2015

nameは風呂が好きだった。檜の香りをたっぷりと含んだこの風呂は特に。窓の外には眩いばかりの星々が散っていて、天の川が白く輝く様さえ見えるのだ。素敵だな、と思う。空の見えるお風呂はほんとうに素敵だ。
風呂の縁にぺたりと頬をつければ、やわらかに鮮やかなスンとした木の香りが鼻をくすぐり、その心地よさにnameは瞼を閉じる。
と、そのときだった。

「おーい、入るぞ」

という声と同時に三日月が風呂へとやって来た。顔をあげたnameの目の前には腰に手ぬぐいを巻いただけの三日月が立っている。

「三日月宗近!」

「や、」

片手をあげて挨拶をした彼は湯気を身にまといながらざばざばと風呂桶で湯をすくい身体を洗うと、「ちょっと失礼」とnameが入っているのも御構い無しに湯船にざぶんと浸かるのだった。

「はぁー……よきかな、よきかな」

「それ昔の映画のパクリでしょ」

「はは、nameは博識だな」

にっこりと笑った三日月はnameの頭を撫でる。nameは浴槽の縁からあげた頬を三日月の胸元にぺたりとつけなおして彼を見上げる。

「お話聞かせて」

彼女は彼の昔語りが好きであった。己の目で見ることの叶わなかったあれこれを、三日月はまるで今しがた見聞してきたかのような口振りで彼女に話してくれるからだ。
無論過去を口にするのを憚る者がいるのも確かであった。しかし三日月に言わせると「時が経てば全ては御伽噺とおなじ」ことらしく、nameがねだればいつだって快く昔話をしてくれるのだった。
そういう時、nameは決まって「ねえ、昔のお話をして」だとか、「ちょっと昔のお話がききたい」や、「うんと昔のやつがいい」などと目を輝かせて三日月に頼むので、彼はそんな彼女に目元を綻ばせながら「わかったわかった」とお望みの話を面白おかしく語ってやるのだ。
眠りに着く前の布団の中や、陽だまりの濡れ縁、そしてこんな湯船の中。場所など無関係にいつだってnameは話を唐突にせがむ。

「そうだなぁ、ではこの前の続きからとしようか」

「うん!」

太閤病没できりのついた前回であったのだが、終わりがけはほぼほぼnameが夢の中にいたために、三日月はその少し前から話し出す。日に日に険悪になってゆく家中の緊迫した空気や彼の持ち主であった北政所の心痛等々、情景が思い浮かぶかのように、けれど深刻になり過ぎないような語り口で三日月は言葉を紡いでゆく。
硝子のはめられていない格子窓からは夜の涼しい空気が流れ込んで、火照った二人の頬を撫でていた。

「……というわけさ、」

ぽん、とnameの頬を両手で挟んで話を締めくくると、仰向けに首を仰け反らせて「少々長湯しすぎたかな」とこめかみを伝う汗ごとざぶざぶと顔を洗う。
神妙な面持ちになっているnameに「まぁ、昔の話さ」と微笑みかけ、風呂からあがるように促した。

「なんかのぼせちゃった」

「おお、だったら俺が介抱してやろう」

「お断りします!」

腕を伸ばした三日月の顔面に向かって湯をかけて抵抗するnameの手首を容易く掴むと、その小さな肩を抱き寄せて彼はからからと笑う。こうなってしまえばなにをしたところで無駄とわかっているnameも、それ以上の抵抗はやめて男の腕の中で静かになるのだった。
しっぽりとした浴室。窓の外で、雉が時折鋭く鳴いた。

「三日月宗近、」

「んん?」

「熱い。出たい」

「そうだったそうだった。ついnameの触り心地を楽しんでいたら忘れておった」

そう言ってnameの脇腹の薄い肉をつまむのだった。膨れっ面をしたnameの頭頂に唇を寄せて、その小さな身体を抱き上げ湯から出る。浴室の扉を開ければさぁっと冷ややかな空気が篭った熱気をさらっていった。

「あ、涼みがてらさっきの続き聞かせてほしい」

「続き、か」

「うん」

nameの髪を手ぬぐいで拭いてやりながら三日月は思案する。無言のままの彼を不思議に思ったnameが振り返れば、ばさりと顔に手拭いをかけられた。なにするの。と手をばたつかせるnameを後ろから抱きしめる三日月。

「それはまた今度にしよう」

そうやわらかな声でそっと耳打つと、ひょいとnameを抱きかかえ、三日月は軽やかな足取りで夜の透明な空気をかき分け自室へと歩き出すのであった。

【夜はお静かに】
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