2017

(PCサイトより再録、加筆修正)

先程まで小降りだった雨は段々と勢いを増し、今や窓ガラスを叩く音が聞こえるほどだった。灰色に染まる街を、より一層乳白色に染め上げる霧が辺りにたちこめる。ひと雨ごとに少しずつ下がってゆく気温に迫りくる秋の気配を感じながら、ずり落ちかけたショールをたくしあげた。静かな休日の昼下がり、エルヴィンは自室にこもり持ち帰った仕事を黙々とこなしている。
明日の夕食、何にしよう。昨晩彼に尋ね、返ってきたのは「ロールキャベツ、どうだろう?」だった。自分の主張する部分ははっきりと、そしてそのあとにきちんと私にも伺いを立ててくれるエルヴィンは本当によく出来た男だと思う。そしてそれが時たま私を不安にさせる。
ひっくり返したキャベツの芯をくり抜き、広口の鍋に湯を沸かしてそれを入れる。ぼこぼこと湯が沸き、段々とキャベツの葉が透き通っていく。きっちりと重なり合っていた葉は淡く鮮やかに茹だり、ゆるく葉がはがれてくる。流水で流し粗熱を取って、葉と葉の間に指をさしこみ破らないようにゆっくりと一枚ずつ剥いでゆく。
そしてふと、昨晩のことを思い出す。
エルヴィンが昨晩私にプレゼントしてくれた下着も、こんな淡いグリーンだった。ピンクや赤が王道のキュートなランジェリーの中で、このグリーンの一式は彼のお眼鏡にかなうには十分なものだったらしい。
キスもそこそこに手を引かれて連れ込まれたベッドで「開けてごらん」と渡された白い箱の蓋を取れば、上質な光沢とさりげなく透ける下着が現れる。

「さぁ、着てみなさい」

「いいけど、ちょっと後ろ向いてて」

「わかった、なんて言わないことぐらいわかっているだろう?」

「恥ずかしいから」

そう言って私は自分から背中を向けるけれど、がっしりと肩を掴まれてしまえば頼りない私の身体はいとも簡単に反転させられてしまうのだった。「さぁ」口調は穏やかだというのに、彼の熱い視線は私に有無を言わせない。
私はベッドから数歩下がった床に立たされる。そしてエルヴィンはベッドに腰掛け、まるで絵画でも鑑賞するかのように私の姿を眺めていた。敷かれたカーペットに足が沈み、身体だけでなく心までもが覚束ない。舐めるような視線に、触れられてもいない身体が熱くなった。
身につけている下着を上から順に脱いでゆく。ぱさり、ぱさりと乾いた音が二度部屋に響いた。ひんやりとした夜の空気が身体を包み、二の腕にぞわりと鳥肌が立つ。

「ほら」

ブラ、ショーツ、そしてベビードール。差し出された順に私はそれらを身に纏う。全てを身につければ、それはまるで初めから私の皮膚の一部であったかのようにしっくりと馴染んでいた。

「私の目に間違いはなかったな」

「私の下着、自分で選んだのよりあなたが選んだものの方が多いぐらい」

「いいじゃなか」

「そうね、」

いつまでも一人で立っているのが気恥ずかしくなり、ベッドに上がりエルヴィンの隣に腰掛ける。すると彼は入れ違うようにしてベッドから降り、腰掛けた私の足元にひざまずく。意図が分からずに小首を傾げれば、かかとがそっと彼の手の平に乗せられ足の甲に口付けられた。その仕草はひどく扇情的で、背徳的だった。
エルヴィンはそのまま親指を口にゆっくり含み、舌を使って優しく私の指を犯す。執拗に、何度も。あまりの光景に私は喉をのけぞらせて息を呑む。

