2017

大倶利伽羅はこの女の扱いに酷く手を焼いていた。慣れ合うつもりはないと散々言ってきたにもかかわらず、なおもずかずかと人の部屋に入り込み、あまつさえ菓子鉢の饅頭を二つも食べてしまった。いったいどのようなつもりなのだろうか。
審神者かつ現主である為、無下にするつもりは毛頭ない。慣れ合いを好まないのは彼の性分なのだ。密な関わりは不要と数えきれぬほど明言してこれとは。こちらから言っておいてなんだが、彼女の行動は最早賞賛に値するのではないかと、近日の大倶利伽羅は思い始めているのであった。

「おい」

二つに折った座布団を枕にして庭の方向くnameの背中に声をかける。返事がないということは眠ってしまったのだろうか。寝息は聞こえないが、はたして。
おおよそ溜まりに溜まった仕事を放り出してここに来たのだろう。長谷部に見つかったらただでは済まされまい。
似たような出来事が以前にあった際、何故か大倶利伽羅がnameを匿ったことになっており、とばっちりで長谷部の説教を喰らう羽目になったことを思い出した。
大倶利伽羅は己の額に手を当て溜息をつく。
小春日和の縁側は、風がないせいもあってぽかぽかと暖かい。
手入れをしていた刀を置いて大倶利伽羅は姿勢を崩す。長谷部の慌ただしい足音が聞こえないかしばらく耳を澄まし、廊下から物音がしないことを確認すると、文机に頬杖をついてnameの背中を眺めた。やわらかな髪が垂れ落ち、うなじが覗いている。その白さは先に降り積もった雪のようだった。中庭に咲く椿の赤によく映えていた。
はたと、己の脳裏に浮かんだ不埒な光景に大倶利伽羅は眉を顰めた。nameの白い肌、そしてそこに浮かぶ赤。
前々から彼はある種の悩みを抱えていた。しかしそれはあまりにも俗物的で、仮にも付喪神である身からすれば恥ずべきことなのだと大倶利伽羅は考えている。
nameの肌に触れてみたい。ただ触れるのではない、彼女の体温を己の指先(願わくば己の肌)で感じてみたい。身体の奥から、渇きのように彼の細胞が大倶利伽羅自身に訴える。
彼がその感情について理解しているかはさておくとして、人は長らくそれをこう呼んできた。愛、と。
刀のままならいざ知らず、人の身を得たことにより彼のささやかなる望みは叶えるに容易いであろう。しかし肝心の大倶利伽羅は、やれ慣れ合うつもりはないだの群れるつもりはないだのと、他人を側に寄せ付けない。
が、nameときたらお構いなしにやってきて、まるで猫のようではないか。
大倶利伽羅はふと思う。猫と同等であるならば、頭を撫でるぐらいしてもいいのではなかろうか。
そろりとnameの方へにじり寄る。相変わらず微動だにしないname。人差し指で剥き出しの肌に触れる。ちょうど首と肩との境目あたりだった。

「……」

あたたかい。大倶利伽羅はしみじみと思った。人の身体はあたたかい。

「伽羅ちゃん仕留めたりー!」

寝ていると思っていたはずのnameが突然がばりと起き上がり、大倶利伽羅の腰辺りに抱きついた。気を抜いていたせいで、不意をつかれた大倶利伽羅は全身の毛が逆立つほどに驚いた。辛うじて声は上げなかったものの、心臓が口から半分ほど飛び出してしまったのではないかと焦るぐらいであった。

「どしたの?凄い顔してるよ」

「いや……別に……。というか、おい、離れろ」

「離れないよせっかく捕まえたのに」

臍の位置から見上げるnameの顔をなるべく見ないようにしながら大倶利伽羅は主の身体をの引き剥がそうとする。細い腕のどこにそんな力があるのかという強さでしがみつくnameに、先程の己の行動を激しく後悔するのであった。
いひひ、と笑いながら体勢を変えたnameは大倶利伽羅の腿に頭を乗せる。「今日はあったかいねー」と暢気にあくびをするname。

「伽羅ちゃん、手、貸して」

言われるがまま、大倶利伽羅は右手を差し出した。nameは彼の右手に自分の右手を合わせる。触れ合った手の平。

「どう?」

「どうと言われても困る」

「あったかいね」

「……」

まさか心の中を見透かされていたとでも?一瞬ドキリとするも、あり得ないと一蹴する。
重なった手の平から己の中に潜む欲望を知られてしまうような気がして手を離す。が、nameは彼の手首を掴むと今度は指と指を絡めて手を繋ぐ。

「大きな手」

「あんたなぁ、いい加減にしろ」

「でも初めに触ったのは伽羅ちゃんだよ」

それを言われてしまえば黙るしかない。

「人の身体も悪くないでしょ」

「さあな」

確かに、と素直に言うのは癪だった。何故ならこんな身体さえ与えられなければ、不毛な渇きに苛まれる必要はなかったのだから。戦に携えられ、振るわれることだけを喜びとしていられたほうが幸せだったのかもしれない。
全身に浴びる血のぬくもり、そして鮮やかな赤。
ポトリ。庭の椿の花が、深緑に生したやわらかな苔の上に落ちる音がした。

「この身体じゃなきゃ、こんなこともできなかったよ」

nameのもう片方の手が後頭部に回される。どうすればいいか、大倶利伽羅にはわかっている。
刀身が血を吸うが如く、俺は今こいつの熱を欲している。当然、猫や馬に触れるのとは違った方法で。きっとそれはもっと乱暴で、爛れた感情を伴っているだろう。

「頼んだ覚えはない」

「……そうだね」

淡く笑んだnameの唇は、刃の切っ先にそっくりであった。
斬られればおしまいだ。

「でも少なくとも、寂しくない」

「寂しさなんて俺には無縁だ」

「そんなことないよ」

「あんたに俺の何がわかる」

引き寄せられ乱暴に唇を奪われたが、彼は冷静だった。

「私は伽羅ちゃんいないと寂しいから」

「それはあんたの都合だろう」

「主だからいいの」

「くだらん」

いたずらっぽく笑ったnameは「さて」と言って素早く立ち上がる。

「長谷部に見つかる前に戻ろっと」

大きく伸びをしたnameの手を掴むのは、今度は大倶利伽羅の番だった。仕掛けられたのならば乗ってやらなくもない。元は刀なのだ。好戦的で何が悪い。
静かなる熱を瞳の奥にちらつかせ、大倶利伽羅はnameの腕を力任せに引き寄せる。再び耳を澄ますが、やはり誰の足音も聞こえてはこなかった。

あなたはこんな欲望を知らない
(と、思っていたのに)
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