2014

島左近という男を三成が連れてきた。
豊臣にはいない種類の人間だった。
なぜ三成が島左近を連れてきたのか、わかりたいような、わからないような、でもその理由を私はきっと知っている。
ぺたぺたと床板を踏み鳴らし、軽快な足取りで三成の斜め左後ろを歩く島左近はまるで犬のようだった。

「三成これだれ」

「俺?島左近。つー訳で、よろしくっ!」

「……」

「左近、nameは私同様幼き頃から豊臣に仕える将だ。慎め」

腰を屈めて馴れ馴れしい笑顔を浮かべる島左近から逃げたくて、私は三成の右側に回って袴の裾をぎゅっと掴んだ。

「name、どうした」

「あらら、ご機嫌損ねちゃいました?」

「……」

どうして三成はこんな男を連れてきたのだろう。
物凄く不愉快な気持ちになった私は島左近と一緒にいる三成なんか見たくない一心でその場を離れると、半兵衛さまのお部屋まで一目散に駆けた。
すぱん、障子が乾いた音を立てる。
この部屋にそんな入り方をするのは君ぐらいだよ。
いつか半兵衛さまは言っていた。
僕の躾が甘かったかな。
とも言っていた。
何時ものように着流し姿でゆったりと脇息に凭れている半兵衛さまは、硬く握られている私の手に視線を向ける。

「おいで」

優しい目でそう言った半兵衛さまは右手を伸ばして微笑んだ。
暖かな寝床に入るような気持ちで私は半兵衛さまの腕の中に潜り込む。

「猫のように暖かいね、君は」

私の頭に頬ずりしながら言うと、「で、何があったんだい?」と楽しむような声音で尋ねてくる。

「三成が変な男を連れてきました」

「ああ、島左近くんのことだね」

「……」

その名前を聞いた途端に押し黙れば、半兵衛さまは私の頭を撫でながらくつくつと笑っている。
何が可笑しいのかわからなくて、私はついムッとした表情を浮かべてしまった。

「三成くんも、彼なりに思うところがあったんだと思うよ」

「……」

「左近くんも、いい番犬になりそうだし」

「……」

「それに、三成くんと似た者同士の君なら、そのうちきっと左近くんを気に入ると思うけど」

ふふ、と未来を見つめるような、その不思議な目を細めて笑う半兵衛さま。
私が島左近を気に入る?そんな日が果たしてやってくるのだろうか。

「そんなに怖い顔をしてはいけないよ、name」

「…はい」

「直ってない、直ってない」

笑いながらぎゅ、と私を抱きしめる半兵衛さまの腕はあたたかい。

「あっ、nameさん」

「……」

「まぁた怖い顔して、もしかしてこの前のことまだ怒ってたりします?」

「怒ってない」

「いやいやいや、怒ってるっしょ」

「……」

「と思って、ほら!」

じゃーん!と馬鹿みたいな効果音をつけて島左近は背後に隠していた何かを私の目の前に持ってきた。

「女の子には花だよなぁと思ってさ」

ま、受け売りなんすけど。と付け加え、人懐こい笑みを浮かべて私の胸元に一輪の秋桜を押し付ける。
欲しいなんて言った覚えはない。
受け取らない私に痺れを切らしたのか、島左近は無理矢理私の手を取り指を開かせると、花の茎を握らせた。
花に罪はないはずなのに、私はその秋桜を投げ捨てたい気持ちでいっぱいだった。

「俺は三成さまの左側、刑部さんは右側」

「……」

何が言いたいのだろうかこの男。
ふざけたように弾んでいた声は一転、低い男の声になる。

「nameさんは、どっちかってーと“下”って感じ?」

「……」

下とはどういう意味なのだろうと不思議に思い、島左近を見上げるけれど、上手い具合に太陽を背負っているせいで表情がよく見えなかった。

「つーか、俺が下にしたいかも、なんて」

「意味がわからない」

「あー…はは…うん、いいっす、わかんなくて」

憮然としていると、島左近は曖昧な表情を浮かべたままひらひらと手を振り何処かに消えて行った。

「三成」

「なんだ」

「あいつ意味わからない」

「気にするな」

「変なこと言われた」

「何をだ」

「刑部が右側、あいつが左側、だったら私は三成の下だ、って」

「どういう意味だ」

「知らない」

三成の殺風景な部屋で寝転がりながら先ほどの不愉快な出来事を言う。
暫らく思案していた三成は一瞬何かを閃いたような顔をしたかと思えば、ほんの少しだけ顔を赤くして怒りの表情を浮かべていた。

「ねえ」

「なんだ」

「三成は意味わかるの」

「……知らん」

「その顔はわかってる顔」

「知らんと言っている!」

「…あ、そ」

どすどすと畳を踏み鳴らして三成は部屋を後にした。
綺麗に積み上げられた南蛮菓子をつまみながら、何処かで雉が鳴く声に耳を澄ます。
やはり島左近が大阪城に来てからというもの、ここの空気は少し変わった。
なんというか、騒々しい。
それは別に構わないけれど、三成までもがあの男に感化されてしまいそうで私は床の間に生けておいた例の秋桜を睨みつける。
何故だかどうして、湯呑みに茶碗に投げ入れただけのその花は、いまだに花弁の先まで瑞々しい。

「なんのつもり」

「いやいや、三成さまにお使い頼まれたんすけど城内まだよくわかんないから」

「他を当たればいいでしょ」

「んな冷たいこと言わないでくださいよー」

「……」

備蓄してある米俵の数を数えて来いと三成に頼まれたらしい左近が私の部屋にやって来た。
何故私に案内役を頼むのか。
極力関わりたくないと思うのに、真昼の影のようにやたらと私にまとわりつく。
頭の後ろで手を組みながら足取りの軽いこの男が、三成の隣を歩いているのかと思うと鳩尾のあたりが冷たくなった。
城の外れに立つ兵糧庫の内、最も大きな米倉の錠を開ける。

