2019

(学パロ/ややお下品)

石田くん石田くん石田三成くん、と小さく呼ぶ声が聞こえるので振り返れば、後ろの席のnameが「眼鏡、かっこいいね」と両手の親指と人差指で丸を作って目に当てていた。こいつは馬鹿なのだろうか。今は現代文の授業中なのだが。私は無視して前に向き直る。板書をルーズリーフに書き写しているあいだ中、シャープペンの背中で「めがね、かっこいい」と書かれ続け、しまいにはハートマークであろうなにか(なにかではない、ハートマークだ)を無数に書き出す始末。なるほどこやつの成績が芳しくないのも当然だと背後の一切合切を無に帰して私は「きりーつ」という号令と共に立ち上がった。

「授業に集中しろ」

「眼鏡、似合うね」

「私の話を聞いていたか」

机に突っ伏すように腕を組んだnameは「むふん」と聞こえてきそうな犬のような顔で私を見ている。あまりまじまじと見られるのは気持ちがいいものではないので身体ごと窓の方に向きを変えると、「目、悪くなった?」ねーねー、とシャツの袖を掴まれた。

「少しだけな」

「勉強のしすぎでは?」

「貴様はもう少しちゃんと勉強しろ」

「じゃあ今日学校終わったら三成の家集合ね」

「断る」

「えー」

左近誘って行こうと思ったのに、と唇を尖らせたnameの手にしていた携帯電話が短く振動する。「うわ、左近、勝家くんと買い物行くって」嘘でしょ!と私を見るも、だからどうしたとしか言いようがない。最近左近が柴田勝家とよくつるんでいるのに拗ねているらしい。「だって昨日も勝家くんと買い物行ってたよ」「放っておけ」そう言って日本史の教科書と資料集を机から出す。なぜ昨日の左近の行動を貴様が知っているのだという疑問が沸かないでもなかったが、おおかた左近が写真付きのメッセージをずらずらとnameに送ったのだろう。連続して鳴り続ける日和ったような電子音を想像しただけで苛立った。

「お、眼鏡かけてるのか三成」

またうるさい奴が来た。人が眼鏡をかけたからどうだというのだ。そこまで気にすることなのか。私の席までやってきた家康もさっきのnameと同じポーズをして笑っている。目障りなことこの上ない。

「格好いいよね、三成」

「頭が良さそうに見えるぞ、三成」

三成三成とうるさい二人を無視し、眼鏡拭きを出してレンズを拭く。「私も眼鏡欲しくなってきた」「nameは視力良いだろう」「ダテだよ、ダテ」とnameが言うと、廊下側の席から「なんだ、呼んだか?」と伊達の声がする。「呼んでませーん、伊達違いですー」「はは、言われてみれば政宗も伊達だな」伊達のダテ眼鏡、と言い合って噴き出しているふたり。自分には全く理解できない笑いのツボを共有しあっているnameと家康の笑い声を聞きながら、あまりのくだらなさに溜息すら出なかった。

「ねーねーちょっと家康、眼鏡かけてみてよ」

「貸さんぞ」

「ケチ!」

「あと眼鏡かけてるのは……元就ー、は、無理すぎる」

「あいつのは度が強そうだしな」

「生徒会長だしね」

「それは絶対強いな」

突っ込む気すら起きない会話に頼むから巻き込んでくれるなと無関心を決め込み、教科書と資料集の角を合わせたり昨日まとめたルーズリーフをぱらぱらと捲る。ちらりと時計を見るも、始業のチャイムが鳴るまであと8分はゆうにある。

「はい、ということで三成くん眼鏡かーしーて」

いーいーよ、と私が言うとでも思ったのだろうか。無視していると顔を覗きこまれたのでそっぽを向いた。

「name、これぐらいにしておこう」

「ぶー」

「不味そうな豚め」

「泣くよ」

そう言って嘘泣きをするnameの背中を悪ノリした家康が「ヒドいぞ、三成」と大袈裟にさするので、なんだなんだとクラス中の視線が自分たちに集まりだす。「なんでもない!name、ふざけた真似はやめろ!」と叱りつけると指の隙間から「眼鏡かーしーてー」とこの期に及んで恨めしい視線を向けてくるので何もかもが面倒になった私は忌々しさを炸裂させながら、かといってこれ以上の不愉快を腹に据えかねることにも耐え難く、眼鏡のつるに手をかけた。

