2016

皺になったシーツの上。私に背を向け寝転がって煙草をふかしている繋心の耳には今日もピアスが付いていなかった。

「イイ子ぶっちゃって」

「あー?俺はいつだってイイ子なんだよ」

「笑えないわー」

面倒くさそうに視線だけで振り返られたことに少しだけ腹が立ってこちらからけしかける。耳朶を唇で食んで、何もつけられていないピアスの穴に舌を這わせる。ふたつの僅かな凹み。ふたつのうちひとつは私が誕生日にあげたピアスだった。私と会う時ぐらいつけてきてくれたっていいのにと思うほど可愛い性格はしていないし、仮にそうだったとしても、もうそんなことを言おうと思うような関係ではなかった。たかがピアス、なのだ。それがたとえ誕生日のプレゼントだったとしても。

「楽しそうだね、バレー」

「まあな」

「羨ましいわ、仕事以外にそういう楽しみあるとか」

「じゃあお前もなんか趣味作れよ」

「無理無理、休みの日ぐらいゆっくりしたいから」

ごくごく普通のOLをしている私と高校生や近所のじじばばを相手にしている個人商店の店番とでは疲労度だって(主に精神的な)全然違う。休みの日まで駆り出されて身体を動かすなんて、考えただけでげんなりしてしまう。
なんていいながら土日の早朝は鵜飼家の畑で繋心の手伝いをしているんだけど。まぁ、どうせ朝まで一緒にいるのだから朝早く起きて私のアパートから出ていく繋心について行っているだけといえばそれまでなわけで。それでもまだ夜の残る朝の空気はタールのこびり付いた肺には清々しいまでに透明だし、なんというか、さっきまでの自堕落で淫蕩な自分からつるりと一皮剥けることができたような気にさせてくれるのだった。
それは勿論気のせいであるし、朝の空気を肺一杯吸い込んだところで私のような人間も、そして私と繋心の関係もきっと変えることなのできないのだ。
コーチをしている部活が終わるのが夜七時、そこから私の部屋に来て八時、身体を重ねてシャワーを浴びるのが十時。
折角シャワーを浴びたのに繋心がすぐに煙草を吸うせいで、髪には既に煙たいにおいが沁みついていた。とっくの昔に私は煙草をやめていたけれど、灰皿は捨てられずにいた。灰皿がないとわかるときっと缶ビールの空き缶を灰皿の代用にしかねないし、そのごみを捨てるのはどうせ私の役目なのだ。繋心との記憶はいつも煙草のにおいを纏っている。

「明日もだっけ」

「大会近いからな、俺も気合入れてかねーと」

「嫌にならない?」

「なにが」

「きらっきらの高校生と一緒にいて」

「……」

「嘘だって。てか懐かしいわ、高校時代」

「あの頃から比べたらお前も歳とったよな」

「あんたもだよ」

そりゃそーか。と言って繋心は咥えていた煙草を灰皿に押し付けるとごろりとベッドに仰向けになる。「てか歳とったとかいう年齢じゃないし」何か考えているらしく天井をじっと眺めていた繋心の頭を引っ叩けばギャハハと何が面白いのか昔から変わらない笑い声を上げた。
私の母校でもある烏野高校のバレー部コーチに繋心がなったと聞いたときは何かの間違いかと思ったけれど、まぁあのじいちゃんあっての繋心でもあるわけだからなんら不思議ではなかったともいえる。それでも彼の見てくれの柄の悪さはピカイチであるし、坂ノ下商店の店番をしていなければ確実に部員達にもビビられていたに違いない。

「さて寝よっかな」

「もう寝んのかよ」

「疲れちゃった」

「相変わらず体力ねーな」

「体力馬鹿と一緒にしないで」

肩を竦めた私に繋心が覆いかぶさってくる。本当に、体力馬鹿なのだ。引き締まった身体からはもう昔の青さを感じることはできない。その代わりにうっすらとした淀み、そう、まさに煙草の煙のようなものがぼんやりと漂っているような気がした。
逃げようとしたって逃げられない。振り払うふりをしながら彼の首に私の腕が絡む。いつだってキスは煙草の味。小さな耳たぶの、ふたつの穴を貫くように、私はそこに歯を立てた。

【きみと夜の淵】
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