2015

夜の0時を少し回った頃、鳴った携帯電話をワンコールで素早くとった三成はその向こう側から聞こえてくる馬鹿騒ぎに眉を顰めた。
「三成ー三成ーおーい三成ー元気かー三成ーわしは元気だぞー三成ー」「おい石田てめぇ何で来やがらねぇんだ」「Ha!大方自分の女が他の男と酒飲んでるのを見るのが気に入らねーんだろ」「尻の穴の小さな男ぞ」「石田殿!うおぉぉぉ!」
三成が聞き取れたのはそれぐらいであった。というよりもそれ以上は聞く気すらなかった。こめかみに青筋を立てつつ電話口の誰ともつかない有象無象に「煩い黙れ!nameはどうした!」と怒鳴りつければ、「三成さまー」と左近の声が返ってくるではないか。

「貴様が来るとは聞いていないが今はそんなことはどうでもいい。nameはどうした、早く代われ」

「あー…なんつーか、やめといた方がいいかも」

「何故だ!私を待たせるな!」

「ちょ、怒るなら俺じゃなくて官兵衛さんにしてくださいって!」

「官…兵衛…だと?まさか官兵衛の店にいるのか?!」

「えー、と…二軒目で…行くことになったらしくて、ハイ」

「もういい!nameはどうしたと言っている!」

食ってかかる勢いで気色ばむ三成の怒声に左近は耳に当てていた携帯電話を遠ざけた。
nameと三成の住むアパートのほど近い場所にある居酒屋窖は軒先に赤提燈を掲げるこぢんまりとした店だった。店主の黒田官兵衛はかつての上司、現社長の豊臣秀吉と一悶着あり袂を分かって退職した結果、今はこうして小さな居酒屋を営んでいるのであった。
近場に住んでいるためnameも三成をよく誘うのだが、秀吉の元で働く三成は官兵衛を快く思っておらず中々足を運ぼうとはしない。だから必然的にnameが官兵衛の店で飲む時は地元に残った元親や元就、家康といった三成抜きの面子になるのであった。
今日とて彼は久しぶりに政宗と幸村がこっちに帰ってくるからちょっと飲んでくる、としか聞かされていなかった。それが何故左近までその場にいる。しかもあろうことかあの官兵衛の店で、あまつさえ電話口からは長曾我部やら毛利、果ては家康の声すら聞こえたではないか。
苛立ちのあまり手にした携帯電話を握り潰さんとしている三成を他所に「あーみつなりーわたしわたしーわたしだよー」と呂律の回っていないnameの声が聞こえてくる。その向こうでは「詐欺かよ」「もしnameじゃなくても三成なら騙されるなきっと」「単純な男よ」などと好き放題言う声がざわめきに紛れて三成の耳に届いた。
もう我慢ならんと三成は立ち上がり、コートを羽織りマフラーを巻いて財布を尻ポケットに捩じ込むとアパートの部屋を後にする。「今から迎えに行くとnameに伝えろ!」と半ば吼えるようにして言い扉を閉めた。

凍えるような夜道を恐ろしいほどの早足で歩いた(もはや走ったといっても過言ではない)三成は店に着くや否や引き戸を渾身の力で開ける。普通であればカラカラと小気味いい音を立てる扉も、こう高速で引かれては甲高くけたたましい音を立てるのだった。店内は賑々しく、見慣れた顔が沢山あった。

「おーい三成ー久しぶりだなー」

「やっとお出ましか」

「石田殿も!飲んで行かれては!どうであろう!」

げんなりするような光景の中にnameを探す。といっても探すまでもなく三成の目は店に入った瞬間からnameしか見ていなかったのだが。

「みつなりー」

元親と元就の間、向かいには政宗と家康、そして幸村。そこでへにゃりと笑うnameの無防備さは三成の悋気に触れるに十分であった。しかし当の本人は呑気にひらひらと手すら振っているではないか。

