2018

あっ御堂筋くんだ。お昼ごはんをいつもひとりでべる御堂筋くん。場所は教室だったり屋上だったり中庭だったり。私もお昼ごはんはひとりで食べる。何故なら友達がいないから。親の転勤の都合でスタートダッシュに乗り遅れてしまって、それでもなんとか頑張ってグループに入ってみたものの、ダヨネーみたいな上辺だけの会話が急に面倒になってそれでひとり。全く違う県から引っ越してきたこともあって、想像以上のアウェー感。思ってたのと違うな、なんて悲しくなることもあるけれど仕方ないよね。来年に期待しよう。というわけで私がお昼を食べる場所はしばしば御堂筋くんとかぶり気味だった。それについて彼がどう認識しているのかはわからないけれど。そもそも彼は私を私だと、いっそクラスメイトというレベルでもいいから認識しているのだろうか。中庭といえどベンチが5つほどある広さのこの場所で、御堂筋くんは私の姿をその他の人々からクラスメイトであると判別しているのだろうか。いや、存在にすら気付いていないという可能性もある。
御堂筋くんが座っているのを除いた他のベンチはひとつが埋まっているだけで、だけど私は迷わず御堂筋くんのいるベンチへと向かった。

変な女がおるなぁと思ったら、そいつはてけてけてけと効果音がつきそうな足取りでボクのところまでやって来ると、なんの断りもなく隣に腰を下ろした。はぁ?キモ。キモイキモイ、誰やこいつ。自分のテリトリーを侵された不快感にボクは思いっきりベンチの端まで身体をずらす。けれど女はそんなの意にも介さないというように手にしていたビニール袋からパンを取り出して頬張る。見たくもないのに視界に入ってくるのが不愉快でボクはあからさまに身体の向きを変える。本当は一刻も早く別の場所に行きたかったけれど、先に座っていたボクが移動するのは道理ではないし癪だった。
さっさと食べて図書室でも行こ。ボクはできるだけ早く弁当を咀嚼してのみ込むよう努めた。毎日朝早く起きて作ってもらう弁当なので、そんな風に食べるのは後ろめたかったけれど。好きなものは最後までとっておく。卵焼きとウインナー。どっちを最後にしようか少しだけ迷っていると、気配が近づいてくるのを感じてボクは身構えた。

「御堂筋くん、べーってしてみて」

「ハァ?」

背中を向けて俯いているというのに、女はわざわざボクの足元にしゃがみ込んでボクの顔を見上げるように覗き込んできた。万が一声をかけられても絶対に無視しようと決めていたけれど、女のあまりにも突拍子もない申し出に思わず声が出てしまった。

チャンスは今しかない。そう思って私は御堂筋くんに声をかけた。御堂筋くんはその辺に転がってる虫の死骸でも見るような眼で私を見ていた。これは完全に認識されていない。「あ、私、同じクラスなんだけど」自己紹介をするととても自然に無視された。ぐるりと身体の向きを変えて御堂筋くんはまた私に背中をむけてしまった。縦に細長い背中を丸めてお弁当箱を抱える御堂筋くん。いいなぁお弁当。パン屋さんのパンも美味しいけれど、やっぱりお弁当の方がテンション上がるよなぁ。
クリームパンのカスタードが零れ落ちそうになって慌てて啜るようにして食べる。「私さ、舌が短いんだ」ほら、と言って御堂筋くんの視界に入り込んで「べ」と舌を出して見せた。前に一度見た御堂筋くんの長い舌をもう一度見てみたかった。だって、あんな爬虫類みたいな、もしくは牛タンみたいな舌を見たのは初めてだったから。
御堂筋くんはお箸でウインナー(タコさんの形!)を挟むとむぐむぐと食べて、それをごくりとのみ込むとひと言「キモ」と言った。「わぁ御堂筋くんが喋った」キモイと言われたのに御堂筋くんが私に向かって言葉を発したのが嬉しいような面白いような気持ちになって喜んでしまった。マゾだって思われたかもしれない。見た感じ小食そうなのに御堂筋くんのお弁当箱は案外大きくて、ご飯粒ひとつ残っていないお弁当箱には最後、卵焼きがひとつ残されていた。「美味しそうだね」指差して言ったけれどやっぱり無視された。卵焼きを御堂筋くんが箸でつまむ。それを食べたら行ってしまうだろうか。邪険にされているとわかっているものの、私は御堂筋くんに喋りかけずにはいられなかった。

