2018

「ね、赤葦くんってモテるんだよ」

知ってた?と俺を見上げたnameさんの表情の裏に潜んだ思惑がわからずに、だから「知りません」と俺は応えた。

「友達の友達もカッコいいって言ってたし、委員会の後輩の2年の子の友達もそう言ってるんだって」

「遠いですね」

2年の、と言われたので誰なのだろうと思ったけれど、大して興味もなかったので同学年の顔がわかる女子をひとりずつ頭に浮かべる作業をふたり目で中止した。モテるとかモテないとか、どっちでもいい。多分小見さんとか木葉さんとか、3年の先輩達なら目を見開いて飛び上がって喜ぶんだろう。モテたいかモテたくないかと聞かれたらそれはモテたいには違いない、けれど、誰かれ構わずというわけではなくて、目下俺は目の前にいるこの人に好かれることにしか興味はないのだった。好かれている、とは自負している。というより、嫌われていない、のほうが正しいような気もする。どっちかというと好かれている、と思いたいのは俺のエゴ。

「赤葦くんの好きなタイプとか、彼女いるのかとか、身長とか、たまに聞かれる」

「あー……女子のトークっぽいですね、そういうの」

「でしょ。身長ぐらいなら教えられるけど、好きなタイプとか知らないし、彼女は多分いないって言っちゃったけど……もしかして、いた?」

黒目の奥にあるものを見られているような視線に、俺は目を細めてつま先を眺めた。「いませんよ」と言うとnameさんは「よかった」とあからさまにほっとした顔になる。その安堵はきっと、俺に彼女がいなくてよかった、のではなく、友人に嘘を言ってしまったことにならなくてよかった、の方だろうと推測する。する、というか、しようとする。

「知りたいですか、俺のタイプ」

「えっ」

nameさんが足を止めたので、並んで歩いていた距離が一歩分ひらく。えーっと。と言葉を選びながら瞬きをするnameさんを見下ろして、俺は彼女に揺さぶりをかけたことを少しだけ後悔した。
底抜けに明るくて、木兎さんと比類するほど単純なnameさん。善良を絵に描いたような彼女を、というより、もしかしたらあるかもしれない俺への好意を試すような真似は気が咎めたからだ。でも。
俺にはnameさんと真逆のイメージを伝えることも、ストレートにあなたみたいな人がタイプですと示すこともできる。けれどそれではつまらない。
「まずひとつめは」と口を開くと、nameさんが予想以上に身体を固くして後に続く俺の言葉に全身で集中するものだから、俺は口を噤んで黙ってしまった。待てども待てどもその先を言おうとしない俺を見上げるnameさんの眉が段々と下がってゆく。はじめは緊張気味にわずかに開かれた唇も、今では引き結ばれてへの字に曲がっている。子犬ですか。心もとなさを前面にあらわしたnameさんの無防備さに、この前テレビで見た生まれたばかりの子犬を思い出した。子犬であればただ抱き上げてためらいもなくわしわしと頭や顎の下を撫でてやれるのに。曝け出されたやわらかな腹も。白い制服のシャツの下に、グレーのキャミソールが透けていた。

