2016

nameって黒尾とかタイプなんじゃないの。隣の席の友人が私の顔を覗き込む。別にタイプなんかじゃないよ。そっけなく言えば後ろからどつかれる。

「おいおいそれ本人がいる真ん前でする話じゃねーだろ」

「あれ、いたんだ」

「nameテメェ」

いつもの何気ないやり取りなのだけどそれが友人には面白いらしく、ゲラゲラと笑われた。

「ほらーなんだかんだで仲良しじゃん」

「腐れ縁」

「そればっかだなお前」

「だってそうなんだもん」

私がため息をついたところでチャイムが鳴る。ばたばたとみんなが席に着くのを横目で見ながら教科書をわざとらしく音をたてて揃えた。
てか黒尾、絶対nameのこと気になってるって。こっそりと耳打ちする友人の表情はいわゆるコイバナをする女の子そのもので辟易してしまう。してしまうけれど、まんざらでもない気持ちもほんの少しだけあった。
前から回ってきたプリントを振り返らずに後ろに渡す。しかし一向に受け取る気配がないので振り返れば、頬杖をついた黒尾が怒ったみたいな顔をしてまっすぐこっちを見ているのだった。
はやく、と唇だけでいうけれど、やはり黒尾は微動だにしない。付き合ってられない。そう思ってプリントを彼の机に置こうとした瞬間だった。

「腐れ縁とか言うのやめろ、マジで」

手首ごと掴まれて私は一瞬ひるむ。何事かと周りの席のみんながちらちらと私達を見ているし、先生に注意されやしないかと焦った私はその手を振り払った。
なに、あの目。あんな目をした黒尾を私は知らない。これまで何度も言い合いや喧嘩はしてきたけれど、それはあくまでもふざけ合いの延長みたいなもので。だから、真剣な怒りをたたえた彼の瞳に私の胸はこれまでになくざわついた。
だって、腐れ縁じゃん、クロの馬鹿。机の上で組んだ腕に顔を伏せて呟く。それ以外の何物でもない。中学一年生から高校三年生の今まで、何故かずっと同じクラスで。小学生の時はクラスこそ違ったけれど同じ学校だった、ということをクロから聞かされたときは心底驚いた。
でも、それだけ。確かにクロはカッコいい。バレーをしている姿も、普段の教室でも。それなりに人気はあるようで、仲良くていいなーと言われることも少なくなかった。アドレス渡しておいてなんて頼まれた日には……そりゃあ落ち込んだ。
自分よりもずっと可愛い子にそう言われるたびに、ああ、クロはきっとこの子と付き合うんだなぁと胸が苦しくて仕方なかった。だったら自分も、と思わなかったことはないけれど、きっとあいつの性格だから今更なんだよと笑われて終わりに決まってる。そう決めつけて、秘めていた気持ちの上から更に蓋をしていた。
そろそろ顔をあげないと先生に注意されてしまう。きっとおでこが赤くなっているけれど、もうどうでもいいような気がした。
背中をつつかれたのはその時だった。シャープペンの先……ではない。たぶん、緑色の蛍光ペン。クロの筆箱の中にはシャープペンが二本と消しゴムがひとつ、そしてピンクでも黄色でもなく何故か緑色の蛍光ペンが一本入っている。なんで私があいつの筆箱の中身まで把握していなければいけないのか。もはや憤りにも似たやるせなさでため息が漏れた。
振り返りもせず「やめてよ」と言った私を無視して、クロはなおもリズムを刻むようにしてペンのキャップを遊ばせている。普段なら無視してやり過ごすか丸めた消しゴムのカスを後ろに向かって放り投げているところだけど、さっきの事もあって私はどうしても我慢が出来なかった。

「ねぇ、やめてって」

振り返ったそこにはいつもみたいに机に半分沈み込みようにして頬杖をついたクロがいた。さっきまで私の背中をつついていた蛍光ペンを顔の前でクルリと回すと、開かれたノートの片隅に何かを書きはじめる。一画ずつ、わざとゆっくりと書くその間、クロは私から目を離さない。その文字が完成するよりも先に、何が書かれるか気が付いた私の顔は赤くなる。書き終わる一歩手前で我に返って慌ててペンを取り上げた。

「何すんだよ」

「だ、駄目だって」

「なんでだよ」

「だって、」

「腐れ縁、だから?」

「……そう」

「かんけーねーし」

「ある」

「だから言ったろ、腐れ縁言うなって」

クロは私の手を退けると最後の一画を書き足した。変わらない人を食ったような笑みはそのままに、書かれた二文字を見つめて何も言えないでいる私の額をペンの尻で軽くひと突きすると、「nameちゃーん、前向きましょうねー」と言うのだった。
油が切れた機械みたいにぎこちない動きで私は前に向き直る。先生の声も遥か彼方。授業の内容も何も頭に入ってこないまま時間だけが過ぎてゆく。
願わくば、このまま授業が終わりませんように。終業のチャイムが鳴ったらきっと、私たちはもう戻れなくなってしまうから。好きの二文字に連れられて、腐れ縁にサヨナラをしなければいけないのだ。

【触れあった奇跡がいとおしい】
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