「これ、チョーヤバくないっすかぁ?!」

爆発音かと思うほどの大きな音を立てて教室の扉が開かれたかと思えば左近が目を輝かせて私達の教室に入ってきた。貴様は一年だろう、何故ここに来る、即刻帰れと言おうとしたところで奴の顔に違和感を覚えた。何が違う、と考えているとnameが「左近も眼鏡だ!」とはしゃいだので、あぁなるほどと合点がいった。

「クラスの奴らにも似合うって言われて、鏡見てみたらマージで似合ってたから三成さまとnameさんにも見せに行くっきゃねーだろと思ったんスよ!あっこれ、昨日勝家と買って、まぁ勝家は買わないってったんで俺だけなんすケドね」

「左近が馬鹿っぽくない!知的に見える!」

「やはりわしも眼鏡をかけるか」

「私もー」

「んじゃ、ちょっとコレかけてみてます?」

「いいの?!」と「いいのか?!」が同時に重なり、ずい、とふたりに乗り出された左近は若干勢いに気圧されつつ「いーッスよ」とかけていた眼鏡を外した。

「ダテじゃん。あ、政宗のことは呼んでないからね!」

度の入っていない眼鏡をかけたnameは伊達の方に手を振る。「おー、案外似合ってんぜ」伊達に人差し指を向けられたnameは「でへへ」だか「うへへ」みたいな気持ちの悪い声で笑った。昔からなのだが、nameの発する音は珍妙だった。おそらく自分とは発声の仕方が異なるのかもしれない。まぁ、今となってはもう慣れたことなのだが。

「いーじゃないすか、似合ってますよ」

「やだー嬉しいー!左近大好き。今度ジュース奢る」

聞き捨てならないひと言が聞こえてきて、こんな事になるなら自分の眼鏡をさっさと貸しておけば良かったと己の愚行を激しく悔いた。夜半耳元を飛び回る蚊のように鬱陶しいnameではあるが、自分以外の男に大好きなどという言葉を口にする軽挙を目の当たりにすると、鬱陶しいながらに自らの血を吸わせておきたいという妙な独占欲に駆られるのであった。たとえその代償として耐え難き痒みを植え付けられようとも。

「セクシーだな」

「え、やだ、そっち系?」

両手で頬を挟んだnameがわざとらしいしなを作ってそれを家康が笑う。セクシーなる単語なぞ、nameにとっては無縁の、日本とブラジルほど遠く離れた言葉のように思えるのだが家康の頭の中はどうなっているのか。そもそもnameはセクシーではなく愛らしいのだ。そんなこともわからんとは馬鹿め家康。
「はい次は家康ね」「……おぉ!いいな!」黒縁の眼鏡をかけた家康はnameの手にある鏡を覗き込むと目をぱちくりさせて笑い、そして「どうだ、三成!」と私に感想を求めてきたので「あぁ」と適当な音を喉から出しておいた。「三成もカッコいいって言ってるよ、よかったね」と誤った解釈をしたnameと、それを素直に受け取った家康は「これで期末試験は余裕だな」などと意味不明の会話をしているし、左近はといえば数人の女子に囲まれて連絡先を聞かれていた。
「もっかいかける」と言ったnameに家康が外した眼鏡をかけてやり、それも背後に回ってかけているので非常に、距離が、近い!!nameから離れろ家康ゥ!と臓腑が煮えたぎる熱を眉間に刻んだ皺から発散させつつ、凝縮した怒りをこめた消しゴムのカスを家康の後頭部に弾き飛ばす。

「なんだぁ?!nameオメー眼鏡なんざかけてたか?」

ポケットに手を突っ込んだ長曾我部が呼ばれてもいないのにやってきて、nameを覗いて首を傾げている。

「んーん、左近のだよ」

「あぁ」

そう言うと長曾我部は腰をかがめて眼鏡をかけたnameを様々な角度から眺め、なにかに合点がいった表情をすると、先ほどの伊達同様nameに向かって人差し指を向けた。

「この前見た女教師ものに出てたAV女優に若干似てらぁ!どーっかで見たような気がしたと思ったんだよなぁ」

「はぁ?チカ、マジで最低だからね」

nameが生ごみを見るような眼つきを長曾我部に向けたのと、一番前の席から「破廉恥でござるぅぅ」という暑苦しい絶叫が聞こえてきたのと、私の拳が長曾我部の右手に収まるのはほとんど同時だった。