「いいね、name。きみのその白い喉元は本当に美しい」

「何よ、それ……」

「食いついて、噛み千切ってしまいたくなる」

「また言って、る」

あ、と小さく声が漏れる。親指はすでに半分ほど溶解し、いつしか飴のように溶けていく。
私のほんの小さな喘ぎ声すら聞き逃さないエルヴィンは、おもむろに立ち上がり私に覆いかぶさる。いましがた着たばかりだというにもかかわらず、彼の指はすでにブラジャーのストラップにかけられていた。
私が彼を包んでいるはずなのに、実際いつも感じるのは彼が私を包む感覚だけで。頭はいつも混乱してしまう。互いの身体からとめどなく溢れるありとあらゆる液体を味わいながら、私たちはベッドを楽しむ。けれど実際には楽しむ暇などなく、逃げ場もなければ抗いようもない快感にひたすらうち震えるだけなのだけれど。
終わった後に感じる心地の良い疲労感とけだるさはわ幼い頃に遊び疲れてベッドの中で感じたそれとほとんど同じだった。

まだ明るい時分だというのに、昨晩の情事を思い出し湿った吐息をこっそりと吐き出す自分を恥じて、ボウルに入れたロールキャベツのタネを混ぜる手に力を込めた。冷蔵庫から出したばかりの挽き肉の冷たさに思わず手を引っ込めそうになるけれど、小さな戒めとして手を動かし続ける。粘り気が出たところで小さく形成しバットに移す。軽く茹でて柔らかくなったキャベツを敷いてタネを乗せくるくると巻いて、葉が開き型崩れしないようにパスタで止めてゆく。その一連の作業を私は無心でおこなった。
スープを入れた鍋に先程作ったロールキャベツを並べ、中火でしばらく煮れば、何とも言えないいい香りがキッチンを包み始めた。
何をするでもなくシンクの淵に手をついてぼんやりと鍋を眺めていると、背後でリビングの戸が開く音がした。

「匂いにつられて来てしまったよ」

「リクエスト通り、今日はロールキャベツにしたの」

「それは嬉しい」

背中でエルヴィンを受け止める。私のつむじ辺りに顎を載せてエルヴィンはくんくんと鼻を鳴らす。「ほら、煮えてきた」そう言って蓋を開ければ、トマトや肉汁の煮込まれた香りを存分に含んだ白い湯気が溢れ出して私たちを包む。「うん、いいね」でも、とエルヴィンはいたずらっぽく続ける。

「それが煮えるまで、あとどれぐらいだろうか」

「3、40分は」

答えた私の鍋の蓋を持つ手を取り、エルヴィンはそれを鍋の上に置きなおす。脇の下から二本の筋肉質な腕が滑り込み、大きな手のひらがまるで何か別の生き物のように私の身体をまさぐってゆく。強く、弱く、直線的に、弧を描きながら。耳鳴りの向こうで、煮える鍋のぐつぐつという音だけが酷く大きく耳に届いていた。

「だめ、火を見ていないと」

「だったらここですればいい」

「明るいし、いや」

「目を閉じればいい」

「そういう問題じゃあ、ない……」

そう言ったものの、恥ずかしさと快感に目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのは、しっとりと煮込まれたロールキャベツを丁寧な手つきで切り分けるエルヴィンの姿だった。煮込まれてグズグズになっそれがナイフによって切り開かれた途端、透明な肉汁の輪がスープに広がってゆく。滴るスープをこぼさぬように静かに口に運ぶエルヴィン。柔らかく煮込まれたキャベツや肉は、彼の口に中で溶けてゆく。飲み込む度に上下する喉仏。きちんと味わおうとするかのように閉じられる瞼。そんな映像がスライドのようにして流れていく。悔しいけれど、食事をする彼はいつにも増してセクシーなのだ。
あぁ、と吐息交じりに零れた喘ぎ声は湯気の中に消えていった。その湯気に交じって微かにエルヴィンの匂いをかぎ取った次の瞬間、気づけば私は彼の首に腕を巻きつけていた。
大丈夫。彼ならきっと丁度良い頃合いで事を終わらせてくれるから。そう自分に言い聞かせて。

【おいしい舌】
(20130915)
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