2014

うらうらとした陽射しがあるけれど、吹くは寒い。そんな日のことだった。前日に剣術の稽古を取り付けたにもかかわらず刻限になってもやって来ないnameに業を煮やした佐吉は、竹刀を片手に彼女の部屋へと息巻いて向かっていく。そろそろ裸足で歩くには寒い季節になったけれど、今の佐吉にはそのようなことすらどうでも良かった。
肩を怒らせて障子をすぱんと開けると同時に「name、貴様ぁ!」と叫んで竹刀の先を部屋の中に向けた。普段であれば「ひぇぇ」と間抜けな叫びを発しながら部屋の隅に逃げてゆくか、腹を出して呑気に寝ているかのどちらかなのだが、どうやら今日は様子が違うらしい。
部屋の中は幾らかひんやりとしており、この時間には平素上げられている布団が敷いたままだった。更に佐吉が驚いたことには、nameが布団の中で横を向き、田圃にいる川海老のように丸まっているではないか。
怒鳴ろうとして大きく息を吸い込んだは良かったが、その異様な光景を前に佐吉はそのまま暫らく固まっていた。よくよく見ればいつもより青白い顔に、髪の生え際にはうっすら汗すら浮かんでいる。これは只事ではないと、佐吉は吸った息を静かに静かに全て吐き、そろそろとnameの枕元へ歩み寄る。
眉間に皺を寄せたnameは、薄く開いた唇から苦しそうな呼吸を繰り返している。何処か痛いのだろうか、時折か細い唸り声すら聞こえてくる。
いつもはお気楽な笑顔でへらへらとしているname。昨日までは何ら変わった様子は見えなかった。そんな彼女の急変ぶりに佐吉はかける言葉すら見当たらず、ただおろおろと手を握ったり開いたり、nameの額の上に手をかざしてみたり、きょろきょろと部屋の中を見回すことしかできなかった。
風邪でもひいたのだろうか、いやしかし、もしかしたら流行病なのかも知れぬ、もしも、もしも不治の病であったならば、nameは…。枕元の佐吉にも気が付かず、睫毛を震わせているnameを前に、彼の思いは悪い方へ悪い方へと向かってゆく。握った拳をわななかせ、とうとう佐吉はnameの肩に手をかけた。

「name、おい、name」

「ん、…あ、佐吉…」

「どうした、どこか痛むのか」

「……」

「黙っていてはわからぬだろう!言え!どこが痛いのだ!」

「やっ、揺すらないで…痛っ、う…ぅ」

がくがくと身体を揺さぶられ、nameの顔はさらに青くなる。腹部をおさえて小さくなるnameに、佐吉はしまったとバツの悪い顔をして手を離した。

「腹痛か。おおかた落ちていた饅頭でも拾って食ったのだろう。卑しい奴め」

「ちがうよ…もう、あっち行ってて」

視線だけ寄越して布団に突っ伏しているnameの物言いに、佐吉はカチンときて布団を剥ぎ取ろうとする。こんな言い方をするとは、もしかしたら稽古をさぼりたいがための演技なのではないか。しかし佐吉が奪おうとした布団をnameはしっかと掴んで離そうとしない。

「やめてよ、やだってば」

「病人にそんな力があるものか!さては貴様、稽古をしたくなかっただけであろう!」

「ちがう、ほんとに…っ、い、たぁ…」

一際大きくnameの身体がびくりと跳ねて強張った。ぎゅっと瞑られた瞼には苦悶の色が浮かんでいる。左吉はハッと我に返り、布団を強奪しようとしていた手の力を緩めた。

「す、すまん…」

「大丈夫だから、ほんとに、だから…ほっといて…ごめん」

「しかし…」

切れ切れに言うnameは大丈夫と言っているが、流石にこれが大丈夫な状態ではないことは佐吉の目にも明らかだった。けれどnameの態度は頑なで、突っぱねられた佐吉は持ってきた竹刀同様行き場をなくして困惑してしまう。
何か自分に出来ることはないかと思案し、せめて浮いた汗ぐらいは拭ってやろうと懐に手を伸ばした時だった。

「おや、佐吉」

「半兵衛さま!」

水の入った桶を手に、半兵衛が部屋へと現れた。平伏した佐吉の頭を撫でると、彼は布団の中で丸まっているnameを抱き起こす。ぐったりと力無く、されるがままになっているnameは半兵衛の胸に頬を寄せていた。青白いnameの顔を覗き込み、それから佐吉は半兵衛の顔を心配そうに見上げて尋ねる。

