2017

いつもと同じ帰り道、いつもと同じ場所。自分よりもふた駅前で降りるnameさんは、俺を乗せた電車がホームを出るまでそこに立って手を振っている。毎日、毎回、いつだって。
彼女は自分が降りるひと駅手前の駅名のアナウンスを聞くと「あっ、次だ」と呟いて、そっと俺の制服の裾を握る。そして駅に着くまで静かに電車に揺られている。外が暗いせいで窓に映ったnameさんの表情がよく見える。ガラス越しに目が合うと、恥ずかしそうに視線をそらすのはもういい加減やめて欲しいと思っているけれど、彼女のそういういつまでも初々しいところに俺は心惹かれていたりする。
「ばいばい」と言って俺の横をすり抜けホームに降りると少し離れたところまで歩いて振り返り、胸元で小さく手を降る。ベルが鳴り、乾いた音と共に扉が閉まる。ゆっくりと滑りだす電車。俺は振り返ってnameさんを見つめる。nameさんも同じように俺のことを見ている。普段は見つめたってろくに視線も合わせてくれないどころか「近いよ」と言って押しのけてくるくせに。
その手の小ささと少しだけ悲しそうな笑顔に俺はいつも胸が苦しくなる。ひと晩経てばまた会えるのに、まるでどこか遠くに行ってしまう人を見送るみたいな顔で俺に手を振り続けるnameさん。
電車がカーブを曲がり、どれだけガラスに顔を近づけ振り返ったところで駅が見えなくなる地点までやってくると、俺はぼんやりと今日いちにちを振り返る。思いだされる印象的な出来事はいくつかあったけれど、最初に思い出すのは決まってついさっき見たばかりの白い小さな手についてだった。
「赤葦くん、あのね」困ったように眉を下げて、控えめに俺の名を呼ぶnameさんをたった一人であんな場所に置き去りにしてしまうということ。それはまるで自分が彼女に、とても酷い仕打ちをしているように思えて仕方がない。

いや、これはただの通学なのだ。

ふと我に返る。冬の寒さと夕闇の濃紺が、そして17歳という年齢が俺を感傷的にさせているだけに違いない。ありふれた景色。ばいばい、また明日。そんなやり取りは世界にゴマンと溢れている。
でも、それでも。すぐそばの席が空いたけれど、どうせすぐ降りるので俺は吊革につかまったままでいる。急カーブを曲がったせいで吊革がキシキシと鳴った。
大分ヤバいと自分でもわかっている。淡白そうだとよく言われるし、確かにどちらかといえばあまり何かに感情を動かされるタイプの人間ではないと思う。だからこそ、のめり込んだ時の落差の激しさに人は驚く。そんな俺の一面を見るのはごくごく限られた人数だけなのだが。

最寄り駅に滑りこんでくる電車。吐き出される人々。また今日も一日が終わろうとしている。

「寒いね」

「雪、ちょっと降ってましたからね」

「積もらなくてよかった」

昼間にちらついていた雪は積もることなくやんでしまったけれど、思わず肩をすくめてしまうほどの北風は相変わらずの強さで吹いている。俺もnameさんもコートにマフラー、手袋という重装備だった。それでも寒くて、俺はnameさんの手を握ってみる。手袋のせいでわからないけれど、きっと彼女の手は冷たいのだろう。
混みあった駅構内、はぐれないようにと握りしめた俺の手をnameさんが「待って」と解く。手袋を外したnameさんはその手を俺に差し出して「この方がいい気がするな」とはにかんだ。「そうですね」と俺も手袋を外してその手を取った。案の定冷たい手だった。
街の灯が流れていく。ひっそりと髪を耳にかけたnameさんの柔らかな頬を盗み見る。電車の中は暑いぐらいに暖房が効いていた。

「明日は部活お休みだね」

「土曜休み、珍しいですね」

波打つ電線。光の川みたいなテールランプの列。幾つもの駅を過ぎていく電車。

「また明日じゃなくて、また来週、だね」

聞き慣れた駅名をアナウンスが告げていた。発車した瞬間、僅かにnameさんの体がぐらついてこちら側によろめいた。軽い身体を受け止めて「大丈夫ですか」と顔を覗く。

「大丈夫……じゃないかも」

「……」

「嘘だよ、大丈夫だよ。ありがとう」

耳を赤くしてえへへ、と困ったみたいな顔で笑ったnameさんに、俺はどんな言葉をかければいいのかわからない。ただ、喉の奥に何かがつっかえてしまったような息苦しさを感じていた。余程俺が変な顔をしていたのか、nameさんは「変なこと言ってごめんなさい」とすまなさそうに眉を下げた。

「あ、着いた」

知らず知らずのうちにnameさんの降りる駅についていたらしい。開いたドアからホームに降り立ったnameさんは、やっぱりいつもの心細そうな表情で俺を見た。
また来週。nameさんがその言葉を言い終えた時、彼女の身体はホームに立った俺の腕の中だった。赤葦くん?と戸惑った声が胸元から聞こえてくる。寒さのせいで普段よりもはっきりとしているnameさんの輪郭を全身で確かめる。深く息を吸えば甘やかな香りが冷たい夜気と共に肺を埋め尽くした。
顔を上げればちらちらと白いものが舞っている。どうやらまた降りだしたらしい。発車の合図とドアの閉まる音、それに続いてやかましい音をたてながら電車は次の駅へと走り出す。喧騒がいつもより遠く感じるのは雪のせいだろうか。

「好きです、nameさん」

俺達はさよならの仕方がいつもわからない。

【カーテンコール】
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