「貴様、黙って聞いていれば勝手なことをぬけぬけと!」

「んだと童貞」

ど、童貞ではない!と言い掛けた口を噤む。私とnameが長い友人(という名の幼馴染)期間を抜けて交際を始めたことに関してはまだ秘密裏にある。私がうっかり口を滑らせるわけにはいかないのだ。

「もー下ネタ禁止」

「そうだぞ元親」

「おいおい家康、おめぇさんにも貸したじゃねーか。それよかさっさと返せよ、後がつまってんだ」

「……家康も?……嘘でしょ」

静かに眼鏡を外したnameは、それを視線を泳がせている家康にかける。「あーもう全然知的に見えなくなった。ただのエロい人にしか見えなくなった。エロ川エロ康」唇を曲げたnameに家康は「でも似合っていたのは間違いないぞ」となんの意味もないフォローを入れ、nameに背を向けられたのだった。下衆めが、当然だ!そして長曾我部はその腐りきった口を縫留してやるから覚悟しておけ。
その時始業のチャイムが呑気な音で鳴り響く。

「やっべ、戻んねーと!nameさんソレ、また放課後にもらいに行きますんで、んじゃ!」

囲んでいた女子をかき分け、左近はこちらに向かって「三成さま―、さよならっすー」と調子よく手を振りながら私たちの教室を後にした。

「日本史か、眠たいな」

「エッチなDVD見て夜更かししてるからでしょ」

「はは、厳しいな」

「はは、じゃないし。厳しくないし事実だし。あんまこっち見ないで!」

しっし、と追い払われた家康はnameの右斜め後ろの席につく。たかだか眼鏡ひとつでとんだ騒ぎになってしまった。ため息をつきながらこめかみを抑える。
ふたたび形だけの号令に合わせてがたがたと椅子の音。エアコンの唸る音とほとんど同化している日本史教諭の喋りは、既に3人を眠りの底へと突き落とすのに成功していた。
板書を写していると、背後から折りたたまれたメモ用紙が差し出される。無視していると机の上に放り投げられた。存在を無きものにしようかどうか迷ったが、おそらく私がメモ用紙を開くまで背後から何らかの授業妨害行為を受けるであろうことは明確だったのでこっそりと手に取る。そこには眼鏡をかけた私の顔が簡略化されたイラストで描いてあった。そしてその下に「めがねって、キスするときにじゃまなんでしょ?」との一文が下手くそな文字で添えてあり、情けなくも動揺してしまう。そうなのか?そうなのだろうか?
「字が汚い。知らん」そう書いたはいいものの、自分の書いた文字もnameの書く字を下手と断じることができるほど達筆ではなく、よって「字が汚い」の部分は丁寧に消しゴムで消し、「知らん」とだけ書いたメモ用紙を後ろへ投げた。カサコソと紙を開いた音がしたかと思えばまた何かを書きつけている。そして戻されるメモ用紙。いくら全教科トップクラスのゆるさを誇る日本史教諭の授業だからとはいえ、そろそろよそ事はうちきりにして集中したいのだが。
再び開き、書いてあった言葉が視神経を通って脳へ伝達されるのと同時に喉の奥から首を絞められたような声が出たので慌てて咳払いをして誤魔化した。そして背中に描かれるハートマーク三つ。その後、

「楽しみにしてるね」

身を乗り出したnameに耳打ちをされ、囁かれた側の右耳を中心として指先までに鳥肌がたった。背中を丸めて怖気に耐える私は黒板に向けるべき視線を、握りしめたメモ用紙(くちばしのやけに大きな、眼光鋭い鳥のイラストがついている)に書かれている言葉「あとでしてみて」からまったく逸らせずに、手にしたシャープペンシルの芯をボキリと音をたてて折ってしまうのだった。
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