2014

寒い寒いと言いながら私は三成の部屋に上がり込む。家が隣同士な私たちはそれは勿論幼馴染なわけであり、勝手知ったる三成の家はもはや私の家も同然だった。

「だからと言って私の部屋は断じて貴様のものではない!」

お気に入りのゆるーい顔をした巨大なクマのクッション(チカと政宗とゲーセンで取ったやつ)に顎を乗せてコタツムリになっている私の手からポテチの袋を取り上げると、三成は素早く口を丸めて輪ゴムで止めた。

「ポテチ返せ!ドロボー!」

「name!床に食べクズを落とすなと何度言えばわかる!」

「掃除好きな三成の為にゴミを用意してあげてるんだよ」

「帰れ!」

わざと舌をぺろっと出せば、げんこつで頭をグリグリされた。ぎゃーぎゃーと騒いでいると階下から「うるさいわよー二人ともー」とおばさんの声が聞こえてきて、私たちは途端に口を噤む。
三成のせいで怒られた。貴様が愚行故だ。すぐ人のせいにする。どっちのセリフだ。そんな風に言いたい放題やりたい放題、気兼ねないっていいことだ、うん。
ポテチを取り上げられた私は手持ち無沙汰になり、クマの目を突いてみたり耳を引っ張ったりして遊んでみる。就職も決まった私たちは既に卒論も書き終えて、最後のモラトリアムを満喫している最中なのだ。だから暇を持て余した私はよくこうして三成の部屋で何をするでもなく寝転がる。自分の部屋ではなく、三成の部屋というのがポイントなのだ。
将来のこととか、新しく始まる生活のこととか、希望よりも不安の方が大きくて、だけどここにいれば今までの思い出がそんな不安から私を守ってくれるような気がするから。多分、きっと、三成もそれをわかってくれている。ふあ、とあくびが出た。とろとろと眠気が頭の中に流れ込む。脳みそがこんにゃくみたいだなぁ、あ、さっき晩御飯はおでんだよっておばさん言ってたなぁ。


微睡みの向こう側に気配を感じて目を覚ますと、目の前に三成の顔があった。覗き込むようにして私を見ていた三成は、私が目を覚ますだなんて思ってもみなかったという顔をして固まっている。さっとほっぺが赤くなったのが面白くて、私はくすくす笑いながら手を伸ばす。私の手も三成のほっぺもあったかかった。いつもは私の手があったかくて三成はどこを触っても冷たいのに。

「もうご飯?」

いつの間にか日が暮れていたらしく、カーテンが引かれていた。薄紫色の遮光カーテンのせいで、部屋の蛍光灯がぺかぺかして余計眩しい。

「いや、まだだ」

そう言った三成の声が掠れているのが面白くてまた笑う私を、三成は少し顔を離して静かに見ている。

「もしかしてチューしようとしてた?」

いつもみたいにふざけて言ったのに三成は何も反応してくれない。仰向けになった私を上から覗き込む三成は影が濃くて表情がよくわからない。

「そうだ、と言ったら」

「え?」

「私が貴様に…」

そこまで言うと三成は左右に視線を彷徨わせ、「いや、なんでもない」とぼそぼそ呟いた。なんでこうやって肝心なところで逃げるんだろう。いつだって私はその先を待ってるのに。なんていってる私も待ってるだけなんだからそんな風に三成を責める権利はないのだけれど。

「どしたの、三成」

言いたいことあるなら言いなよ。私の声も掠れていた。ひねくれ坊主を諭す母親みたいな口調になって少しこそばゆい。三成は私の頭の下に敷かれたクマの耳を弄りながら、口を開いたり閉じたりしている。しばらくの沈黙があって、ようやく三成は話し出した。

「就職を機に家を出ようと思っている」

「え…?」

「兄の結婚が決まってこの家に戻って来ることになったらしい。私がいては邪魔だろうしな。まあ、親離れするいい機会だろう」

すらすらと淀みなく、まるで何度も練習したみたいな言い方をする三成を、私はじっと見る。そっか、そうなんだ。ずっと昔、小さな頃からの思い出が紐を解くようにするすると溢れ出す。知らず知らずのうちに泣いていたらしく、ほっぺを伝った涙が耳の穴に入って変な感じがした。ずっとずっと、温かい毛布のようなこの部屋にいられるとは思っていなかったけど、その時がこんなにもすぐやって来るなんて思いもしなかったから。突然突きつけられた現実に、私は遊園地で迷子になってしまった子供みたいな気持ちになった。三成とこの部屋は私の寄る辺だった。

「そっか、さみしいな」

あー…うん、さみしいな。もう一回言って、私は手の甲で涙を拭いた。えへへ、と嘘くさい笑顔を浮かべながら。結構ショックだな。ぐらぐらと心が揺れていて、息が苦しかった。喘ぐみたいにして息を吸った私の目からはまたすうっと涙が流れた。

「ごめん、最近涙脆くて。正澄お兄の結婚、よかったね、おめでとう」

さっきの涙で湿った手の甲をまた目元に押し付ける。すると三成は私の手首をぎゅっと掴んだ。痛いぐらいに。

「name」

「ん」

「name、」

「うん?」

「私と一緒に来い」

「……」

それは一緒に住もうってこと?つまり、同棲?ぱちぱちと瞬きをすると、まつ毛の先に引っかかっていた涙の雫が蛍光灯に反射した。ぽかんとしている私のほっぺに三成の右手が添えられる。だんだんと下がってくる顔。長い前髪の先が垂れて鼻先をくすぐった。下から見上げているせいで、いつもは隠れているおでこを見ることができた。それがとても特別なことのようで、私は嬉しくなる。もっと嬉しくなるべきは他にもあるのに、今ここにある三成のすべすべなおでこが私を幸せにしてくれた。
そっと伸ばした手、指先で眉間のしわをなぞる。私の答えを待っている三成のまつ毛が、淡く揺れていた。

「さっきの続き、して欲しい」

「先に答えを聞かせろ」

「そんなの、聞かなくったってわかってるでしょ」

「口に出すまでは信用できん」

口に出すまで、なんて。そんなチープな仲じゃないのに、三成だってそれを知っているはずなのに、それでも言葉に縋ろうとする三成の必死さに私は胸の奥がきゅんとした。言葉だって不確かなのに。ここにいる私が答えなのに。だから私はもう片方の腕も伸ばして三成の首に手を回す。少し力を入れれば、何かの仕掛けみたいに三成の顔がするすると降りてきた。
鼻先が触れあって、それでも唇まではまだ遠くて。ずっと近くにいたはずなのに、唇はこんなにも遠かった。「name、」吐息まじりに名前を呼ばれる。熱くて湿った息が頬を撫でた。

「三成、あのさ」

「黙れ」

世に言う憧れのキス的なふわっと優しいやつではなくて、押し当てるような押し潰すような、噛み付くようなキスだった。乱暴だなぁと思うけど、三成らしいといえば三成らしい。なんてわざと冷静ぶったりして。本当は心臓が爆発してしまいそうだった。

「三成顔赤い」

「貴様もだ」

「私はおこた入ってるから」

減らず口を叩くな、そう言ってもう一度私の唇を塞いだキスは、まさしく理想のキスだった。

【とりあえずキスしてみようか】
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