2015

「兄上!忠勝が岐阜に行くというのは本当なのですか?」

「ああ、わしが家康さまに奴を推薦したからな」

「私も一緒に行きまする!」

「?!」

はいはい、と威勢よく手を挙げたnameに康政は一瞬固まり、そしてゆっくりとnameを見た。

「それはならん」

「何故です?」

今にも本多邸に駆けて行こうとするnameの腕を掴み康政は嘆息する。三河から岐阜に行くならまだしも、ここ浜松から岐阜に行くとなればそれなりに準備をしていかねばならない。たとえ同盟を結んでいるとはいえ道中には追剥や山賊だって出るであろう。というような類のことを懇々とnameに説く兄であったが、nameは「忠勝が一緒ならば大丈夫にござります!」の一点張りなのであった。
「それが心配なのだ」と康政は声を大にして言うも、nameは不思議そうな顔をするばかりである。「兄上だって忠勝の強さは知っているじゃないですか」「忠勝がいれば百人力です」「忠勝となら日の本どこにだって行けますよ」……。
忠勝忠勝と嬉々として連呼する妹の姿に段々と頭が痛くなってきた康政はnameの口を押えると屋敷の中に彼女を引きずって行こうとする。兄上何をするのですか放してください!とnameが手足をばたつかせているところに当事者である忠勝が肩を怒らせながらやってきた。

「おい康政貴様どういうつもりだ、さっさと逃げやがって…!!……何をしておるのだ…お前たち…」

「忠勝!!」

「呼んでおらんぞ忠勝」

首根っこを掴まれたまま忠勝に走り寄ろうとするnameを抑え込みつつ康政は冷たく言い放った。

「お主が呼んでおろうが呼んでいまいが関係ないわ!」

「忠勝!私も一緒に……」

皆まで言う前に康政はnameの口を再び塞ぐ。もがもがと唸りながら暴れるnameに忠勝は若干後ずさりした。どうやらまずい所にやってきてしまったらしいと今更ながらに気が付いたのだった。いつもと様子の違う康政の冷たい瞳に睨めつけられて退散することを決め込んだ忠勝であったけれど、康政の一瞬の隙をついて腕から抜け出したnameに飛びつかれ完全に逃げる機会を失った。

「忠勝!岐阜に行くのなら私もついて行く!」

「はぁ?……おい、康ま…さ…」

助けを求めるようにして康政を見る忠勝。しかし背後にどす黒い暗雲を背負った康政に無言で見つめられ閉口してしまう。また始まった、と忠勝はうんざりして頭を掻いた。
忠勝を心より愛するnameとnameを心より愛する康政に巻き込まれ迷惑をこうむるのはもはや恒例であった。離れようとしないnameの肩を掴んで無理矢理引き剥がすも、nameはしぶとく忠勝の着物を握りしめている。

「いい加減に…離れ、ろ…!」

「連れてってくれるまで離れない!!」

「康政!どうにかしろ!邪魔くさい!」

「……わしの可愛いnameを邪魔くさいなどと言うとは。おぬしよほど生き急いでいるらしいな」

「ええいうるさいわ!康政、いいから引っぺがせ!」

「いやだいやだいやにござりまするー!!」

やいのやいのと騒がしい庭先を覗きにくる榊原家の従者たち……は誰もいない。何故ならばこれは恒例行事だからである。
むんずと身体を掴む忠勝の腕に噛み付くnameに根負けした彼は「来たければ勝手に来い」と、とうとう口にしてしまう。それを耳にした瞬間今までの意固地な態度は何処へやら、nameはパッと忠勝から離れると軽やかに飛び跳ねながら今度は康政に抱き付くのだった。

「兄上ー!忠勝が是非とも一緒に来てくれと言っているので私も岐阜に行って参りますー!」

「そんなことは言っていなかったがな」

「お土産、買ってきますね。兄上!」

「nameが無事に帰ってくればそれでよいわ」

康政はそう言うとnameの肩越しに呆然と突っ立っている忠勝に冷たい視線を送りつつ、妹についた穢れのようなものを払う仕草をして見せるのだった。
そうして翌日早速旅立つこととなる。
早朝、榊原邸にnameを迎えに来た忠勝の気持ちは重かった。ただでさえあの織田信長の元に参上して新年の挨拶をしなければいけないというのに、それに加えてnameの面倒まで見なければならないのだ。

「では兄上、行ってきます」

「おお、そうじゃname。これを持って行け」

既に馬上に上がっている忠勝をちらりと見て康政は懐から小刀を取り出してnameに手渡す。

「不徳を致す者がおればこれで一思いに刺せ、よいな」

「おい、そこで何故わしを見る」

チクチクどころか真剣のように鋭い康政の視線を感じて忠勝は言った。それを無視して続ける康政。

「特に背が高く顎髭を生やした眼つきのすこぶる悪い男には注意するのだぞ」

「いい加減にしろ!こっちを見るな!name、遅れる。来ぬのならわし一人でゆくぞ」

「待って!行く!兄上、今度こそ行ってきます」

そう言うとnameは康政から身を離して忠勝の元へと駆ける。

「おいname、そなたの馬はあっちだぞ」

「?私も忠勝の馬で行くんだよ?」

「いや…それはどうなのだ…」

「ほら早く、手貸して!」

飛び跳ねながら手を伸ばすnameの手を反射的にとると、忠勝の背筋を寒気が一筋駆け抜ける。出所はわかっている。そちらを見ないようにしてnameを馬上に上げると自分の前に乗せてやる。nameはきゃっきゃと楽しそうな声を上げて少し離れた場所に立っている康政に手を振った。

「行ってきまーす」

「nameー今が刀の使い時じゃぞー」

「物騒なことを言うな!」

「ブスッと思い切りいってよいぞー」

「忠勝!しゅっぱーつ!」

「もうわしは知らん、どうなっても知らんからな!」

叫ぶようにして忠勝は言うと馬の手綱を手繰り寄せ走り出す。どうせ帰ってから康政にねちねちと絡まれることは目に見えている。だったら何故あやつはnameをむざむざ行かせることにしたのだと忠勝は行き場のない苛立ちを舌打ちに変えるも、腕の中でnameはそんな彼の怒りもどこ吹く風、鈴の音のような声で笑うのだった。

【おねだり上手の愉快犯】
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