2017

(PCサイトより再録、加筆修正)

私、調査兵団に入る。
数年前、憲兵団に配属されたnameにそれを唐突に告げられたのは、自分の調査兵団団長の任命が決定した翌日のことだった。

年の離れた妹、言ってしまえばそんな関係だと思っていた。
訓練兵ながらに彼女の実力は際立っており、その噂は風の噂で自分の耳にも届いていた。その姿を実際にこの目で見たのはいつだったか、訓練兵の視察に赴いた時であった。
軽やかに立体起動装置を操り、無駄のない動きで急所を突く。荒削りながらもそれは目をひくもので。乾いたガスの音ともに着地した彼女に私は二言三言(どのような内容だっただろうか、今は忘れてしまったが)アドバイスをした。はい、はい。真剣な眼差しで私の言葉に耳を傾けるその若い情熱に、目を細めずにはいられなかった。
鍛えたらさぞ伸びるだろう、そんな私の予感は確かに当たっていた。そう確信するのはもう少し先のことになるのだが。
訓練解散後のざわめきの中、帰ろうとする私たちの元に先程の少女が駆け寄ってくる。すこし汗ばんだ額に、細い髪が幾本か張り付いていた。

「先程はありがとうございました。私、あの…」

「どうした?」

「不躾なお願いなのは承知の上なのですが」

「なんだ?折角だから言ってみるといい」

そう促すと、彼女はおずおずと口を開く。

「お手本を…見せていただくことはできますか?」

「立体起動装置のかい?」

「はい」

そのあまりにも、言ってしまえば無遠慮な嘆願に周りの者は呆れるやら驚くやら。しかしおずおずとした物言いとは裏腹に、私の目を見つめる双眼にはチリチリと揺らめくものが見えた気がした。
本来忙しい我々がそのような事をするのは滅多にないのだが、そう前置きをして彼女に明日の同じ時間にこの場に来るように告げた。私とて時間をもてあます身ではない。が、有望な若者の努力をささやかながらにも後押しできるのならば。驕りかもしれないがそう思ったのだ。そしていつかは調査兵団に入団し、その実力をいかんなく発揮して少しでも兵力の足しになれば申し分ない。

「よし、ここまでにしよう」

「はいっ!本当にありがとうございました」

「ほとんどのコツはおおよそ掴めている。あとは細かな技術を磨いていけばいい」

「はい。あの、スミスさん」

「なんだ」

「私、憲兵団に入りたいんです」

「はは。私を前にしてそれを言うのかい」

「すみません」

そう言って彼女は頭を垂れた。

「スミスさんが調査兵団ということはもちろん存じています。でも、ちゃんと言わないといけない気がして」

「そうか、別に進む道は君が決めることだ。気にすることはないさ」

当然だと思う。一度の壁外遠征で大半が死ぬような調査兵団に入りたいというほうが驚きだ。

「ただ、私は調査兵団の一員であることに誇りを持っている。だから君も、どこに配属になったとしても誇りを持って任務に従事してほしいと思う」

「はい、もちろんです!」

「ならばよかった」

そう言って腰を上げる。茜色ににじんだ夕日はすでに山の端に沈みかけていた。
その後も人材発掘のため何度か訓練兵の視察に訪れるたびに、なにかとnameのことを気にかけた。そして彼女に頼まれれば特別に自主訓練の面倒をみることも度々あった。仲間内では時々「子供に熱でもあげてるのか」と揶揄されることもあったが、一を教えれば十返ってくる結果は、中々教え甲斐のあるものだった。
年月は流れ卒業生たちの配属が決まる日の夕暮、nameが私のもとにやってきた。

「私、憲兵団に入ることが決まりました」

「君ほどの優秀な成績なら当然さ。まぁ、私としては調査兵団に入ってほしいというのも本音だがね」

はは、小さく笑って付け足した。「きっと君ならいい即戦力になる」

「あの、スミスさん」

nameの癖。言い淀むと、私の名を呼んで伏し目がちになる。まつ毛の影が白い肌に落ちて、私は密かにそれを美しいと思っていた。言いたいことは大概予想がついた。

「私、スミスさんのこととても尊敬しています」

「ふむ」

そしてまた伏せられる睫毛。もどかしい。けれど私はその肩に手を伸ばしたりはしない。してはならないのだ。
それだけです。彼女の口からポロリと零れたその言葉に肩透かしを食らう。「それだけです」微かに揺れた空気と行き場を失って宙ぶらりんになり、言われることのなかった(であろう)言葉。

