2018

ぬくもりに満ちたベッドの中でぴたりと身体を寄せ合って、私はミケの寝息を聞いていた。規則正しく繰り返されるそれがやがて少し乱れると、ミケは決まって寝返りを打つ。背中を向けられると寂しい。でも私には彼に寂しいなんて言う勇気はないから、黙ってこっそりミケの背中に額をつける。ミケが自分を拒否しないことはわかっているけれど、だからこそ、どれだけ些細な拒絶の片鱗だとしても、彼がそれを態度に出すことが私はいつも怖かった。
夜明け間近の、まだ薄暗い部屋。遠くで鳥の鳴き声が聞こえている。
おはようと寝惚けまなこで言うミケは、大きな伸びをして目をこする。「おはよう」私も返せば頬にやわらかな髭が触れた。視線が絡まると同時に唇に熱。吐息交じりにキスをして、昇りきった朝日に白く満ちたちいさな部屋で私たちは肌を重ね合う。
かさついた唇をむさぼって、のばされる舌からわざと逃げ、けれど背中には爪を立ててしがみ付き、我慢できずに声をあげればひどく乱暴に突き上げられた。ぎしぎしとベッドが揺れていた。つま先が揺れるたびに、忍び寄ってくる死の気配や曖昧な輪郭をした不幸が爪の先から降り飛ばされてしまえばいいのにと思った。
ミケと交わっている限り私は安全で、安心だった。大きな身体と私よりも高い体温に包まれて、彼の喉から紡がれる心地よい低音を聞いていさえすれば、陽だまりの草原にいるような気持ちでずっといられた。
私は、彼の腕の中でだけ、安心して眠ることができる。
情事を終え、シャワーを済ませた私たちはテーブルを挟んで遅めの朝食をとっていた。スープとパンだけのささやかな朝食だった。
最中、明日から始まる次回の壁外遠征の準備の手順と段取りを確認する。時々、団長が上から押し付けられているお見合いの話を挟んだりしながら。そうやって、滞りなく休日の朝が流れてゆく。

「今度はどれぐらいの人数が集まるかな」

「ああ、もうそんな時期か」

あとひと月もすれば新兵が入団してくる。集まりが悪いのは毎度のことだった。私の時も同様で、ミケの時も勿論そうだったらしい。つまるところ我が調査兵団は万年人手不足なのだ。自ら進んで調査兵団に入ってくるのなんてよっぽど奇特な人間であるというのが幹部たちの総意だった。けれど生き残った多くの人間は、奇しくも何らかの強い意志を持って入団した者であるということもまた事実で。そういうわけで私も含めた調査兵団の幹部たちは、ある程度運のある変人、という位置づけとなるわけだった。

「団長のスピーチ、今年はどんなだろう」

「原稿を練ってるみたいだが、どうだかな」

気迫に満ちた団長の演説の数々を思い出しながら、手繰り寄せられるようによみがえってくる記憶。
訓練兵時代よりある意味では厳しい訓練。初めての壁外遠征。仲間たちとの日々。
そして、眠れないのだと言った私に肩を貸してくれたミケのこと。揺るぎない体温に心から安心して、久々に深い眠りに落ちたあの浮遊感。その時の穏やかな日差しや乾いた風のにおい。
押し寄せてくる辛い記憶に抗うように、私はミケとの幸福な思い出を一秒でも長く胸に留める。
テーブルの一点を見つめて黙りこんでいると、空になった皿をミケが下げてくれた。背後を通る時に、頭のてっぺんにキスがひとつ降ってきた。
休みの日は特にすることもない。部屋の掃除といっても割り当てられた部屋はそう広いわけでもなく、ましてや私なんかはほとんど自分の部屋には戻らずミケの部屋に入り浸っている状態なので散らかることもなかった。だから朝はたっぷり寝坊ができるし、昼から街に出ていくこともできる。日頃ストレスフルな生活をしているのだから、非番の日ぐらい自堕落になっても許されるはずだ。
空気を入れ替えるために開けておいた窓を閉めていると、背後からミケに抱き締められた。あわててカーテンを閉めると、大きな手が私の輪郭をなぞりはじめる。部屋の空気が急速に潤んでゆく。

