2014

泰平の世がやってきた。待ちに待った新世代の幕開けから月日は経った。戦乱の世を引き摺る者、また別の争いの場でのし上がろうとする者、表舞台から消えひっそりと隠者のように生きる者。それぞれの思惑を抱え、手探りに人々は生きていた。

日はとうに沈み、魑魅魍魎ですら眠りに落ちたこの時間、私は家康の腕の中にいた。
厚い胸板には多くの傷がついていた。消えない傷跡は痣になり、引き攣れになり、彼の身体に複雑な模様を描く。天井の木目のようでもあり夜空に浮かぶ星々のようでもある家康の傷を、私は指でなぞり繋いでゆく。
腕枕に頬を寄せ、私達は無言であった。私達は愛し合うには多くを失い過ぎてしまった。友を、仲間を、主を。私は三成を思う。家康に抱かれながら。家康の腕の中だからこそ、三成の影はより色濃くなる。三成の白い肌、すべやかなうなじ、浮き出た喉仏、心の臓を貫くような鋭利な視線。月明かりに照らされた三成は単に美しかった。もう決して手にはできない、永久に失われた美しさ。
行為の後の気怠さに私は目を閉じる。家康の指が髪を梳いている。やはり私達の間にあるのは沈黙。暗闇の中で舞う青白い光を追いながら、かつて三成がそうしてくれた指の感触を必死に思い出そうとする。光景は浮かぶのに、すんでのところで家康の指が記憶を払い落としてしまう。やめて。そして私は懸命に三成の声を思い出そうとする。「なあname、寒くはないか」優しく響く家康の声。やめて。三成があの日放った精液の温度を、記憶から探す。家康が私を抱き寄せる。やめて。脚の付け根を伝うぬるい液体。やめて。やめて。やめて。
私は三成を愛していた。けれど三成は死んだ。私を置いてひとりで逝った。家康は私の死を許さなかった。三成を愛した私を、家康は愛した。かつての友の、忘れ形見を。ねえ三成、今の私をどう思う。早く会って、問うてみたい。三成に会えるのであれば、あの世など怖くもない。未練など何も無い現世に、のうのうと生きながらえる理由は。
家康に浮かぶ星座をなぞり、私はそこに三成を探す。家康の逞しい腕が私を包む。三成とは違う体温、違う匂い。子供のように高い彼の体温に、私はのぼせてしまいそうだった。三成の控えめな体温は、もう。私しか知らない、私の中だけにしかない。三成、三成、三成。瘡蓋が出来ては剥がれ、血が流れ出す。回数が増すごとに治りは遅くなり、破れた皮膚の周りは逆剥け盛り上がり醜く変色をしてゆく。家康の放つ光は私の皮膚を焼き焦がし、傷痕を永遠へと変えるのだ。業であると、きっと彼は気がついているだろう。

「家康」

「なんだ」

私は目を合わさずに彼の名を呼ぶ。こちらを覗き込む家康の目には慈愛が満ちていた。慈愛などというものが、この世にあればの話だが。

「稚児ができたの」

率直に言った。一瞬の間を置いて家康が目を丸くする。そして私をきつく抱きしめた。

「それはめでたい、嬉しいぞ」

「ねえ、家康」

「どうした?何でも言ってくれ」

笑う家康は、既に父親の顔だった。私はそっと腹に手を当てる。

「どっちの子かな」

自然と笑みが零れた私を、家康は何も言わずに凝視する。彼の顔から笑顔は消えない。どっちに似るかな、ではない。どっちの子かな。私が言った意味を、彼は理解している。頭の後ろに回された大きな手が、私を家康の胸元に押し付ける。心の臓の鼓動。脈打つそこの冷たさに、私は一筋涙を流す。三成、ここにいたんだね。

「元気な子であれば、なんだっていいさ」

家康の声は水底で聞く魚の声のように輪郭を欠いていた。星座の合間を縫うようにして小さな銀の星が尾を引き流れていった。指の先に冷たい光が灯った気がして、私はそっと指先を家康に押し付けた。あたかも三成のいない世界の生に対する、せめてもの抗いの印とでも言うかのように。

【月の明るい夜でした】
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