「はい」

「えっ、ちょ…nameさん手伝ってくれないんすか」

「私は頼まれていないから」

「…冷てぇの」

「じゃあ」

「ちょちょ、待った!なら頼んます、この通り!」

土下座をする勢いで頭を下げる島左近に呆気にとられる。
気味の悪い男。
頭を下げて頼まれては断るわけにはゆかず、湿っぽい米倉の中に足を踏み入れた。

「なんか埃ぽいっすね」

「早く終わらせて」

顔の前で手の平を振りながら歩く島左近は、物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回している。

「一区画に米俵はこれだけ、そっちは私がやるから」

「へいへい、っと」

「早くやって、じゃあ」

「ねぇ、nameさん」

まただ。
この男のこの声。
朗らかにふざけた後に、ぐっと低くなる男の声。
背後から腕を掴まれ身体の均衡が崩れた、そう思った時には既に背中が米俵に押し付けられていた。

「退いて」

「この前俺が言ったこと、三成さまに聞いたっしょ」

「何のこと」

「nameさんは“下”、のこと」

「それがなに」

「こーいうこと」

目の前まで迫って来た鼻先をへし折ってやろうかと思った。
この男は知らないと思うが私は柔術においては三成よりも勝る。
けれど見極めなければならない。
このようなことをするぐらいなのだ、もしかしたら豊臣に仇為す間者かもしれない。

「お前は敵か」

「敵?」

「豊臣の敵なのかと聞いている」

三成に取り入り、半兵衛さまにまで評価されておきながら、弱いと見えた女の私にこのような愚行を働くとは。
しかし島左近はきょとんとした表情を浮かべたのちに吹き出した。

「何がおかしい」

「いや、なんつーか…鈍いなぁと、」

「意味がわからない」

「したこと、ねーの?」

首筋に、ぬるい息がかかった。
いつも半兵衛さまにされるそれとは全くの別物で、反射的に私は彼の脛を足先で払う。

「ってー!手加減無しっすか?!」

「離して」

「やだ、って言ったら?」

「殺す」

見上げた島左近の瞳に自分の顔が映っていた。
明かり取りの窓から斜めに差し込んだ日の光に白く縁取られた砂埃が、島左近の肩越しにふわふわと舞いながら煌めいていた。

「冗談っすよ、じょーだん」

そう言って彼が私から手を離すのと、背後から伸びて来た刃が彼の頬を掠めて米俵に突き刺さるのはほぼ同時だった。
両手を万歳の格好であげたまま硬直する島左近に「左近くん、何をしているのかな」と、いつの間にか現れた半兵衛さまが冷たく、というより気持ちが悪いぐらい優しく声をかける。

「三成くんには米俵の数を数えろと指示されていたはずだけど」

「は、半兵衛さま…」

「それを怠るどころか、僕のnameに手を出すなんて…君もどうやら躾が必要みたいだね、左近くん?」

ゆっくりとした足取りでこちらにやって来た半兵衛さまは、島左近の両肩を掴むとその身体を横にずらし「おいで、name」と私に手を伸ばす。
その間島左近は両手を挙げたまま人形のように全く動かなかったのだが、蔵の入り口から陽炎のようにゆらりと現れた三成の姿を見るや否や獲物を狩る鷹よりも速く彼の元に走り寄り土下座をした。

「左近っ!貴様っ!」

「すんません!ちょっとふざけ過ぎただけなんですって!nameさんと仲良くなりたくて先走り過ぎてぶふぇ!」

「ちょっと?ふざけ過ぎた?貴様は、何を、言っている!」

刀の鞘で殴り飛ばされた島左近は吹き飛び、目にも止まらぬ速さでそれを追った三成に足蹴にされていた。

「name、何もされていないね?」

「はい」

「うん、それならいい」

「半兵衛さま」

「なんだい」

「島左近は間者ではないのですか」

「……ではないね。どうやら君との親睦を深めたかったようだけど…やり方を誤るにも程がある。この僕が特別にきつく躾けておくから君は何の心配も要らないよ」

そう言って物騒な光を美しい瞳の奥にちらつかせながら半兵衛さまは微笑んだ。
穴の開いた米俵からは、ぱらぱらと米粒が零れ落ちていた。
頭を庇いながら這いつくばる島左近が謝罪をしているのに何故がふざけているようにしか見えないのは彼の見た目の所為だと思う。
損な奴。
ああ、そうか。
だから三成は彼を連れて来たんだ。
半兵衛さまの腕を抜けて(髪を梳いていた指先が離れた)、こめかみに青筋を立てている三成と平伏している島左近との間に立つ。
茶色い方の髪が、ボサボサになっていた。

「左近、お花有難う」

「…へっ?」

「name…」

私はそれだけ言うと蔵の外へ出た。
あそこは埃っぽいから好きではない。
あとで秋桜をもう少しきちんとした花器に移してあげようと思った。


「ちょ、三成さま、今nameさん俺のこと名前で呼んでましたよね」

「知らん」

「いやいや呼んでたっしょ!」

「調子に乗るな」

「やりぃーっ!」

「左近くん…」

「あ…は、半兵衛…さま…」

「後で僕の部屋にきたまえ」

「……へー…は、はい」

「三成くん、行くよ」

「はっ!」

「待って!待ってくださいよ!置いてかないで!閉じ込めないでくださいってば!」
- ナノ -