2014

「name、なぜここにいる」

「なっ、長秀さま!」

「来てはならぬと言ったはずだが」

すっと目を細めた長秀に、nameはしゅんと下を向く。
砂埃が舞い、益荒男たちの太い怒声が飛び交っているこのような場所へ、長秀がnameに来るなというのも無理はない。
石垣の為に切り出した大石や積み上げた土盛がいつ何時落ちてくるかもわからないのだ。
にも関わらず物見気分でうろうろされては彼としても気が気ではない。
つい先日も築城の進行状況を見に来た信長にあわやという場面があっただけに、彼の気も普段より立っているのだった。

「そなたはすぐに帰るのだ」

「……あの、」

「なんだ」

「これを…」

今にも消え入りそうな声で言ったnameは肩にかけていた風呂敷から笹の葉の包みを取り出し、長秀の胸元に押し付けた。
俯き加減の彼女の手から包みを受け取ると、長秀の鼻腔を爽やかな青い笹の香りが抜けてゆく。

「せめてこれをと思って…」

「…nameが作ったのか」

「はい」

普段台所になど自ら立つことはないnameが自分の為に作ったのかと思うと、頭ごなしに叱りつけたことを申し訳なく思い長秀の表情がほんのりと緩む。
不器用な彼女のことだ、手にまとわりつく炊きたての熱い米に苦戦したに違いないであろう。
下女達に指南されながら必死に握り飯を握るnameの姿を思い浮かべて可笑しく思いながらも、長秀は彼女の気遣いを有難く感じるのだった。
とその時、ぐるる、と腹の虫がなく音がした。
不幸にも周りの音が途切れた時だった為、その音はしっかりと長秀の耳にも届いていた。
みるみるうちに耳の先まで赤くなったnameは、恥ずかしさのあまり今すぐにでも背を向けて逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

「name」

「…はい」

蚊の鳴くような声で返事をしたnameの手を取ると長秀は歩き出す。
握った手は柔らかく暖かかった。

「どうせならそなたも共に食べてゆけ」

「でも一人分しかありませんし、それに…」

「構わぬ」

舞い飛ぶ砂埃からnameをかばうようにして暫らく歩けば、小さなせせらぎのある畦道に出た。
丁度いい塩梅で木陰を作っている古木の下に腰を下ろすと、長秀は手を洗ってくると告げ、包みをnameに持たせて立ち上がる。
ゆっくりとした所作で川縁に遠ざかってゆく夫の背中を眺めながら、nameは戦場で彼が刀を振るう姿をどうしても想像できずにいた。
ひとたび戦となれば自分を優しく導いてくれる手に刀を握り、目にも留まらぬ速さで相手方の兵を切り倒すのであろう。
目を閉じて瞼の裏にそんな彼を思い描くもやはり、どうにも上手くいかぬのだった。
戻ってきた長秀は目を瞑り難しい顔をしているnameを不思議に思い、しばらく彼女の様子を真正面から見下ろしていた。
とうとう諦めたのか目を開いたnameは、目の前で自分をじっと眺めている長秀に驚いた勢いで後ろにひっくり返りそうになる。
しかし空をかいた彼女の手を長秀が咄嗟に握って身体を抱きとめた。

「なにをしている」

「も、申し訳…っ」

深い柿渋色の肩衣に顔をうずめたnameは、目にも留まらぬ速さで自分の手を取った長秀に密かなときめきを感じつつ、このような昼下がりに彼の胸の中にいることに大層顔を赤らめるのだった。

「どこもぶつけておらぬな?」

「はい。ありがとうございます」

それならよい。そう言って長秀は再びゆっくりと青草の上に腰を下ろした。
nameは笹の葉を解き、現れた握り飯をひとつ手に取ると隣の長秀に手渡す。
歪な形をした大ぶりな握り飯をしげしげと眺めていると、nameが「あまり見られては恥ずかしゅうございます」と半ば無理矢理長秀の口に押し込んだ。
変わらぬ表情で咀嚼し嚥下する長秀を、nameはちらちらと盗み見る。

「美味いな」

「よかった…」

こっくりと頷いた長秀はぽつりと言った。
彼女にはその一言で充分であった。

「そなたもひとつ食べるといい」

「はい、お言葉に甘えて」

「これ程大きな握り飯なら腹の虫も満足するはず」

「……」

忘れたかった出来事を思い出し、握り飯に伸びかけていたnameの手が止まる。
そんな彼女を他所に長秀は「うむ、美味い」と頷きながら、つやつやとした新米にかぶりつくのだった。
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