「ひ、ひとつめは……?」

「当ててみてください」

「そんなのわかんないよ!」

彼女の眉がさらに下がってしまい、俺はおかしくて口元が緩んでしまう。

「nameの好きなタイプとか聞いたことあるヤツー」と部室でレギュラー陣に挙手を求めた木葉さん。ないな、と首を横に振る鷲尾さんに、「そういやあいつって案外そういう話ノッてこないよな」と小見さん。あー、と頷いた猿杙さんの後ろから木兎さんが「俺知ってる!」と高々と手を挙げた。俺を含む全員が一斉に木兎さんを振り向くと、予想外の食いつきっぷりに木兎さんは「ごめん、言っただけ」とノリで生み出された虚言を素直に謝罪した。だよなー、とため息交じりの先輩達は「他のふたりのコイバナとか聞いてるだけでnameはなんも言わないしな」とか「いやお前、盗み聞きはよくないだろ」とか「誰も嫌いじゃないけど特定の誰かを好きにならなさそうな感じじゃね?」とか「ばっか、カモフラージュだよ、んなの」とか。好き放題言っているので俺はひとり着替えを済ますと、ロッカーの隅のほこりを指でつまんでゴミ箱に捨てる。それでもまだ話は終わっておらず、どころか白福さんと雀田さんの好みのタイプや彼氏の有無についてにまで話が及んでいる。「お先です」と言おうとしたところに、「あ!」と大声を出したのは木兎さんだった。「俺聞いたことあったわ!」「なにをだよ」木兎さんの背中に正拳突きをする小見さん。「nameのタイプ」そういえば、という顔をする木兎さんを他の面々は信じられないというふうで見る。「赤葦」振り返った木兎さんに唐突に名前を呼ばれ、反射的に返事をした。「なんですか」「や、なんですかじゃなくて、nameのタイプが赤葦ってこと」突拍子のなさに俺はしばし無言になる。予想外の言葉に先輩達も一瞬言葉を無くし、数秒後に「マジでか」の単語が部室内を飛び交った。「説明しろよ木兎ソレ」木葉さんが木兎さんに詰め寄る。「バレー部の中なら誰がタイプって話になってさー、わかんないって言ってたけど、しいて言うならって言ったら赤葦って言った」「言った、が多いですね」「ほんと木兎馬鹿っぽいのな喋り方」「わかりづれー」「お前らひどくない?!」「気にするな木兎、事実は受けいれろ」「鷲尾まで!」鷲尾さんに肩を叩かれる木兎さんは、ずい、と俺の方ににじり寄ってくる。「よかったな、赤葦」親指を立てた木兎さんに俺は「なにがですか」と言うしかない。「良かったもなにも、しいて言うならの話でしょう」「いいや、数ある男の中から選ばれたんだぞ赤葦は。先輩として俺は誇らしい!」「……お先です」「あかーし!!」木兎さんはじめ三年の先輩たちの叫びを背にそそくさと部室を後にした。これ以上会話を続けることの面倒くささが八割、そしてその影に隠れた二割の混乱をひとりでどうにか処理する必要があったのだ。
部室を出て角を曲がると丁度nameさんと出くわしたので、なんとなく一緒に帰る流れになった。これまでも何度かそういうことはあったし、今日だって数あるうちの一回だ。と思えば思うほど、さきほどの木兎さんの言葉がうるさいほど頭の中で木霊する。どうしてああも声が大きいんだろう。なかば木兎さんのせいにして、俺はnameさんの隣を歩いた。よりにによってこのタイミングで、と思うもnameさんはさっきの部室でのやりとりを知らないのだから彼女に罪はない。

「ひとつめは、俺よりも背が小さくて」

「うんうん」

俺よりも身長が大きな女子なんてこの学校にいないし、というより世間的に見てもそうそういないのに生真面目に頷いているnameさんは多分俺の冗談に気づいていない。頷きながら「その次は?」と先を促すような視線を送ってよこすので「やさしくて、ちょっと抜けてて、何考えてるのかいまいちよくわからなくて、二足歩行で、人類で」と続けるとさすがにおかしいと気づいたのか「真面目に!」と唇を尖らせた。

「どっからが冗談なのかわかんないよ」

「全部本当のことですけど」

肩を竦めるも釈然としない表情で俺を見ている。疑っているのに険がないのがnameさんらしかった。ふぅん、とまだ納得していないnameさんに「帰りましょう」と俺は先を促した。それっきり何かを考えている様子のnameさんはしばし無言で、だから俺も何も言わなかった。nameさんが考えていることについて想像するのは面白かった。俺よりずっと背が低いnameさん。俯く横顔を髪が隠している。時々のぞくやわらかそうな唇を盗み見る。盗み見ると言っても彼女が顔をあげない限り、俺がnameさんを見ていることはばれやしない。だからふたりきりの時、俺は案外大胆にnameさんの観察をする。勿論そんなこと、nameさんは知らない。

「気になりますか?」

「気になるっ!」

勢い良く振り向いたnameさんは、言った後でしまったというように右手で口元を抑えた。「えーっと、気になる、よ」カタカタカタと音がしそうな不自然な挙動でぎこちなく笑った。

「ほ、ほら、教えてもらっとけばまた友達に聞かれたとき、ちゃんとこたえられるかな、って」

ね?と困り顔で首を傾げるので、俺はズルい、と思った。無意識に繰り出される一撃ほど、会心の一撃になりやすい。当然この場合、反則すれすれの大技によって俺は致命的なダメージを負ったわけで。でも俺はそれをおくびにも出さない。自分ではわかっていても、他人にはわからない表情の変化。