「今日で卒業ですが、御迷惑でなければまたご指導よろしくおねがいします」

ぺこりと頭を下げてnameは踵を返した。
あの今にも泣き出しそうな瞳を私は今でも忘れてはいなかった。

あの時儚く滲んでいた瞳。そして今、その瞳は揺らぐことなく私の目を、恐らくは私のもっと奥底を見つめて離さない。
たった数年で彼女は憲兵団の分隊長にまで地位を上げ、そしてとても逞しくなった。この私に正面を切って、歯に衣着せぬ物言いをするほどまでに。

「name、今何と言った」

「私は、調査兵団に入る」

ゆっくり、噛み締めるように、突き付けるようにnameは口にする。私は心の中でこの瞬間がやってくるのを恐れていたんだと思う。

「言ったよね、昔。私が調査兵団に入ればいいのにって」

挑戦的な目。あぁ、やめてくれ。あの時私は君のことをただの駒として見ていただなんて、どうして言えようか。
しかし時は流れ、宙ぶらりんだった言葉は着地点を見つけ、nameは私をエルヴィンと呼ぶようになった。

「ああ、確かに言った。しかし」

「私ね、エルヴィンを守りたい」

私は絶句した。守る?私を?この小さな女が?まさか!
彼女の実力は重々承知しているけれど、それを前提としてもその発言はあまりにも空想的なものに思えた。

「name、君は少し落ち着いたほうがいい」

「落ち着いてる」

やめろ、やめてくれ。

「考え直すんだ」

「もう決めたの、何度考え直しても変わらない」

こうなったら梃子でも動かないことは知っていた。手を固く握り、まっすぐな瞳でじっと私を見つめる。その小さな手で、身体で、一体どうやって私を守るというのだろうか。有能な駒の一つ。以前、君の存在理由の大半はそれだった。けれど今となっては。

「name」

静かに私は口を開いた。

「私は百人の命と君ひとつの命、天秤にかけるのなら迷わずに君の命を切り捨てねばならない」

彼女は頷くこともせず、微動だにしない。

「しかし、もしそれが出来なかったら?私のほんの少しの私情によって判断が遅れたらどうする?name、私は…」

そうだな、私はただの馬鹿なのだ、きっと。冷徹を気取った馬鹿な男なのだ。それを誰かに、否、nameに気が付かれるのをただひたすら恐れていたのだ。

「いいよ、私の命なんて切り捨てて」

意志のこもった言葉がやさしく私を貫いた。

「私ね、足手まといになんてならないよ、エルヴィン。たとえ死んでも食らいつく。私はあなたの盾になる」

馬鹿にしないで。彼女は幾らかの怒気をはらんで私に言い放つ。あぁ、いつの間に君はこんなにも立派になったのか。私の背にあこがれた君(自惚れだろうか)、その手を取り足を取り育て上げてきた少女の背中を今は私が見ているとは。不思議なものだ。ふ、とひとつ息を吐く。

「覚悟はできているようだな」

「あたりまえ」

「すまなかった」

「いいの。私ね、エルヴィンの為なら命なんて惜しくない」

「そんなことを言ってはいけない」

「本当よ。何より、それは私の誇りだから」

それは昔、私が彼女に言った言葉だった。この場、そしてこのタイミングで返ってくるだなんて、あの時の私は思いもよらなかっただろうに。

「だからエルヴィンはドーンと構えてればいいの」

そう言った君に、君のことも守らせてくれだなんて、とてもじゃないが言えはしなかった。

「name、君には参ったよ。これからもよろしく頼む」

「今更なお言葉をどうもありがとう」

言っとくけど、私あなたのこと大好きよ。
秘めやかに呟くnameは、魅惑的な睫毛の影を頬に落とす。そうやって君はいつも私を混乱させるのだ。

【あなたのためのわたしなんです】
(20130803)
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