うるさい女やなぁ。ボクはいらいらした。舌が短い?知らんわ。闖入者のせいで大好きな卵焼きの味がよくわからなかった。卵焼きを半分に切ってかじる。女はひとりで喋りつづけている。「私もいつもはお弁当なんだけどね。ていっても自分で作ってて。今日は寝坊したからパンなの」「クリームパンがね、美味しいんだよ。他のパンも美味しいんだけど、ここのパン屋さんのクリームパンのクリーム、すっごい濃くて美味しいんだよ」「御堂筋くんって背高いよね」「たまにお弁当食べる場所かぶるよね、気づいてないと思うけど。あはは」「御堂筋くんはなにか部活やってるの?私は帰宅部」聞き流して卵焼きの残り半分を、顔を上に向けてパクリと食べる。ごちそうさん。心の中で呟きながら。

「あ、」

短い声。同時に頬にあたたかいものが触れた。訳がわからず視線を右頬に向ければ、女の手が自分の頬に添えられていた。「舌、見えた」歯を見せて笑った女の手を反射的に払う。一瞬懐かしさを感じた体温に心がざわついていた。「あっ、ごめん馴れ馴れしく」謝ったくせにそのあとの「でも、ほっぺ、すべすべだね」という言葉によって謝罪は一切意味を成さないものとなった。でも、の意味が分からなかった。なんやねん、でも、て。キモイ、気安く触んな。ボクは弁当箱のふたを閉めて袋に入れる。袋の紐を縛って水筒のお茶を飲む。やっぱりさっさと場所を移動しておけばよかった。触れられた部分が膿んだように熱を持っている。
ベンチから立ち上がろうとすると、なおも女は「ねぇ」と喋りかけてきた。「話しかけるな」と「関わるな」のオーラを全身から発しているにもかかわらず、なんやのコイツ。無視してボクは歩きだす。

「卵焼き、おいしいよね。お弁当箱開けて卵焼きが入ってると、幸せな気持ちになるよね。黄色、いいよね。」

黄色。幸せ。風が吹いた気がした。やわらかな風が。いや、勘違いだ。そんなのは。「御堂筋くんはお母さんがお弁当作ってくれるの?いいなぁ。私親が離婚してお父さんについて行ったからお母さんいなくてさ、だからお弁当自分で作ってるんだ。さっき卵焼きが入ってると、って言ったけど、あはは、自分で入れてるんだから中身は知ってるんだけどね」背中で聞いているのに、女の表情の想像がつく。「だから、ふたを開けるときのわくわくみたいなの、あんまなくて。あ、私も卵焼き一番最後に食べるよ、いつも」とりとめのない言葉の羅列だというのに。ちらりとだけ振り返れば、笑顔の女とばっちり目があってしまった。
「今度もしお弁当食べる場所かぶったとき私がお弁当持ってきてたら、卵焼きあげるよ。こうみえて結構おいしんだよ私の」卵焼き。そう言ってピースをした。知らんわ。

「またね」

折っていた指をすべて開いて女はボクに手を振った。ばいばーい、やて。キモすぎて吐き気するわ。振り返ってしまったことを大いに後悔してボクはその場を後にした。明日から、食べる場所どないしよ。面倒くさいことになってしまった。目を眇めて足元の砂を蹴る。卵焼きの味がまだ舌の上に残っていた。やさしい黄色の、ふんわりとした味。

