2015

(大学生パロ)
目の前の掲示板には午後の休講を告げるお知らせが貼り出されていた。その一コマだけのために来たのになんだか損な気分になってしまって、図書館に寄った後で構内にあるコーヒーショップで温かいラテを啜る。窓の外はどんよりとした曇り空で、風が強くなって来たのかポプラの落葉が舞う音すら聞こえてきそうだった。今日はバイトもないし、本屋さんにでも寄ってそのまま帰ろう。そんなことを考えながらマグカップを空けて立ち上がった。
クリスマスが近いせいかすれ違うカップル率が高い気がした。クロはなにをしているだろうか。ここ二日ほど連絡をしていなかったけれど、便りが無いのは元気な証拠、なんだと思うように努めている。正直、自分からばかり連絡をするのは躊躇われるような気がして。そんなことを気にするような間柄ではないのだけれど。
付き合い始めたのは高三の秋からだった。幼馴染というのもあって、付き合うという二人の関係性に未だうまく馴染めずにいた。これまでの近すぎた距離は時に足枷だった。

「nameさん」

「あ、赤葦くん」

「今日はもう終わりですか」

「うん、午後休講になってたみたいで」

向こうからやって来た赤葦くんに声をかけられた。高校は違ったけれど赤葦くんとは部活を通しての顔馴染みだったせいもあってか、一年遅れて彼が同じ大学に入学するとなってからはなにかと頼られる事が多かった。

「木兎くん、元気にしてる?」

「あの人が元気じゃなかったら今頃東京は雪の中ですよ」

「あはは、そうかも」

木兎くんとは別々の大学だけれど、この二人は今でもとても仲がいい。腐れ縁ですよ、なんて赤葦くんはよく言っているけど、きっと本人も満更でもないんだと思う。なんだかんだで木兎くんはいい兄貴分だ。

「赤葦くんはこれから授業?」

「はい、午後があとふたコマ」

「一年生のうちは大変だよね、頑張って」

「ありがとうございます」

じゃあまた。そう言ってぺこりと頭を下げた赤葦くんは校舎の方へと向かっていった。
それと同時にポケットの中で携帯が震えた。画面を見ればクロの名前が表示されている。「これから暇か?」「うん」「どこいんの」「大学。今から帰ろうと思ってたとこ」「ふぅん」「本屋さん行きたいから、いつもの本屋さんでもいい?」「りょーかい」「じゃあ、またあとで」「うーす」そんな、なんていうことのない会話。久しぶりに声を聴いた気がした。会うのは1週間ぶりだった。
心が浮足立つのを感じながら、自然と駅に向かう足取りが軽くなる。吹き付ける風が冷たくてマフラーに顔を埋めるけれど、身体の中は春みたいにあたたかい。



本屋に着いて椅子に腰かけるとnameに連絡をする。すると暫くもしないうちに本棚の間からきょろきょろと辺りを見回して俺を探すnameの姿が現れた。あいつが自分のことを探しているのだと思うとつい身体を小さくしてしまう自分がいる。ニヤついてしまいそうになる口元を隠すようにして俯いている俺を見つけたらしいnameが小走りでこちらにやって来た。

「ごめんね、お待たせ」

「待ってねーよ、べつに」

「どっか行く?」

「とりあえず出るか」

そう言えばnameこくりと頷いて素直に後をついてくる。自動ドアが開いた瞬間に吹いてきた風に晒され、そのあまりの寒さに隣のnameがひゃぁと間抜けな声をあげてマフラーを引き上げる。

「寒ぃな」

「冬だね、完全に」

「もっとくっつけよ」

「い、いいよ別に!」

「遠慮すんなって」

口の端を持ち上げながらわざとnameの方に身体を寄せれば、「ちょ、馬鹿、やめ、」としどろもどろになりながら歩道の隅に逃げていく。どうしてだか俺はこいつをいじめてみたくなってしまうのだ。いじめるというと言葉が悪いから、からかう、とでも言った方がいいのだろうか。困った顔でこっちを見てくる時がたまらない。自分にそっち方面の趣味は多分ない、と思うが。
このままではマンションの生垣に突っ込んでいきそうな勢いだったので、からかうのをやめて腕を引いてやる。そのまま手を繋げばnameの手の冷たさに驚いた。「手、冷たいな」「寒いからね」「あっためてやろーか」「……」nameはしばらく黙り込んでしまう。

「そう言えばさっき赤葦くんに会ったよ」

「……はぁ?」

何でそれを今言うんだよ。一週間ぶりに会った彼女の口から聞かされる自分とは別の男の、しかも明らかにこいつを虎視眈眈と狙い続けている(であろう)赤葦の名前に、俺は自分でも意外なほど苛立っていた。

「あ、でも同じ大学なのに月に一回会うか会わないかなんだよ。高校だったらきっと毎日なのにね。大学違うクロの方がよっぽど顔見てるっていうのもなんだか不思議だね」

「……」

いや、お前何言ってんの。まずあいつに会った回数月に何回とか数えてんのかよっていうのがひとつめで、俺はお前の彼氏なんだからたとえ大学が違ってたってあいつなんかよりお前に会う回数が多いのは当たり前なんだよってのがふたつめだし、つーかそもそも会いたいと思って会ってんだから不思議もクソもねーだろ。
こういうことをnameは平然と言う。そして本人は何とも思っていない。これが幼馴染の弊害であることは明らかだ。
そりゃあ俺がもっと早く告白すればよかったのかもしれないし、もっと言うなら俺たちはもう少し早くお互いの気持ちに気が付くべきだった。
それでも研磨に言われるまで正直nameに対する気持ちが恋愛のそれだなんて確信すら持てなかったのだから仕方がない。
などと言って、たぶん俺は何かにつけて「幼馴染」だった関係に逃げている。付き合いだしてもう二年が経ったけれど、目下のところ俺の悩みはこれなのだった。

「……クロ?どしたの?」

「俺はな、name」

「うん」

「今ものすごーく嫉妬してるわ」

「し……っと、」

嫉妬、嫉妬。ともごもご繰り返しているnameは、それでも訳がわからないといった表情で俺を見上げてくる。

「なんで嫉妬するの」

「おいおい、そこからかよ」

「だって、クロは彼氏でしょ……わ、私の」

開いた口がふさがらなかった。繋いだ手を解かれそうになって我に返った俺に向かってnameがなおも追い打ちをかける。

「だから、別に嫉妬なんてする必要、ないのに……って」

「お、おう……」

そのあとに何と続ければいいかわからないまま流れる空白の時間。さっきまで冷たかったはずのnameの手はいつの間にか汗ばむほどに熱くなっていて、それと同じぐらい自分の耳も熱を持っているような気がした。
ついさっきまでごちゃごちゃ考えていた自分が突然馬鹿馬鹿しくなって噴き出した俺に、nameが真剣な顔をして「笑わないでよ」なんて言うもんだから、あー好きだわーなんて思わず口走ってしまうのだった。

「行先決めたわ」

「どこどこ」

「俺のアパート」

背中を丸め、口の端を持ち上げて顔を覗き込む。俺の思惑を察知したのか赤くなった顔を慌てて逸らす。

「あーお前今やらしいこと考えただろ」

「かっ、考えてない!」

「顔赤いぞー」

「赤くない!」

からかうな馬鹿!と先に行こうとするnameの手を握り直して身体を近づける。近づけばその分顔を見られずに済むような気がして。こんなにやけただらしない顔を、見られたくはないのだ。
何故なら俺は「彼氏」なのだから。

【こんなに柔い棘ひとつ】
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