2017

自室で書類に目を通すザンザスの傍らでnameは微睡んでいた。もうすぐ正午にさしかかろうとしている部屋にはやわらかな光が満ちていた。彼らには夜が似合う、と誰もが口をそろえて言うだろうが、そんな彼らにも世の人々と平等に真昼の太陽は降り注ぐ。
手にしていた書類を置いたザンザスがこめかみに指を当てるのを見て、nameはソファから降り彼の元へと向かう。「コーヒーいれてこようか」そう言ったnameに「いらね」と短く返すと、ザンザスはだるそうに伸びをした。
開け放たれた窓から入る風はすでに初夏のそれだった。美しく磨きたてられた窓ガラスの向こうには、生命力に満ち溢れた青葉が揺れている。珍しく暇なひと月だった。暇、と言っても各々やるべきことは沢山あるのだが、これといって大きな任務もなく、各自の仕事をこなすのみの日々を送っている。
nameはスワヒリ語のテキストを持って、連日ザンザスの部屋に入り浸っていた。先日の夕食の最中、「ザンザスが手取り足取り教えてくれる」と嬉しそうにスクアーロに言っていたnameであったが、恐らくそこにいた全員がその言葉の意味を全く理解していなかったに違いない。そもそもザンザスという男が「手取り足取り」など、と。文字通り手と足をもぎ取るぐらいのことはやってのけるかもしれないが、誰かに何かを「教える」なんて。
実際にはnameが訊ねた個所をザンザスがほとんどひと言で回答するだけなのだが、それだけでもname以外の人間からしたら驚くべきことに変わりはない。確かにあの男にしては「手取り足取り」だ、と。

「疲れたなら休んだら?」

ザンザスの両肩に手を置いてnameは言う。「てめぇが休みたいだけだろ」と一蹴したザンザスの言葉は、しかしあくび交じりなのだった。

「さっさと寄越せばいいものをあのジジィ」

デスクに山になった書類は九代目からのものらしい。nameはどれどれ、と手にして目を通す。

「私たちの任務とかぶらないように送ってくれたんでしょう」

「……知るか」

そっぽを向くザンザスの表情は心底忌々しげだった。「しょうがないなあ」苦笑して彼の頭を撫でるnameは、万年全方位へ反抗期のザンザスを操れるただひとりの人間だった。近しく過ごすヴァリアーの幹部は彼らの仲を知っているが、何も知らぬ者は彼女はいったい何者なのかと驚きの眼差しを向けずにはいられない。ふんわりとした口調であのザンザスを叱り諭し、挙句うまい具合に手綱をひいているのだ。それが一見おとなしそうな女であるのもまた、好奇の目を引く一因であった。
いうなれば旧知の仲、とでもいうのだろうか。しかしそれだけでは語れぬ深い結びつきが二人にはある。多くを知るものはいないが、それがかえって二人の絆をより強いものにしているのは明らかであった。およそ他人に対して無関心無感動、どころか暴力を伴って見下しがちなザンザスが、nameにだけはそうではない。彼が自分以外の人間にそのようにふるまうことができる、という事実を知った人間は、すべからく二人の関係について思いを巡らせずにはいられない。
当の二人にしてみれば、周囲の視線などどこ吹く風なのだが。

「お昼寝しよ」

nameはザンザスの手を取る。彼の指にはめられた指輪がごそごそと動いた。「ほら、ベスターもお昼寝したいって」満面の笑みを浮かべたnameの手を押しのけることはせず、ザンザスは視線を先ほどまで目を通していた書類へ落とす。

「ベスター出してあげて」

「るせぇ」

「おいで、ベスタ―」

彼女の声に姿を現したベスターは、本来の主であるザンザスの顔色を窺うようにちらりと視線を送り、少し申し訳なさそうな表情でnameの身体に胴を擦り付けた。「いいこ」と頭を撫でられ満足そうにのどを鳴らすベスターに、ザンザスは舌打ちをする。「勝手な真似を」と言う彼だが、開匣したのはザンザス自信なのだった。

「あー……気持ちいい」

絨毯の上に伏せたベスターにもたれ掛かってnameは大きなあくびをした。ザンザスもおいでよ、と既に半分眠りかけているname。呑気な姿の彼女に向けて、自分のやる事は終わっていないだろうというような視線を投げかけると、ザンザスはひっそりとあくびを噛み殺した。
頭を使い、身体を使えば自然と腹が減り、眠たくなるものだ。彼は本能に忠実な己の肉体が好きだった。単純明快。行動する前に深く考えるのは、彼の性には合っていない。
が、今はそうも言っていられない。未だ終わらない反抗期の最中にあろうとも、ヴァリアーのボスとして、九代目から送られてきたこの書類に関して一日たりとも返答を遅らせることは彼のプライドが許さない。再び手にした書類に視線を落としたザンザスだったが、ふいに起き上がったnameに腕を取られる。

「はい、休憩ー」

「はなせ」

「ベスターも呼んでるよ」

ね、ベスター。と言ったnameの言葉に、まるで大きな猫のように喉を鳴らすベスターだったが、ザンザスに鋭く睨まれバツが悪そうに鼻を床に擦り付けた。

「ほらほら、さっきあくびしてたの見たもんね」

「知るか、触るな、邪魔だ」

お決まりの三語を口にしたザンザスは、けれど、ぐいぐいとnameに腕を引かれるがまま椅子から立ち上がる。それに気をよくしたnameは、そのままザンザスの腰めがけて抱き付くとベスターの腹のあたりに二人もろとも倒れ込む。グ、と一瞬呻いたベスターも、珍しく自分に触れる主の体温に満足したのか大きく口を開けてあくびをした。

「てめ、」

掴み掛ろうとするザンザス。その腕の隙間を縫ってnameは彼に腕を回した。

「はぁ、あったかい」

仰け反るような体勢でザンザスを見上げるnameのこの上ない満足げな表情に、ザンザスは何もかものやる気が失せるのだった。ち、と舌打ちをして、仕方ないから一緒に寝てやるんだという表情を作ると、ベスターのやわらかな腹に背中を預けた。
二人と一匹の穏やかな寝息が響くのにそう時間はかからなかったが、至急の用でザンザスの部屋を訪れたスクアーロは完全に入るタイミングを見失い、扉の前で大きなため息をついたのだった。

【誘惑のスイートタイム】
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