御堂筋くんのほっぺ、超すべすべだったな。最後にとっておいたメロンパンを食べながら思い出す。ほとんど、というかほぼほぼ全て無視されていたけれど、楽しかった。御堂筋くんは楽しくなかったかもしれないからそこは申し訳ないけど。「キモ」彼が言った言葉を真似して言ってみたら可笑しくて笑いがこみ上げてきた。ひとりでこっそり笑いながらメロンパンを食べてるなんて、確かにキモイ。でもいっか、御堂筋くんの舌ちょっとだけ見れたし。今度こそべろん、ってやってもらおう。決意して私は膝に乗ったパンくずを払った。

「ねー御堂筋くん」「キモイ」「もうちょっと口開けて」「寄んな」「えー」「ウザイ」「またそれー」「キモイ」「もっとほかになにか」「……」もうひと越え!と両手を挙げたら御堂筋くんはなにも言わなくなってしまった。おーい。顔の前でひらひら手の平を振る。微動だにしない御堂筋くん。結局卵焼きはあげられずじまいで。でも私はいつでも御堂筋くんに卵焼きをあげられるように、ここのところ寝坊せずきちんとお弁当を作っている。早起きは三文の得、なのかはわからない。これといって良いことは、ひとつだけあった。

「御堂筋くんって自転車部だったんだね」

「ストーカーか、キモ」

いつもより早く学校に行ったら、自転車に乗っている御堂筋くんを見かけたのだ。ものすごい速さで私の横を通り過ぎて、風だけを残してあっというまに遥か彼方に消えていった。つむじ風みたいに。振り向く間もなく。

「速いんだね」

ただそれだけだった。本当に速かったから。御堂筋くんはちらりと私を一瞥すると、何かを言おうとしたのか口を少し開けて、反対に目は少し細めて、でも結局なにも言わなかった。気が変わってまた口を開いてくれるかと思って辛抱強く待ったけれど駄目だった。席に座った御堂筋くん。私の席は彼の前。昨日の帰りの席替えで、この席になった。椅子を跨ぐ格好で座る私を御堂筋くんは咎めない。そして気にもしない。
「ポッキー食べる?」「……」「はい」「いらん」「どうぞ」口から離れたところでポッキーを差し出せばカメレオンみたいにペロンと舌で取って食べてくれるかな。期待大の眼差しは4限目のチャイムの音に砕かれた。がたがたと椅子の音が教室に響く。ちぇ。諦めて私はポッキーを自分の口に押し込んだ。

「あ、今日からお弁当一緒に食べようね」

ウザ、キモ。勝手に決めんな。そう言いたかったのに教室に先生が入ってきたせいで言いそびれる。4限目が終わった瞬間に鞄ごと持ってどこかへ行こう。なぁにが「一緒に食べようね」や。思い出したらムカついてきて、授業中何度も消しカスを丸めては前の女の背中に投げた。アホ、バカ、キモ、ウザ。一投ずつ呪いの言葉をこめて。そのたびに自分が嫌ぁな顔してるのがわかって、それもまた腹が立った。女の椅子のまわりが消しカスだらけになった頃、眠気と空腹に覆い被さるようにチャイムが鳴った。起立、礼。教室にざわめきが広がるよりも早くボクは鞄をひっつかむ。「御堂筋くん!」ドアを開けながら女の声を背中で聞いた。「いない!」ガタンと椅子の倒れる音。聞こえないふりをして扉を閉める。これから毎日このやりとりをするのかと思うと心底うんざりした。後を追われて見つかっては面倒なので足早に廊下を行く。だというのに意識が背後に集まりそうになるのは何故なのだろうか。キモ、キモ。姿勢がどんどん前傾していく。迫ってくる喧騒から逃げるようにしてとりあえず部室裏を目指した。そこに女が先回りしているとは知りもしないで。
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