「じゃあ、nameさんのためにもきちんと言っておいた方がいいですね」

nameさんを見つめてそう言えば、彼女の白い喉がごくりと上下するのが見えた。髪を手櫛でとかして居住まいを正すのを待って、さらに一呼吸分の間を置いた。

「俺のことを好きでいてくれる人が俺のタイプです」

nameさんの瞳が潤むように揺れた。

「そっ、か」

「はい」

視線を逸らさない俺と、視線を逸らせないnameさん。逆にnameさんのタイプはどんな人なんですか、と聞こうかとも思ったけれどやめておいた。

「でも、それって難しいね」

「なにがですか」

「もし赤葦くんのことを好きな人がいても、赤葦くんの好みに寄せようがないもん」

「いいんじゃないですか、あえて寄せなくても」

「そこら辺の乙女心をわかってほしいなぁ」

「nameさんにもあるんですか、オトメゴコロ」

「棒読みですか」

「棒読みですね」

ふふ、と笑ったnameさんは考えて「あるかな、一応は」とこたえる。人知れない彼女のオトメゴコロとやらが、俺以外の誰かに揺れることが許せなくて、いや、許すとか許さないとか俺は彼氏なわけではないからそんなことを言う資格がないとしても、彼女の意識が俺だけに向けばいいのにと強く思った。髪を乾かすときや、眠りにつく間際や、制服に着替えるときに、彼女の脳裏をかすめるのが俺であってほしいと願う。だから、手に入れる必要があるのだ。

「あぁ、忘れてました」

「ん、なにを?」

「俺には内緒で口の軽い木兎さんに自分のタイプを言ってしまうような人」

ゆらりと首を傾げて細めた目を落とす。「え、」と短く声をあげたnameさんは思い当たるフシがあるのだろう、見る間に顔を赤くして後退る。「……が俺のタイプの人です」と追撃すると、今度は「えぇ」と困惑交じりで口に手をあてた。

「えっと、それは、それって」

「どうしました?」

「あ、かあしくん」

「はい」

「あー……かあしくん」

「大丈夫ですか」

脳がフル回転しすぎてオーバーヒートしたらしい。nameさんは難しい顔で俺の名前を呼んでいる。

「というわけですが、思い当たること、ありますよね」

「あ、りま、す」

こくんと、そのまま首が落ちてしまうんじゃないかと思うような頷き方。今度はどれだけ目を合わせようとしても、nameさんは頑なに地面を向いている。「でも、あれは、木兎くんが部の中でだったらって言ったから、」と蚊の鳴くような声で弁明するnameさんに「じゃあ部以外だったら?」と意地悪な質問をしてしまう。有名人の名前をあげるだろうか。それとも適当に濁されるだろうか。

「部以外、とかは関係なくて、赤葦くんは私のタイプだよ」

だよ、の部分はほとんど聞き取れないぐらいの大きさで。おそるおそる上げられた面には泣きそうな不安げな表情が浮かんでいる。「だって、どう考えても赤葦くん格好いいもん」開き直ったのかnameさんは徐々に拗ねた顔になる。

「そうだよ、赤葦くん格好いいもん。背高いしクールな感じだし、でもさりげなく優しいし気配りできるし、頭もいいし、そんなん好きになっちゃうに決まってる、よ」

あ……。とnameさんはハッとして口を噤んだ。今度は俺が動揺する番らしい。まさかそこまで言われるとは思っておらず、つらつらと上げられた自分の美点と「好き」の言葉にうっかり赤面までしてしまう始末だった。「ごめ、今のなし!ウソだから、ウソじゃないけど、冗談、そう、冗談!!」わーわー騒いで両手を振っているnameさんに俺は近づいて「嘘にしないでほしいんですけど」と腰をかがめた。

「ち、近いって」

「近づいてるんです」

「もうちょっと離れて」

「いいんですか?」

俺はこの言葉が今のnameさんにとっての会心の一撃になると理解していた。満を持して放つ。彼女の天然さとは真逆に、したたかに、狙いを定めて。もう少し先になるかと思っていたけれど、思いがけない木兎さんの発言と、これまた思いがけないnameさんのさっきの言葉に今でもいいと判断した。考えて考えて考える、そして行動する。自分の長所でもあり短所でもあると思う。
校舎の壁際に追いやられたnameさんは、夕陽にあたたまったコンクリートと俺の間に挟まれて小さくなっていた。眉間にひとつ、薄い皺を寄せ、ちらりと俺を見て俯いてしまう。考えて考えて考えて、それでも予測ができないことのほうが多い。今だってそうだ。「会心の一撃って、跳ね返されるとダメージやばい」いつだったか合宿の時に孤爪が言っていたのをなぜか今思い出す。すると「赤葦くん」とnameさんが俺を呼んだ。濡れたような声で、心臓が強く脈打った。はい、とこたえる代わりに俺は二度瞬きをする。