「よう三成、お前さんも一杯どうだ?」

つけとくぞ。と言って熱燗用の徳利を顔の横で左右させる官兵衛を睨み付け、三成はnameの首根っこをひっ掴む。

「帰るぞ」

「やだやだーまだ帰らなーい」

チカ助けてー。と右隣の元親の腕に抱き着くname。

「どうせ来たんだから飲んできゃいいじゃねえか」

「黙れ長曾我部。私はnameを迎えに来ただけだ」

三成はnameを元親から引き剥がすと、汚れを払うような仕草をするのであった。妥当よと左側で元就が頷き、元親はやってられるかとでも言うようにしてビールを煽った。

「いいじゃないか三成、こうして集まる機会もそうそうないんだ」

「知るか」

「お前にも来て欲しくて86回も電話したんだぞ、出ないなんて水臭いじゃないか。nameの電話ならすぐに出るくせに」

「oh…お前も相当だな、家康」

「三成も座りなってーほらほらー」

立ったままの三成の腕を引き、nameは自分と元親の間に彼を座らせようとする。その様子をカウンターの陰から覗いているのは左近であった。

「お宅なんで隠れてるのさ」

「これには深ーい事情が…」

「…大変そうだな」

カウンターに腰掛けている佐助と小十郎に向かって「俺がここにいること黙っといてくださいよ」と左近は小声で言うと、再び顔を引っ込めた。
鳴かず飛ばずのバンド活動だけで生活費を稼げるわけもなく、丁度ツテのあった官兵衛の店で彼がアルバイトを始めたのは最近のことである。ただ、三成が官兵衛をあまり快く思っていないことを左近も知っているだけに言い出せずにいたのだ。
しかもnameがこれほど迄に酔っ払うのを止めずに見ていただけと知られれば、大目玉を食らうのは免れまい。とはいうものの実はnameに酒を勧めたのは気前のいい官兵衛だったのだが、三成にとってしてみればそんな事は関係ない貴様も同罪だと切り捨てるに違いない。よって左近はカウンター裏にしゃがみ込み必死になって気配を消すのであった。

「石田殿も!さあ!さあ!」

「旦那ーちょっとしつこいよーてかもーちょいボリューム下げてー……まぁ聞いてないと思うけど」

真っ赤な顔をして開けていないビール瓶を振り回す幸村に佐助が声をかけるもやはり幸村の耳には届いていない。暑苦しい声を上げながら視線の定まっていない幸村にビール瓶を押し付けられた三成は結局押し負け、テーブルに着くことになったのだった。
左近が身を隠しているため官兵衛は一人で立ち回り(といっても今晩の客は彼ら一同だけであった)、てんてこ舞いな上に三成のテーブルに酒を運ぶたび、刃のような視線を向けられるのだった。

「あーもー無理ー飲めないー…」

「飲み過ぎだろ流石に」

ぐらぐらと揺れているnameを三成の背中越しに支えた元親であったが、その腕は三成によってすぐさま払い落とされた。

「汚い手でnameに触るな」

「なんだぁ?やんのか?」

「石田、惚気は犬にでも語れ」

気色ばむ元親と、呆れ顔の元就は少しだけ眠そうな目をしていた。

「三成、今度泊りに行ってもいいか?」

「来るな」

「政宗も来るだろう?」

「No,thank you、行かねえよ」

「だから来るなと言っている」

「いいじゃんおいでよー皆でパジャマパーティーしよーよ」

相変わらずぐらぐらと揺れているnameは笑いながら言う。三成はそう広くない自分達のアパートにこの面々が勢ぞろいした光景を思い浮かべ、心底嫌そうな表情で鼻に皺を寄せた。「いいだろう三成?わしだって三成の家に遊びに行きたいんだぞ?」と正面から激しく主張してくる家康を睨みつつ、こぼれた酒だとか床に落ちた食べカスだとかを想像し、そしてそれを翌日二日酔いの痛む頭で掃除をする羽目になる自分の姿を想像して嫌悪感に寒気すら感じるのだった。

