味はなく、話半分に私は契約書にサインをした。現世に未練がないと言えば嘘になる。でも、だから何だというのだろう。この先何もないであろう現世での生活に見切りをつけてここに来たのだから、自分の身に何が起ころうとも私は政府を非難できない。
やらされてやっているのではない。見たいもの、知りたいことのために自らの意思でやっているのだ。
とはいえ身体がついていかないでは面目が立たない。元々身体が弱いということもなかったので、やはり目に見えない霊的な力ゆえの衰弱なのだろうか。机の上で開いた両手に視線を落としている私を三日月は静かに見ている。

「もう、時間を遡らない方がいいのかな」

「かもしれん」

「……困ったなぁ」

「俺たちには主が必要だからな。先立たれてしまっては困るぞ。身体は大切にしてもらわねばいかん」

そう言って三日月は書き終わった書類をひとまとめにして角をそろえている。珍しく近侍らしい仕事をしてくれる彼の姿に私は微笑んだ。

「なにをしていても綺麗だね、三日月は」

「そうか?自分ではよくわからんが」

「だからもっと見たいな。三日月が戦ってる姿。三日月だけじゃなくて、皆も。私ね、皆が戦ってるのを見るのが大好きなの。眩しいぐらいにきらきらしてるから。胸がいっぱいになるよ」

無責任にごめんね。と眉を下げると三日月は「そうか」と頷いて「俺も好きだぞ、剣を振るうのは。血が熱くなるのは大層心地がいい」と先ほどまで繰り広げられていた光景を思い返しているようだった。

「三日月、こっちに来て。顔をよく見せて」

手を伸ばすと三日月は私のすぐ目の前にやってくる。私は三日月の脚の間に収まって、手の平で彼の輪郭をなぞる。通った鼻筋も、頬の稜線も、肌を押し上げている喉仏も、ずっと触れていたいと思わせるのは彼本来の姿形が美しいからという理由だけではなく、与えられた肉体の健やかさもあるだろう。ゆるやかに機能を損なっていく自分のそれと重ね合わせると、余計に眩しく感じるのだ。
ちらちらと見え隠れする彼の瞳に浮かぶ月を覗き込む。私が彼を愛でる間、三日月はただ静かにそこに在った。床の間の刀掛けに鎮座する刀のように。
いつまでも飽きることなく三日月の肉体を肌に染みこませていると、彼は小さくあくびをした。

「眠たくなってきたな。よし、寝るぞ」

「え、まだ書類終わってないけど」

「こうしている暇があるのなら、もう少しぐらい眠ったって構わんさ」

「暇じゃないよ。主として自分の刀剣を愛でてるの」

「どれ、それでは俺も主を愛でるとするか」

はっは、と笑った三日月は難なく私を抱き上げてベッドに運ぶ。抗って暴れる余力がないことは彼の目にも明白らしい。大人しくされるがままになっている私の抗議の視線は無いものにされ、三日月と私はベッドに横たわった。包まれている心地よさに充足感が足の先まで広まってゆく。

「一時間したら、起こしてよ」

「うむ、任せておけ」

「一ミリも信用してないけどね」

アラームをセットする私の手から目覚まし時計を奪うと三日月は私のまぶたに唇をつけた。スキンシップが過剰なのは私のせいかもしれない。
目を閉じてぼんやりと昔の記憶をたどろうとしても、最近はそれすらうまくいかなくなっていた。帰路を閉ざす濃霧が隠した現世での記憶は、まるで私が引き返すことができないのを暗示しているかの如く。

「name、今は眠るといい」

ふたつの月が私を照らす。
美しいものに囲まれても私が美しくなれるわけではない。彼らは私の美醜に頓着しないし、私のことはただ主君としか思っていないのだ。なんと心地よいことか。ここにいる限り私は美しものしか目にしなくて済む。存在意義のある者達。存在を肯定された者達。私も彼らも、互いにただ在るだけで許される。緩やかに流れていく時間を私は彼らと過ごす。少しずつ、人ならざるものへと変容を遂げつつ。
刀掛けに横たわる彼らのように、私は三日月の腕に抱かれベッドで眠る。目の奥ではじけるのは、彼らの刃から散る焔色の火花。
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