「はなれないで、ください」

ダメージやばい。ダメージやばい。ダメージやばい。孤爪の声が頭の中で何度も反復してはフェードアウトしていった。ぎゅっと掴まれたシャツの裾。直接肌に触れているわけではないのに不思議なぐらいそこが熱かった。強烈すぎでしょう。見慣れた、それでも自分のものよりずっと小さくて白い手のすべやかさに、真夏の太陽のせいではない目眩をおぼえる。
どうして、と俺は思う。どうしてこうも俺のまわりには、考えて考えて考えた結果を予想外の行動で容易く覆してしまうような人ばかりなのだろう。

「あの、だめです」

「え、」

右手を伸ばして制止のポーズをとった俺に、nameさんは泣きそうな顔をする。と同時にシャツを握っていた手がぱっと離れたので、そうじゃなくてと慌てて言うと、目線で説明を求められた。

「俺、不意打ちに弱いんで」

「不意打ち?」

「いえ、こっちの話です」

不思議そうに目をぱちぱちとさせ、おとなしく話の続きを待っているnameさん。伝えない、説明しない、という選択肢は俺には許されていないらしい。

「俺はnameさんのことが好きなんですけど、nameさんは俺のこと好きですか」

ならば、正攻法。イエスかノーか、どちらかしかない質問。
夕日にnameさんの睫毛の先が輝いていて、彼女が瞬きをするたびにそこから光がこぼれ落ちていた。音もなく落ちてゆく光の粒に目を凝らし、俺はnameさんの返事を待つ。黒目がちな瞳が、黄金色に揺れている。俺もその中で、細い輪郭になって揺れていた。

「大好き」

ゲームオーバー。YOU LOSE。視界の上からゆっくりとその言葉が降りてくるのが見えた。敵うわけがない。見えるはずもない文字列を目で追い終わり、ようやく正気に戻ってnameさんの表情を確認しようと焦点を定めるも、彼女は「恥ずかしい」とすっかり顔を伏せてしまっていた。
心臓がうるさくて、でもうるさいのは果たして自分の心臓なのかnameさんの心臓なのか。わからないまま俺は「俺もです」とありきたりな返答をした。いま自分はどんな顔をしているのだろう。下を向いたままのnameさんと、濃すぎるほどの夕焼けの赤に救われた気持ちになって、静かに細く息を吐く。

「木兎くんから聞いたの?」

「はい、まあ」

「口止めしたわけじゃないから、いいんだけどね」

そして俺を見上げたnameさんの目元には多分な含みの色が浮かんでいる。濃い紅色の、大人びた色。底抜けに明るくて、単純で、善良で、無垢な子犬のような、そんな俺の思っていたnameさんでは出し得ない色。どうやら俺は完全に読み違えていたらしい。「カモフラージュだよ、んなの」とさっき言っていたのは誰だったか。手の中で守るべき対象だと決めつけていただけに、その強い色彩を目の当たりにして、ひとつの歳の差と、男女の精神的性差を感じて確かだったはずの足元がぐらついた。

「でもしいて言うなら、だったんじゃないんですか」

「そう言うしかないよ」

「まあ、そうですね」

「でも、いつかは言おうと思ってたからいいの」

いつかが今だっただけ。そうはにかんだnameさんのくぼんだ頬に夕日が影をつくる。気が付けばそこに触れていた。びくりと身体を揺らしたnameさんは、ゆっくりと身体の力を抜いて目を閉じる。さらさらと睫毛をつたう光に指をのばす。不意にこみ上げた笑いを隠すことができず、ふっと息を漏らすと、nameさんもつられて笑った。

「赤葦くんがこれ以上モテたら困るなぁ」

「じゃあ、はなさないでくださいね」

離したくないのは俺の方なのに。でも今はエゴを安堵に変えて、もう少し彼女に触れていたいのだった。
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