2015

二人して覗き込んだ池の庭、そこには何やら不可思議な物体があるのだった。

「これは何にござりましょう…」

「蛙の卵じゃ」

「かえる…」

うむ。と言った重矩さまは傍に落ちていた棒で蛙の卵とやらをツンツンとつついている。

「重矩さまは、物知りなのですね」

「兄上には及ばぬ」

はぁ、珍しく肩が上下するほどの溜息をついた重矩さまに驚いて、ついまじまじと顔を見てしまう。

「皆がそう言うておる。出来のいい兄を持つと、弟は肩身が狭くて大変じゃ」

「重矩さま…」

竹中の家の侍女に過ぎない私でも、彼の兄である半兵衛さまが素晴らしき智慧者であるということを知っている。
容姿もさることながら、その嫋やかな所作であるとか、丁寧な言葉づかいだとかで侍女達からの人気も高いのだった。
反面、弟である重矩さまは何かと兄の半兵衛さまと比べられることが多いのか、己の平凡さを時折気に病むようなそぶりを見せる。

「いいではないですか、重矩さまは重矩さまなのですから」

「そうかのう…」

「はい」

にっこりと微笑めば、彼の顔の憂さが少しだけ晴れた。

「そう言ってくれるはnameだけじゃ」

「私はそのままの重矩さまが好きでございます」

「嬉しいのう」

鼻の頭を掻いた重矩さまは、再び木の棒で池の中をいじくりまわしていた。
半透明のうねった筒の中には、整然と黒い玉が並んでいる。
これがお玉杓子となり、いつかは蛙になるのだろうか。
信じられない、と思う。

「いったい何匹の赤子が生まれてくるのでしょうね」

「さぁ…数えてみるか…」

そう言って人差し指でひぃふぅ…と数えだした重矩さまを隣で見守る。
いつまでも無邪気な、困ったお人。
いつまでたっても、私の気持ちになど気が付いてもくれないし。

「うん?…どこまで数えたかのう…あの辺りか…いや…」

指の先を彷徨わせながら頭を捻る彼があまりにも可笑しくて、私はくすくす笑う。
これではまるで、大きな童。

「む、笑うたな」

「笑ってなど、おりませぬよ」

「そう申した顔が既に笑っておる!」

ムキになったような風でこちらを見る重矩さまに向かって弁明をするけれど、あまり意味はなかったようだ。

「そなたのことが気になって集中できん」

「……えっ?」

それは、どうとでも取れる言い方で。
そんな風に言われたら、女子は期待してしまうのですよ、重矩さま。
もう一度数え直すかのう、と言って水面を覗く彼の背中に、今のはどういう意味なのですかと尋ねたかった。
水中から浮かび上がってきた亀が一匹、あぶ、と口を開けて息を継ぐ。

「お、亀じゃ。name、亀がおるぞ」

「……」

振り向いた重矩さまは、そして何かを思い出したのか、「そう言えば」と口を開いた。

「去年だったかのう、信長さまの計らいで津島の祭を見に行ったのは」

「ああ、あの提灯が沢山使われている?」

「知っておるのか?」

「噂に聞いたことはありますが、見たことはありませぬ」

「そうか。あれは綺麗だったぞ。あの時もこのようにして提灯の数を数えておったなぁ」

「幾つあったのです?」

「それがなぁ…沢山ありすぎて分からんかったのじゃ」

眉を下げた重矩さま。
笑いを堪えきれなくなった私はとうとう吹き出してしまい、彼に肘で小突かれる。
あわや池に落ちるかというところで腕を捕まれ、難を逃れた。

「危ないではありませぬか!」

「そなたが笑うから悪いのだぞ、name」

唇を尖らせた重矩さまは私から手を離し、棒切れで地面に何やら奇妙な絵を書いている。

「しかしあれは綺麗じゃったなぁ」

思い出すようにして言う彼の瞳は、キラキラと輝いていた。

「いつか、そなたにも見せてやりたいのう」

「私に、ですか?」

「うむ。ああいうものは好きな女子と行く方が楽しいであろう?」

「……」

「ん、どうした、name?」

私の耳がおかしくなったのか、それともまたいつもの気紛れか。
確かめてもいいのだろうか。
このまま、舌先で転がすだけの甘い思い出にしておく方が、いいのだろうか。
先ほど彼の口にした言葉を胸の内で反芻する。
耳が、熱かった。

「重矩さま、」

「なんじゃ?」

「今なんと、おっしゃいました?」

恐る恐る、勇気を振り絞って尋ねた私に首を傾げる重矩さま。

「だから、好いておる女子と行きたいと、そう言ったのだが?」

「そっ、そうでした、そうでしたね。突然耳が、遠くなってしまって」

そうだ、別に彼は私と一緒になどとは言っていないではないか。
ただ、話の流れで好いた女子と行きたいと、言っただけではないか。
膝の上に置いた手を握り、急いた気になった自分を恥じた。

「だからname、今年また行くようなことがあればそなたも参れ」

「…え?」

「鈍いのう」

「え、…あの、重矩さま…?」

握っていた棒切れを投げ捨てると、重矩さまはあっけらかんと笑って言った。

「鈍い鈍いと思うておったが、ここまで鈍いとは思わなんだわ」

「私…私が?重矩さまがでは、なくてですか?」

ああ、きっと私の顔は恥ずかしいぐらいに赤いはず。

「それも策よ、策の内」

「……」

ふふん、と得意げに言った重矩さまはおもむろに立ち上がり、そしてそのまま、背中から池に落ちた。
どうやら長い間しゃがんでいた所為で足の感覚がなくなっていたらしい。
慌てて手を差し伸べれば、頭にぬるぬるとした蛙の卵を乗せた重矩さまが起き上がる。
浅い池で良かった。

「格好付けすぎてしもうた…」

ぶっくしょい。
大きなくしゃみをした重矩さまは、やはりいつもの彼だった。
蛙が賑やかに鳴く頃に、自分の手を引く彼の姿を思いつつ、私は池からびしょ濡れの重矩さまを有りっ丈の力で引っ張り上げるのだった。

【ふたりのビオトープ】
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