2015

秋の虫の声で目が覚めた。目の前にあるのは男の背中。早朝、すっきりとした陽射しが差し込む部屋の布団の中で私は身じろぎをする。
そろそろ冬の布団を出さないと。今日は良く晴れているから縁側に短刀たちの冬布団を干してあげよう。そんなことを思いながら瞼を閉じる。布団から出た肩が冷たくなっていて、隣の男を起こさぬようにそっと温もりの中へともぐりこむ。
もうすぐ季節が巡る。もうずっと彼らとこうして生活しているように思えるけれど、よくよく考えればまだそれほどの時は経っていない。なんと濃密だったことか。それでも過ぎてしまえばあっという間なのだ。色も匂いも、光の温度も手に取るように思い出すことのできる日々。
自分に向けられる彼らの無意識的な敬愛の意が、審神者という特殊な「職業」であるが故の重圧だとかストレスだとかを軽くしてくれるのだ。度々現世に戻るたびにあぁ本丸に帰りたい、と思わせてくれる彼らには、心から感謝の念をいだいている。
その反面、ただ一つの過ちを犯してしまったことも承知している。そしてその微小な歪みは、もう決して戻れない場所へのほの暗い入口であると同時に、真の安寧を密かに嫌うあってはならない己の性分を少なからず満たし、むしろそんな歪んだ心を正してくれているような気さえした。
つまり、彼、そう、三日月宗近の存在は生来私が求めていたものだったのだ。

「寒いな」

「起きてたの」

「なにせじじいだからな」

「じじいが聞いてあきれる」

布団と肌のこすれるちいさな音も、静かな朝にはよく響く。ごろりと此方を向く格好になるよう寝返りを打った三日月の、薄く筋肉のついた胸。触れようか触れまいか逡巡しているうちに、彼の腕に引き寄せられる。肩が冷たいな、と言った三日月はしっとりとした手の平で私の冷えた肩先を包み込む。心地の良い体温に微睡む意識を今すぐに手放してしまえたらどれだけいいだろう。生身の私の考えなど遠く及ばぬような悠久をの時を経て彼が得た途方もない包容力は、恍惚の吐息をつかせるに足りる絶対的な安堵であった。
けれど、薄皮を剥ぐようなうすら寒さがその背後にはいつも在る。相対する表裏と、己が深層での切望にも似た予感。

「ねぇ、」

「なんだ」

「ここにも終わりがやってくるの?」

「終わり、とは?」

「無?」

「質問を質問で返されても困るぞ」

困る、などと言いながらも喉の奥で小さく笑う三日月。胸元に預けた私の髪を長い指が梳いてる。
見上げれば朝の月が静かに光を放っていた。見えない力によって、私は彼から目を離すことはできない。決まっていつもそうなのだ。すれ違う瞬間や、机越しに向かい合った時、褥の中。針穴を通して心を覗かれているような気がして始めのうちは落ち着かなかったけれど、一方で全てを彼に知ってほしいがため一糸纏わぬ裸の己を惜しみなく彼に晒したい、そう自分が願っているということに気が付いたとき、その時すでに彼は全てを予見していたに違いない。

「眠たくなってきた」

「はぐらかす、か」

言葉になんかしなくたってわかっているくせに、と言いたくなるのを我慢して布団に沈む。フェアではない、と思う。彼は私を「知って」いる。私は彼の何を知っているというのだろう。
抱いてほしい。願いは形になる前に三日月に届く。こんな朝からか?頭上から聞こえてくる口ぶりは楽しそうだった。それでも、もう指は私の肌を這っている。交わることでしか私は彼を知る術を持たない。虚しい、とも思わない。むしろ自分だけに許された特権だとも考えている。例え馬鹿馬鹿しいと一蹴されようとも。陳腐な自負なのかもしれない。あたかも、ごく普通の男女が睦み合うようにして彼と交わるということに対しての。
昨晩とは打って変わって静かに私を抱く三日月の腕の中で、終わりについて思いを馳せる。こっちを向け、と下あごに手を添えられ従えば、唇が重なった。割り入ってくることもせず、啄むこともせず、ただ触れるだけ。伏し目がちにこちらを見下ろす三日月の長い睫が頬に影を落としている。なおもつかず離れの距離でいる彼の唇が不意に言葉を紡いだ。

「終わらせはしないさ。終わらせるのなら俺の手で、終わらせよう」

持ち上がる右の口角の冷やかさに、全身が総毛立つ。

「待ってるから」

その時を。
仰け反った喉元を赤い舌がなぞる。巡る季節を待ち遠しく思いながら、その円環から放り出される日がいつかやってくるのだろうか。汗で湿ってゆく布団を背中に感じながら、ああそうだ、冬の布団を干さなければいけないんだったと意識の片隅で思い出す。
爪を立てた柔肌に残る赤い痕。早朝の秘め事。終わりのない終わりの中で私に差しのべられた手は決して離れない。私の探していたものは、同様に私を探し欲していたのだ。たとえそれが終焉をもたらすものだったとしても、三日月は正しく美しい。
彼の白銀が初めて緋に染まるとき、私の歪は折れそうな月の形をしているのだろう。

【ほつれる未来】
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