2014

秋の野原には澄んだ青空をついついとゆく赤とんぼが何匹も飛び交っていた。城の外れに広がる田圃はすでに稲刈りも終わり、焼畑をする煙が方々で上がっていた。
そんな畦道をnameと佐吉はとことこと歩く。仲良く肩を並べて、とはいかないものの、あちらこちらに余所見をするnameとあまり距離が開いてしまわないように、佐吉はさりげなくいつもより歩調を緩めているのだった。

「佐吉、田んぼに鳩がいっぱいいるよ!」

「ああ」

「お米がこぼれているのかな」

「…知らん」

「雀もあんなにいっぱいいるよ!」

「さっさと歩け!」

立ち止まっては苅田に群がる鳥達を嬉々として指差すnameに佐吉が怒鳴る。佐吉の気遣いを意に介さず無邪気な様子のnameは彼の怒りもどこ吹く風だった。

「ねえ佐吉、あの鳥なんていう名前?」

「ヒヨドリだ」

「すごいね!佐吉は物知りだね!」

すらりと答えた佐吉をすごいすごいと褒めるnameに、彼は下唇を少しだけ尖らせた。先ほどの怒りと単純な褒め言葉がない交ぜになって、なんとも面映ゆい気持ちになったのだった。「もう少し近くで見てみようよ」と言って土手を下ろうとするnameの手を掴むと佐吉は「また日が暮れてしまう、やめておけ」と叱りつけた。しゅんとしたnameであったが佐吉に手を掴まれて嬉しくなったのか、そのまま繋いだ手をぶんぶんと振って歩き出した。初めのうちは俯いて耐えていた佐吉であったが、暫らく行ったところで立ち止まると肩を怒らせnameの手を振りほどく。

「童のような真似はやめろと何度言えばわかるのだ!」

「…だって佐吉、私のこと置いてっちゃうもん」

「ちゃんと待ってやっている」

「えー…」

あれで待ってるつもりなの。と不満気なnameの視線を断ち切って、佐吉はずんずんと歩き出す。小さくなる彼の背中をぼうっと眺めていたnameは小さく舌を出すと猛然と走り出す。

「くらえ佐吉!いがぐり爆弾!」

「name!いい加減にしないと叩き斬るぞ」

「佐吉怒ってばっか」

「貴様が私を怒らせることばかりするからだ!しかも投げたそれは半兵衛さまに頼まれた栗ではないか!」

「あ、ごめん」

nameは地面に落ちたいがぐりをつまんで拾い上げると、提げていた風呂敷に戻し入れた。銀杏と栗を上手に作っている人がいるからと、もらいに行くように使いを頼まれた帰り道なのである。それをあろうことか投げつけるなどあってはならぬことと、佐吉はnameの手から栗と銀杏がたっぷり詰まった風呂敷を奪い取る。

「あっ、駄目だよ、私が持つんだから」

「これ以上大切な頼まれ物を貴様になど任せておけるものか」

「……」

ふん、と鼻を鳴らしてスタスタと城の方へ向かう佐吉にnameは背後から声を張り上げる。

「佐吉なんかだいっきらいだぁ!」

「私も貴様のことなぞ好いてはおらん!」

そう怒鳴って更に速くなる足に、nameは唇を噛むとすぐそばの原っぱに向かって走り出す。嫌いだ嫌いだ、佐吉なんか大っ嫌いだ。すぐに怒るし、すぐに抓るし。大人ぶっちゃって。息を上げながら闇雲に分け入った草むらは、nameの背丈よりもずっと高い草が生い茂っていた。夜でもないのに足元にはひんやりと湿った、土の香りがする冷気がわだかまっている。
暫らく行ったところでnameはしゃがんで膝を抱える。どうせさっきのことも半兵衛さまに告げ口するんだ。そうしたら叱られるに違いない。そう思うと気が憂鬱で、それならば、いっそこのままここで誰にも知られず隠れていたい。
同い年のはずなのにどんどん大人びていく佐吉とどう接していいかわからずに、つい子供じみた振る舞いをしてしまうnameは時折そんな自分を悲しく思う。私がもっと、ちゃんと大人になれたらと。
昔はもう少し佐吉もおおらかだったのにな、とnameはそう遠くない過去を大人のように振り返る。いつからだったろう、佐吉がこんなにも怒りっぽくなってしまったのは。
乾いた草に身体をすっぽり包まれて、納豆の豆になったような気分でnameはそっと目を閉じた。
佐吉が秀吉に召し抱えられるのと時期をそう違えず半兵衛のお付きになったnameは同郷の仲ということもあり、いつも佐吉の後ろを付いて回っていた。鈍臭いうえにそれをあまり気に留めていない所為か、市松や虎之介に「金魚の糞」だとか「のろま女」だとかとからかわれ、挙げ句の果てに泥団子や虫を投げつけられてもいつもの如き笑顔を浮かべているnameであった。本人はさして気にしていないのだけれど、それを許さないのは佐吉の方で。腕にものを言わせ何かとnameにちょっかいをかける二人を、蝿を払う牛の尻尾のように佐吉は追い払った。それが元となり、彼は元来の性格にほんの少し色を付けた程度には怒りっぽくなったのだが、やはりnameはそれには気付いていない。呑気に「放っておきなよ」と言うnameの鼻の頭についた泥をゴシゴシとぬぐいながら、佐吉は己が事のように歯噛みするのだった。おそらくは妹分(あるいはそこからほんの少しだけ先にある幼すぎる恋心)のように思っていたのであろうが、単に弱い者いじめが許せないのだと、佐吉はいつも口にした。
はぁ、と溜息をつけば、周りの草が風になびいてざわわ、びょうびょうと音を立てた。足元に何か冷たいものが触れたような気がして目を開けば、先ほどまで気持ちが良いほどに降り注いでいた太陽の光をさっと広がった雲が隠してしまい、辺りは薄暗く景色を変えていた。一転した風景にnameは訳もない不安に駆られて立ち上がる。
先ほどまではずっとここに隠れていたいと思っていたくせに、今となっては、もしかしてここから永遠に出られないのではないだろうかという思念に取り憑かれ、終いには老婆と成り果て痩せさばらえた己の姿すら脳裏をよぎる始末である。nameは泣きたい気持ちでいっぱいだった。
「佐吉」呼んだ名前が震えていた。だから余計に不安になった。「佐吉、」やはり返事はない。「佐吉ってば!」最早ほとんど鳴き声であった。兎に角ここから出ねばと思い闇雲に走り出す。どの方角から草むらに分け入ったかなど覚えてはいなかったが、足を止めれば其の儘足の裏から生えた根が己が身体を縫い止めてしまいそうだった。どんどんと風が強くなる。佐吉を呼ぶ声は草音にかき消される。もうここからは出られないのだ。三成、半兵衛さま、秀吉さま。つい先ほどまでいた暖かな場所を思い出し、nameの目から涙が零れた。
ぼたぼたと涙も鼻水も垂れ流し、足をもつれさせながら走るnameの腕を掴む手があった。

