2017

ちんまりとした姿でnameさんは立っていた。いつまでも開けられた扉の前から動かない彼女に手招きすれば、「き、緊張する」と言いながらおずおずと教室の中に入ってくる。誰もいないのだから緊張するもなにもないだろうに。可笑しくて俯いて笑ったことに、忙しそうにあたりを見回す彼女は気付いていない。
俺の席は窓際の一番後ろだ。ちょこちょこと俺の元まで歩いてきたnameさんにどうぞと席を譲ると、わぁ、なんて言いながら座って机の表面を撫でていた。

「nameさんの教室のと同じですよね」

呆れ声をわざわざ作った俺だったけれど、その後にnameさんが言った「同じだけど、赤葦くんがいつも使ってる机なんだ、って思って」という言葉にたまらなくなって視線をそらす。耳が、熱かった。
見慣れているはずなのに、3年生であるnameさんが自分の教室にいるというだけで、なにか特別な光景のように感じる。はにかんだような笑みを浮かべて俺を見上げる姿に、もし彼女がクラスメイトであったならとありもしない妄想を重ねてしまう。

「私も赤葦くんと隣の席になってみたかったなぁ」

「隣の席より、もっと近くにいるじゃないですか」

残念そうな顔で机に突っ伏したnameさんの髪を撫でる。放課後の教室には俺達しかいない。
指先の体温に素早く反応して起き上がったnameさんは、なにか(多分、この前した何度目かのセックスとか、昨日のキスとか)を思い出したのか、面白いほどにしどろもどろな態度をみせた。
もうすこし、いや、やめておこう。くるくると変わる彼女の表情をひとつでも多く見てみたくて、俺は時々やり過ぎてしまう。でもそれは俺だけのせいじゃなくて、可愛すぎるnameさんにも責任の一端はあると思う。
開け放してある窓からは、甘い春の風がゆるく吹き込んでくる。何人かの男女がふざける声を窓の外に聞きながら、俺はnameさんの手をとって立ち上がらせた。なあに、と小さく動く唇を、早く欲しいと思った。
ばさり。不意にそよいだ風に、片側に寄せてあったカーテンが膨らんだ。
茜色に染まる街を、肩を並べて眺める。私の家はあっちかな、きっと。俺はあっちです。知ってるよ。俺だって知ってます。
西へ向かう三羽のカラス。飛行機雲のかすれた直線。鈍い銀色をした窓のサッシに両手を揃えてのせているnameさんは、景色と俺とを交互に見てはやわらかく微笑んだ。
ゆるやかに流れる時間は、明らかに普段とは異なっていた。ここに、nameさんがいるということ。それが全てだった。
バレーと同じぐらい、彼女は俺の心を激しく揺さぶるのだ。けれど、はち切れそうな熱で燃えるバレーとは違って、静かに、でも抑えることの出来ない強さで俺の理性を彼女は奪う。
薄緑のカーテンの中で俺はnameさんにキスをした。甘やかな春の夕暮れの香りと、彼女の揺れた毛先からふわりとかおる髪のにおい。ここだけ時間が止まってしまったみたいな錯覚に陥って、俺は立て続けに唇を重ねる。よろめいた身体を支えながら、脱力したnameさんと一緒に床に座り込む。片腕を壁について彼女を囲えば、逃げ場を失った焦りとこんな場所でこんなことをしている恥ずかしさに、今にも逃げ出そうとするnameさん。

「だめだよ、こんな」

「悪いセンパイですね」

後輩をたぶらかして。額がくっつきそうなほどの距離でそう言うと、nameさんは口をぱくぱくさせて泣きそうな顔になる。嘘ですよ。と言いたいところだったけど、それは嘘ではなくて事実だから、俺は黙ってまたキスをした。

「あ、かあしく、」

「ほら、またそうやって」

俺をおかしくさせるんだ。
ぎゅっとつぶられた瞼を親指の腹でなぞる。苦しそうな呼吸すら愛おしくて、俺は力任せに小さな身体を抱きしめた。
少しの間があって、おずおずと回される両腕。心地良い締め付けと、ぴったり寄り添った体温に、ブレーキが壊れる音がした。
日常からの逸脱によって、明日からこの教室はこれまでと違う空間になる。nameさんと同じ時間を過ごした特別な場所。同じ空気と秘密を共有した、いわば犯行現場。
スカートからのぞく白い太腿が、窓からさしこむ夕日色に染まっていた。

【想う、息をするたび】
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