「今日は外に出ないつもり?」

「お前がそうしたいのなら」

そうしたい、がどっちを指すのかわからず、私はミケと向かい合ってされるがままに唇を受け止める。いつもそうだ。なしくずし。はっきりと真意を問い詰めることをしないまま、水が高い所から低い所へ落ちていくように、私たちは下流へとただ流されてゆく。それはとても楽であると同時に、少しずつ私達を不幸にしている気がした。
表面にまぶされた砂糖の下に、どれだけ苦い薬があるのかを知っているから、私もミケも慎重なのだ。辿り着きさえしなければ、苦い薬も永遠に甘い砂糖菓子のままだから。まるで覚めない夢を見ているよう。覚めない夢なんて、ないことだってわかっているのに。
ゆっくりと時間をかけてミケはセックスをした。挿入したまま長い間動かずにじっと私を見ていた。時々髪を梳いたり、長い口づけをしたり、乳房を包んだりしながら。
自分の中にいるミケの熱と重さを体内で感じながら、あまりの甘やかさに、私はなにをされるでもないのに幾度となく絶頂を迎えた。
ぐったりしている私を丁寧に扱いながら、ミケはゆっくりと動き出す。擦りあわされる粘膜と、力強く押し上げられる内臓。腰が打ち付けられるたびに乾いた音と水音が混ざり合った。
終わりの方はほとんど記憶がない。壊れたおもちゃのようにミケの名を繰り返し呼んでいた気がする。ミケの口にした言葉たちが、耳殻でまだかすかに余韻として残っていた。甘く、どこまでも甘く。おかしくなりそうな快感の渦の中で、いっそ散り散りになってしまいと思った。それだけははっきりと覚えていた。ここで、この瞬間で終わらせることができたなら、と。
手放した意識の向こうで、首筋に痛みを感じた。噛み付かれたのだとわかった瞬間、白い視界に真昼の星が鮮やかにきらめく。目を開けているのか閉じているのか。まぶたを通して見ているのかそれともまぶたの裏に映っているのか。無数の光に私は目を見張る。綺麗だ、と思った。
ぬるく満たされてゆく身体。荒い呼吸が胸元にかかる。汗ばんだずっしりと重たい身体を受け止めながら、私はミケの髪を撫でた。


「わ、もう夕方」

「寝すぎたな」

疲れ果ててシャワーもそこそこに眠ってしまった私たちが次に目覚めたのは、日もずいぶん傾いたころだった。夕焼けの赤は、空の端から迫ってくる濃紺の夜の気配に浸食されだしている。その境目を隠すように薄く雲がかかっているのがカーテン越しに見えた。
重たいまぶたとだるい足。夕方の目覚めはなんとなく身体が億劫で、ついでに気持ちも沈みがちになるのは何故なのだろう。ぼんやりと天井を眺めていると、「大丈夫か」とミケが申し訳なさそうに訊ねる。「うん」そう答えて私はほほえんだ。「ならいいが」そう言って表情をほどいたミケの、柔和で、でもどこか寂し気な影の差す目元に私はたまらなくなる。きっと、そう見えるのは夕暮れの薄闇のせい。
私は腕を伸ばして、ぎゅっと音がしそうなぐらいの強さでミケの首にしがみ付いた。私の方から普段そんなことをしないからか、ミケは一瞬驚いたように身体をこわばらせ、そしていつもするよりもそっと、けれど力強く私を抱き返してくれた。どうした、とは訊かれなかった。キスもせず、ただ子供のように抱き合ったままだったのは、ミケもまた私の内にある不安と同様のものを胸にいだいていたからだったのかもしれない。
私を包んでもまだ余裕のありそうな大きな身体に、私はできるだけぴったりとくっつく。「ずっとこうしていたい」そう言う代わりに。
剥き出しの熱を肌に感じながら、ようやく私は顔をあげる。ミケの手が私の髪に触れた。耳たぶをつまむように撫でられ、乾いた手の平が頬を、首筋を包む。見つめ合っていた視線を外して私は目を閉じる。視覚だけでなく、感覚の全てで今を覚えていたかった。たとえ肉体が失われても、私の魂が覚えていればそれでいい。
まぶたに唇が触れる。控えめなキスだった。目を閉じたまま私はミケを呼ぶ。

「name、」

掠れた声に少しだけまぶたを開くと、いつの間にか訪れていた夜の闇の中でミケが私をまっすぐに見ていた。愛してる。ミケが囁くように言う。私は無言で頷いた。それが精一杯だった。ひと言でも声を発したら、泣きだしてしまいそうだったから。幸福な休日の終わりに、涙なんて流したくはなかった。幸せなのに、こんなにも幸せなのに泣きたくなるのはどうしてだろう。わずかに力の入った眉間にミケの唇が寄せられた。

「夕食は外で食べるか」

「そうだね」

ベッドから降りたミケが私に手を差し出す。その手を取って、ひやりとした床に足を降ろした。向かい合って身支度をする。空には星が瞬いていた。暗い部屋を後にして、私たちは寄り添って街へ繰り出す。

【So the world is not too sweet, I just say "I love you." 】
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