「さっ、さっ、さきちっ」

「何をしている」

幼い眉間に深い皺を寄せ佐吉は言う。nameは背後から現れた彼の姿を見るや否や、わあっと火が付いたように泣きはじめた。呆れたような困ったような表情で、佐吉は涙を流すnameを眺める。両手の甲を目元に当てて、「置いてかないでよ」「もう会えないかと思った」などという意味の言葉を途切れ途切れに口にするnameは、そのまま佐吉に抱き付いた。突然の抱擁にたじろぐ佐吉であったが、幼子が親にしがみつくようなそれであったので何とか平静を取り戻す。

「貴様が拗ねたりするからだ」

「すっ、ねてなんか、なっ…」

ひいっく、とnameが大きくしゃくりあげ、佐吉は滲み出すような熱を孕んだnameをどうすれば良いものかと持て余す。溢れる涙は次々と頬を寄せた佐吉の服地に吸い込まれていった。ほんのりと温かく湿った涙を肩の辺りに感じながら、佐吉はよしよしとnameの頭をぎこちなく撫でてやる。いくらあの二人に虐められたって泣かなかったnameが何故ここで泣くのか、佐吉にはさっぱりわからなかった。しかし泣いている女子を(ましてやnameを)放っておけるわけもなく、ただ泣き止んで欲しい一心で手を動かし続けた。
ひととおり泣いたnameは小袖の袂で涙をぬぐい、佐吉に貰った懐紙でちんと鼻をかんだ。そうして「行くぞ」と言って手を引かれるがまま、草むらをかき分けてゆく。半歩前を行く佐吉がどうして迷いなく歩いてゆくのかnameには不思議でならなかったけれども、彼についていけば迷うことなど絶対にないのだという確信がnameの中にはあった。
ようやくさっきの道に出てくる頃にはnameの涙は完全に引っ込んでいた。伸びる佐吉の影を踏みながら、そもそもなんで私はあんな草むらの中に入って行ったのだろうかと小さく首を傾げるほどだった。佐吉の苦労も相当なものであろう。

「おい」

「なあに」

「……」

立ち止まった佐吉は無言で風呂敷をnameに突き出した。きょとんとしてそれを見ていたnameは意味を理解するや否や両手で大切そうに抱えると、「わーい」とぴょんぴょん飛び跳ねた。そうして「ほら、早く帰ろ」などと言って再び佐吉の手を取るnameを、現金な奴めと溜息をつきたくなる彼であったが、先ほど彼女の口にした言葉が彼なりに引っかかっているらしい。

「佐吉」

呼ばれた名前に彼は繋いだ手に少しだけ力を込めた。

「さっきは大っ嫌いなんて言ってごめん」

「……」

「本当は、大好きだよ」

「?!」

天頂から少し下った場所にある太陽は、いまだ明るい光を放っているというのに、佐吉の頬はおろか首筋まで夕焼け色に染まり出す。なんと答えていいかわからず、口をへの字に曲げた佐吉はじいっとnameの目を覗き込んでいた。

「佐吉と一緒にいれば、大丈夫って思えるの」

「ど、どういう意味だ」

「んー…わかんないけど、なんかそんな感じ」

「きちんと説明しろっ!」

「あっ、ほらまた怒る!」

「怒ってなどいない!」

「怒ってるよ!」

nameは佐吉の手を解くと一目散に駆けてゆく。本気を出せば簡単に追いつかれてしまうのに。鈴のような笑い声を上げながら走るnameは、振り返るとまだそこに立ち尽くしている佐吉に向かって大きく手を振った。

【またしてもお使い】
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