2017

ミケは優しい。その優しさに時々私はどうしていいかわからなくなってしまう。少なくとも私に好意を持っている彼は、どうしようもなく寂しい夜を同じベッドで過ごすにはうってつけの相手で。そこに愛がない訳ではないけれど、愛し合っているかと聞かれた時、私は嘘偽りなく「はい」と言えるのだろうか。
逞しい腕と乾いた肌。私の髪を撫でる湿った手のひら。慈しむような手付きに私は安心してまぶたを閉じる。ミケの腕の中は不思議とよく眠れる。どれだけ不安な夜でも、どれだけ気持ちが昂ぶった夜でも。

「寒くないか?」

「全然」

むしろその逆だった。ベッドの中はあたたかかった。昼下がりに取り込んだばかりのシーツの、まだ太陽の名残すら感じられるようなあたたかさ。
私はミケの脇腹にぴったりと頬を寄せる。隙間なんてどこにもないぐらいに。そうするとミケも私をぎゅっと抱きしめてくれた。セックスの後だから、私達は何も身に着けていない。無防備なのは姿だけだ。ふと、そんな事を思った。
何度も伝えようと努力はしたけれど、言葉は喉より上には出ていかなかった。言いかけては飲み込んで、身体を求めた。そうすることでしか分かり合えないような気がした。
道すがら出くわした結婚式。幸せそうな二人を見る私の隣でミケは、何も言わずにただ私の肩を抱き寄せた。それが全てだった。
願っても手に入らないものばかりだ。諦めたはずなのに、まだ欲しがるなんて。私はなんて浅ましいのだろう。
ミケは優しい。だから私が欲しがるものを、彼の精一杯で私に与えてくれようとする。たとえ私が応えられなくても。

「明日が非番でよかった」

「どうせエルヴィンに呼び出されるんでしょ」

「居留守でもなんでも使えばいい」

そうやってミケは私を甘やかす。明日、まる一日私のそばにいるつもりなのだ。部屋からも、ベッドからも出ずに。
キスをひとつして、またもうひとつ。何度も重なる唇はやがて深く交わる。
私の不安がきっとミケにも伝わっている。まるで病のようだった。それでも真っ直ぐな瞳を私に向けるミケは揺るぎない。広い背中と私をすっぽりと包む大きな胸板。勿論肉体的にだけではなく、精神的にも。
触れられた場所が熱い。血が流れるような痛みすら覚えて、私はミケの身体に顔を埋めて表情を歪める。小さな子どもがするみたいにしがみつき、肌に爪を立てた私をミケはそっと抱く。言葉はない。あったところで意味など成さないと、彼は知っている。

「まだ足りないか?」

足りない、と私は呟く。もっと欲しい。ミケが、ミケの全てが。本当は泣きたかった。泣けたなら、どれだけ良かっただろう。私には泣き方がわからない。

「ミケ、」

ごめん。好き。ごめん。
うわ言みたいに繰り返す。ミケは何度も頷きながら「うん」「ああ」「嬉しいよ」と返事をしてくれた。
愛、だなんて。その言葉の定義の中に、この感情は到底収まりきらなくて。両手の指の隙間から、こぼれ落ちては透明な雫になって滴り落ちる。そしてそれは、音もなくシーツに染みこんでゆくのだった。
刃を振るうのと同じだけの真っ直ぐな気持ちで、一点の曇りもなく彼を愛せたらどれだけ良かっただろう。
そう、ここに愛はない。少なくとも私の中には。愛によく似た感情。漠然とした恐怖と寂しさに「愛」という名の衣をまぶしたまがい物。口の中に入れたが最後、つかの間の甘さの後には必ず致死の苦みに喉が焼けつき、もがき苦しむことになる。
ミケは優しい。私は、多分、ズルい。「好き」なんて言葉で恋人みたいな気持ちになって。全身でぶつかる勇気も、向かい合う努力もしないで。ただ、身体だけを重ねて体温を分かち合うだけで。
その分、真昼のミケとはすこぶる良い関係を築けている。分隊長と部下。明瞭な関係性。それを正しく演じていれば、滑らかに私たちは過ごしていられる。
けれど、私は彼のシャツの下の体温に触れたいと思ってしまう。ミケも、そうなのだろうか。ミケは夜と変わらない、柔らかな眼差しで私を真っ直ぐに見つめてくれる。

「明日、呼び出しがないといいね」

辛うじてそう言った私の身体は、ミケの手によってゆっくりとシーツに沈んでいった。

【言葉にしても届かないもの 】

nameは俺を優しいと言うが、俺は決して優しくなんてない。そうしていれば、nameは俺の元から離れられなくなると知っているから。だから優しい「ふり」をする。どんな形であれ、彼女を腕の中に閉じ込めてしまいたかった。
俯いた頬に落ちるまつげの影の痛々しさ。全てを抱えたうえで綻ぶ笑顔の儚さ。細い腕に見合わない腕っ節の強さ。そのアンバランスさは俺の心を惹きつける。
何度身体を重ねても、俺達はうまく愛を交わせない。言葉にしようとしても上手に紡げず、どんどん間違った方向に向かっていってしまうのだ。まるで舵を失った小舟みたいに。その小舟の行き着く先が、知りたくもない未来が詰まった暗闇かもしれないことを、俺達は、殊更nameは恐れていた。
どっちつかずの、独り寝の寂しさを紛らわすための関係で丁度いい。
好きだ、と囁くたびに身体を固くするname。その言葉を素直に受け入れるのがまるで悪いことのように、いつも困った顔をする。
目を閉じて瞼の裏に浮かぶのは決まって、夜の闇を背負ってそんな表情をしたnameの姿だった。昼の眩しさに比べ、夜の静けさはお互いの機微を如実にあらわし輪郭を作り出す。太陽のもとでは見えなかった本心が、震えるまつ毛の先でちりちりと白く光るのだ。
言葉なんてなんの由もない。そこにある、取り繕うことのできない体温が全てだった。第一に、俺達には語るべきことなんて何もなかった。nameが俺に求めるものは、温もりと許容なのだった。だから俺は、甘受してその役割を果たすだけなのだ。
ミケの目が好き。柔らかくて、包み込むみたいな。そう言って肩口に頬を寄せるnameに、俺はそっとキスをする。
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