2015

この本丸の風呂場は酷く風変わりなつくりをしていた。全自動の最新式(いわば現代風なシステム)だというのに内装があまりにもレトロ、言ってみれば懐古趣味なのだ。薄い真四角のタイルが床から天井まで敷き詰められているし、それなのに浴槽は立派な桧で設えてある。設計した人間は一体何を考えていたのか、それとも考えて考え抜いた結果このデザインに落ち着いたのか。
湯を抜いた浴槽の中で蹲りながら天井を仰ぐ。きちんと掃除が行き届いているおかげでタイルとタイルの隙間には黒黴ひとつ生えていなかった。
真昼だというのにこの場所はしんと静まり返っている。外からの音が一切聞こえてこない代わりに室内の音はやけに大きく響くのだ。中指の先でタイルを叩く。なにか考えなければいけないことがあるはずなのに、頭がぼんやりとしていてうまく思考がまとまらなかった。大げさに吐いた溜息が何度か壁にぶつかって消えていった。
こんこんと扉の叩かれる音がして私はどうぞと間延びした声で言う。

「やっぱりここにいた」

困ったような笑顔を浮かべた光忠が立っている。

「ばれちゃった」

「長谷部くんが血眼になって探してたよ」

血眼になった長谷部の姿の想像の易さに私は忍び笑いをこぼす。窓を開けてあるおかげで湿気の全くない浴室に入ると、光忠は躊躇なく浴槽を跨ぎ私の隣に腰をおろした。

「好きだね、この場所」

「静かだし」

「秘密の場所?」

「そうそう」

肩が触れ合う。服越しの熱を感じて私は光忠に身体を預けた。

「光忠は私がどこにいても見つけてくれるね」

「はは、なんとなく分かるんだ」

「時々長谷部が不憫になるよ」

笑いながら言う私を肩で小突くと光忠は「笑い事じゃないよ、本当に」と嗜めるみたいな口調で言うのだった。
ぼわぼわと残響をとどめている彼の声を打ち消すように「今度ハンバーグ食べたいな。煮込んだやつ」と呟けば、優しい光忠は「うん、作ろう」と快諾してくれる。
彼らの優しさが私には時として辛くなる。私が何者であったとしても、主であるというただそれだけの理由で彼らは私を愛し大切にしてくれる。なんて甘やかで深い罠なんだろう。
他の場所とは違う濃密な空気は少し水色を混ぜたような匂いがしていて、私がそれを好むが為にここにしばしば身を潜めていることをきっと光忠は知っている。だから私が姿を消すと大抵やってくるこの場所を、光忠は誰にも口外していないんだと思う。
秘密を分け合うみたいにして寄り添っているうちに私達は必ずといっていいほどキスをする。なんとなく、成り行きで。静かなキスひとつで終わる時もあるし、もっとずっと先の方までいってしまうこともある。
お湯のはられていない浴槽の中でするセックスは子供じみていて面白い。まるでお飯事の一場面みたいに可愛らしいのだ。
水音や吐息は大仰に響き、窮屈そうに動く光忠の髪の生え際には汗が滲むこともある。
もしかしたら最中に誰かがやってくるかもしれないと毎度ヒヤヒヤするのだけれど、当たり前のことながら真昼の風呂場なんかに用事のある者など誰もいないのだった。

「ここでなに考えてるんだい、いつも」

「なにって、特になにも」

私の顔を覗き込んだ光忠は、そうなんだ、と呟いた。

「僕のことは?」

「ん?」

「僕のことは考えてないの」

意地悪なのか本意なのか。見つめた彼の瞳が一瞬きらりと光った。

「駄目だよ光忠、そういうの」

「何故だい」

光忠が喋る度に喉仏が小さく上下して、薄い皮膚が波打っていた。

「何故って……」

「ドキドキする?」

「そう」

nameは素直でいいね。光忠は楽しそうに言うと私にキスをした。ひんやりとした風呂場の空気の中で、触れた唇のあたたかさが際立つ。長い間押し当てられていたそれが離れたかと思えば、再び角度を変えて啄ばまれた。
粘膜の触れ合う音と空気を貪る喉の音が響く。苦しいのに後頭部を支えられている所為で逃れられない。

「そんな目しちゃ駄目だ」

我慢できなくなっちゃうよ。
続けられた言葉の後、瞼にもキスが降る。

「もしも僕以外の誰かがこの場所に君がいるのを見つけてしまったら、君は同じように受け入れるのかな」

「……でも光忠しか見つけられないじゃない」

隻眼を細めて、息を吐くように「そうだね」と光忠は言う。
浴槽に満ちてゆく静寂を掻き分けて私は光忠の身体に腕を回すと、やわらかな耳朶に歯を立てた。ゆっくりと背中を撫でる彼の手。今日もこの場所はきっと、誰にも見つかりはしないのだ。

【あたたかい水槽に愛を満たそう】
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