目覚まし時計もしっかりかけたし絶対に自分が一番のりだという自信があった。だというのに台所からは既になんだかいい匂いが漂っていて、びっくりしながら扉を開けたわたしを出迎えてくれたのは毎度おなじみのジャージに白いエプロンをつけた光忠だった。腕には大きなボウルを抱えて、きっと中にはたっぷりの溶き卵が入っているのだろう、卵焼き用のフライパンを器用に上下させている。
「光忠、おはよう」
「ああ、おはよう。まだ寝ていても良かったんだよ」
そう言って光忠は菜箸で卵をフライパンの隅に寄せた。
「光忠こそもう少しゆっくり寝ててよかったのに。今日はせっかくのお休みなんだし」
「それじゃあnameが独りで朝飯作ることになるじゃないか」
「うん、そうだよ?」
それがどうしたのだろうと首を傾げるわたしを光忠は見下ろして数度まばたきをする。
「無理無理、そんなの」
はは、と笑って卵焼きを器にあけた光忠は少しむっとしているわたしに「大根おろし、摺っといてよ」と、既に桂剥きにされた大根とおろし金を顎でしゃくった。
手を洗って大根を下ろすわたしの隣で、彼はまた卵焼きを焼きはじめる。
光忠の卵焼きは少し甘い。歌仙や加州は出汁派だけれど、わたしや短刀の子たちは光忠の作る甘めの卵焼きの大ファンなのだ。
あっという間に八本の卵焼きを焼き終わった彼は丁寧に包丁で全てを六等分に切り分けると私の摺った大根下ろしを盛り付けてゆく。
「よし、そっちの鮭が焼けたかな」
「お腹減った……」
香ばしい焼き鮭の香りに、ついお腹の虫が元気よく鳴き声をあげてしまう。早朝の静かな台所に響いた虚しい音に、光忠は眉を下げると「しょうがない主だな」と大鉢に盛ってあった昨日の煮物の残りの里芋をわたしの口に入れてくれる。
「おいひぃ」
「それは良かった」
料理上手は昔の主に似たのだろうか。お洒落好きも眼帯も、どう考えてもそうに違いないけれど、とにもかくにも彼の料理の腕には私も随分と助けられている。長谷部も料理上手だし、倶利ちゃんも意外とお菓子作りが上手なのだ。わたしなんか足元にも及ばない。
もぐもぐと口を動かしているわたしを満足そうに眺めた彼は、大きなお盆にお皿を乗せる。
「じゃあわたし、皆のこと呼んでくる」
「ああ、」
これから本丸の方々を回って皆を起こしに行かなければいけないのかと思うとまたぐぅとお腹が鳴ってしまう。台所の入り口で振り返ると、光忠は肩を竦めて卵焼きの端っこをひとつだけつまんでわたしに見せる。思わず走り寄ってしまった。見上げた光忠の瞳は朝の光の中できらきらと輝いていて、つい卵焼きよりもそっちの方に視線がいってしまう。透き通るみたいな彼の瞳は、時々わたしをドキリとさせるのだ。
「どうしたの?」
「あ、べ、……べつに、なにも」
「そ。はい」
差し出された卵焼きを口に入れると、わたしはそそくさと彼に背中を向ける。じゃあいってくる。もごもごと呟いて台所を後にしようとすれば、ふいに光忠に手首を掴まれた。
びくりと肩を揺らして振り向けば、思ったよりも近くに彼が立っていてたじろいでしまう。さっきまでのやわらかな空気はもうすっかり消えてしまっていた。触れた彼の手の温もり。
「光忠……どしたの」
「やっぱり僕が行くよ」
「え?」
「僕がみんなを呼びに行く」
少しだけ首を傾げた光忠は、でも本当はそんなことが言いたいんじゃないみたいな顔をしていて。その瞳の奥にある真意を知りたいと思う反面、それはわたしがずっと目を背けていたものなのかもしれないという予感もあったから、「そっか」と言って後退る。
日向くさい台所で、わたしたちはしばらく無言で向き合っていた。呼びに行くと言ったものの光忠はわたしの手を相変わらず離してはくれないし、わたしもわたしでどうすればいいかわからずに馬鹿みたいに突っ立っていることしかできなかった。
困り果てて助けを求めるような視線を光忠に向けた時だった。視界に影がかかって、口の右端にやわらかなものが触れる。
「な、……」
「卵焼きが付いてた」
うそだ。わかっているのに、そう言うこともできなくて。どんどん熱くなっていく頬っぺたと、絶対に真っ赤になっている顔を見られたくなくてわたしは俯いた。さらさらと髪が落ちて顔を隠してくれる頼りない安心感の中で、わたしは必死に考える。どうして急にこんなことをしたのだろう。こんな、恥ずかしいことを。唇を噛んでいると、頭の上にぽんと彼の手が乗せられた。
「みつ、ただ」
「寝惚けた誰かの布団の中にnameが引きずり込まれたら困るからね」
「……」
呆気にとられているわたしにひらひらと手を振ると、光忠は台所を後にした。
「菜箸……持ったまま行っちゃった……」
ふわりとお味噌汁の香りが漂う台所で、わたしはまだ熱いままの頬を両手ではさみながらへたり込むのだった。
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