「お前さんら、そろそろ閉めるぞ」

官兵衛の閉店宣言により飲み会はお開きとなり、各自各々帰り支度をし始める。会計を済ませ、暖簾を降ろす官兵衛に見送られつつ挨拶もそこそこに帰路へ着いた。
車で来ずに正解だったと三成は背中にnameを背負い、歩きながら思う。本当はnameを迎えに行きすぐに帰るつもりだった。結局こんな時間ではないか、と僅かに白み始めた東の空を見ながら嘆息する三成とは裏腹に、nameは彼の背中の上で寝ぼけたような鼻歌を歌っている。

「今日は伊達と真田の三人で飲みに行くと聞いていたのだがそれは私の聞き間違いだったか?」

狭量男と思われたくはなかったが、三成はついチクリとnameに訊ねてしまう。あーそれはねー、と間延びした彼女の声はシンとした街の空気の中をふわふわと漂う。

「最初はそのつもりだったんだけどねー、どっから聞いたのか知らないけど元親も来ることになってそれを知った元就がさらに着いて来て、そんで、えーと……何故が家康が途中からさっらといてー、みたいな」

「では何故官兵衛の店にいた」

「あーそれねー。一軒目でさー、まさかの織田商事の人達と鉢合わせちゃってさー、明智さんだっけ?あの髪長い人。あの人凄いんだよ、社長の織田さんに凄い勢いでお酒勧めるの。びっくりしたよー。でさ、なんか新人さん?入ったみたいだねーおかっぱのー。名前は知らないけどさー。んで気楽に飲めるとこって言ったらやっぱり官兵衛さんのとこだったから」

あーそれにねー、と付け足したnameの身体を三成は立ち止まって背負い直す。「いやー揺らさないでー」と焦るnameに「背中で吐いたら許さんからな」と釘を刺し、続きを促した。

「左近がバイトしてたよ」

「……」

おのれ左近nameがここ迄酔う前に何故止めなかったむしろ入店した時点で何故私に連絡を寄越さなかった、と左近の危惧した通り怒りのボルテージがひしひしと上がってゆく三成。

「ほーんと、三成も来ればよかったのに」

nameも再三彼を誘ったにもかかわらず、三成は頑として来ようとしなかった。

「家康の電話、なんで出なかったの?あんなにかけてたのに可哀想だよー」

「貴様は86回も電話を寄越すような人間からの着信を取ろうと思うのか?」

「あはは、確かにー」

笑えば酔いと眠気で三成の背中から仰け反り落ちそうになるname。慌てて三成の首に回した腕に力を込めるもあまり意味はなく、それがむしろ三成の労力を使わせることになるのだが彼は文句の一つも言わずに黙々と家を目指す。
言いたいことは山ほどあるが、あんなに楽しそうなnameの顔を見てしまえば何も言えないではないか。狭量であり嫉妬深い男であると、三成は己を自覚している。けれどそれでも、彼が一番に思うのはnameの笑顔なのだった。
なんとnameに甘いことか。刑部もnameを甘やかしてばかりだが、自分も大概だ。そう三成は思う。
いやしかし、彼の場合は彼女を甘やかすということに対してある種の自負のようなものを抱いているのだからどうしようもない。それが彼にとっての幸せなのだから尚更だ。

「あ、見て見て、月きれー」

三成の背中で指をさすnameの示す方を見上げれば、家を出た時よりもずっと薄まった紺色の空に白く澄んだ月が浮いていた。
そして三成は気が付く。家を出た時はあんなに寒かったというのに、今はむしろ暖かさを感じるほどであるということに。
少々酒が入っている所為もあるだろうが、こうして二人でいるとこれほど迄に暖かいのか。けれど、ほうと吐いた息はやはり白く、それは三成の感じる暖かさが彼のもっとずっと奥の方から湧き出していることを表していた。

「三成ー……」

「なんだ」

「ありがとね、お迎え来てくれて」

「……当然だ」

ふん、と鳴らした三成の鼻先は寒さで微かに赤くなっていた。そうして静かになったnameの酒くさい寝息を耳元で聞きながら、つられるように欠伸をひとつした。重なった長い影はゆっくりと、夜明けの街を進んでゆく。

【眠り姫に愛を】
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