「半兵衛さま、nameはどうしてしまったのです」

「腹痛…の類だよ、気にしなくていい」

「……」

曖昧に濁された佐吉は、流石の半兵衛の言葉にも頷きあぐね、じっと彼の瞳を覗き込む。二人の間で湿ったnameの荒い呼吸が響いている。

「っ、い…た…」

「ああ、name、ごめんごめん。帯をもう少し緩めようか」

弱々しく痛みを訴えるnameの声に、半兵衛は慣れた手付きで彼女の着物の帯を緩めると、そっと優しく、温めるようにして腰の辺りをさすりだす。

「白湯でも飲むかい?」

半兵衛の問いにnameはゆるゆると首を振る。佐吉は、半兵衛さまの申し出を断るなど失礼な奴だと思いながらも、ただならぬ病状のnameと、それを看病する半兵衛の姿を落ち着かない様子で眺めていた。

「半兵衛さま」

「なんだい」

「nameは、…nameは死んでしまうのですか」

不安に揺れる佐吉の瞳。半兵衛はなんと言えばよいか暫らく思案して、にっこりと微笑んだ。

「明日か、おそらく明後日にはよくなっているから大丈夫」

「本当ですか」

「ああ、心配してくれて有難う」

優しい子だね、佐吉は。半兵衛はそう言うとnameを抱えたのとは別の腕を伸ばして佐吉の頭をよしよしと撫でる。半兵衛さまは医学にも精通しておられるのだ、流石は豊臣が誇る最強軍師様…。と佐吉は改めて半兵衛の偉大さを思い知り、目をきらめかせた。彼が大丈夫というのならばそうなのであろう。少し心の荷が下りた佐吉であるが、やはり苦しそうなnameを見ているのは辛かったのか、「私にも何か出来ることは」と申し出る。

「佐吉は、いいから。また明後日、ね」

絶え絶えに言うnameに佐吉の顔は不満げである。

「半兵衛さま!」

「?」

「私にnameの腰を撫でる許可を!」

声高に許可を請う佐吉に半兵衛はどうしたものかと考える。それ自体は別に構わないのだが、nameがきっと困るであろう。互いに年頃なのだ。それに加えて、実直なだけに初心な佐吉に事実を告げた時の反応を想像すると、何と無く半兵衛は言い淀んでしまう。いつかは知ることなのだから、と思うもののそのきっかけが一番身近なnameであると言うことに一抹の不安を覚える半兵衛である。

「佐吉」

「はっ!」

「女の子には優しくしなければいけないよ。nameだってこれでも女の子なのだからね」

「はい」

そう言って半兵衛は佐吉の手を取るとnameの腰に当ててやる。普段と違う非日常の出来事に、佐吉は少しどぎまぎしながら手を動かした。痛みの中で、nameは半兵衛とは違う手のひらの温もりを心地よく思い、細い息を吐き出した。半兵衛の腕の中で佐吉に腰を撫でられて、二人の香りが混ざり合う不思議な心地よさに痛みが和らぐ思いであった。
そのうち聞こえてきた寝息に、佐吉は動かしていた手を止めそっと離す。ふうふうと子供っぽい息を吐くnameに眉を顰めた佐吉がふと見上げれば、半兵衛がこちらを見ていることに気が付いて、慌てて顔をいつもの表情に戻そうとする。けれど慌てた所為で普段の顔がどんなであるかを忘れてしまい、珍妙な顰めっ面になってしまった佐吉に、半兵衛はつい口元が緩んでしまうのだった。

「半兵衛さま」

「なんだい」

「本当に、本当にnameは大事ないのですか」

再び不安の色を滲ませながら尋ねる佐吉。子供から大人に変わろうとしている拳を握りながら、半兵衛の目をじっと見る。佐吉の喉がごくりと鳴った。

「うん、一時的なものだからね。ただ、また彼女がこうなった時は、優しくしてあげるんだよ」

出来るね?そう言って微笑みながら首を傾けた半兵衛に、佐吉は神妙な面持ちで頷いた。

「nameのことを大切に思ってくれて、有難う」

よしよしと、佐吉の柔らかで真っ直ぐな髪を撫でる半兵衛。気恥ずかしそうに、それでもされるがまま俯いてはにかむ佐吉が真実を知るのはそれから数ヶ月先のことである。

【佐吉くんと第二次性徴】
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