2014

私がいつも膝を抱える癖を三成は嫌った。三成は私の事が好きで嫌いだ。訳が分からない。私を憎んだり愛したり、表裏一体の感情が忙しなくぱたぱたと回転するものだから私はどうしてこの人は目が回らないのだろうかと不思議に思う。
乱暴に愛して突き放す三成に対して私が抱いている感情もまた訳が分からぬものだった。結局のところ同族嫌悪なのかもしれない。私が三成と同族であるということを認めたくはないけれど。それでもある種の類似点があることは否めない。剥き出しの心はボロボロなのだ。いつだって。

「貴様が部屋にいると黴が生えそうだ」

「はえないよ」

むしろ三成からキノコが生えてくるんじゃないの。とこっそり呟けば、丸められた紙屑が飛んできた。

「ねぇ、暫く戦がないって本当?」

「ああ。半兵衛様が仰っていたのだから間違いない」

「ふぅん」

つまらない。戦がない日々は私にとっての無でしかなかった。価値のない、凡々たる無為な日々。口を尖らせて顔を伏せる。秋の風が頬を撫でた。三成は文机に向かって先ほどからつらつらと何かを書きつけている。何処かで鳥が鳴いていた。暇。

「あー…」

「なんだ。そのように怠惰な態を晒すのならば他所へゆけ。目障りだ」

「なら暫く瀬戸内の方にでも行ってこようかな」

「駄目だ」

「私がいると鬱陶しいんでしょ」

「どうせ毛利のところに行くのだろう」

「さあ」

「奴は好かん」

「三成が好く人なんかほとんどいないでしょ」

毛利の冷たい目と他を寄せ付けない雰囲気とは、三成の持つそれに似て非なるものだ。ただ私は毛利の事を内心好ましく思っていた。あの仮面の下に潜む歪な柔らかい心、私達が剥き出しのままに傷つける心。触れてみたいと、傷付けたいと思うから。
私が今にも立ち上がって大阪城を出て行ってしまうのではないかと危惧した三成は、今まで座っていたというのにもう私の目の前にその綺麗な顔を近づけている。透き通るような白い肌に睫毛の影が落ちていた。
薄い唇が「行くな」と動く。声はない。囁くような、掠れるような。部屋の隅に押し込められた私は私を縫い留めたまま動かない三成の檻の中で脱力する。瀬戸内に行くなど戯言でしかないのに、そんな繰言にすら過剰な反応で私に向かってくる三成の真っ直ぐな瞳を愛いと思う。

「つまらない」

「何がだ」

「全てが」

「秀吉様と半兵衛様が治められる平和な世がある。貴様はそれをつまらないと言うか」

静かに、胸ぐらに掴みかからんとする勢いを押し殺しながら言う三成の瞳が細かく揺れていた。実直な瞳は感情を偽ることなど知らないのだろう。

「嘘、全部嘘だよ三成」

「……」

全部というのがどこからどこまでを指すのか考えているのか、三成は私から視線を少しだけ外して喉元の辺りをじっと見ている。

「だって三成は私がいないと満足できないでしょ」

「なんだと?」

こめかみに青筋を立てた三成に睨まれる。他人であれば震え上がるであろうこの怒りに満ちた表情も見慣れたものだ。だから煽る。もっと、もっとその顔が見たいから。三成の中に巡る憎悪の綻びに私はなりたい。
柱についた腕にそっと手を添える。ずり下がった小袖の口から白く覗いた手首から青い血が透けていた。血管の膨らみに指を這わせて撫でてやると擽ったそうにぴくりと皮膚が震えた。

「三成は私じゃなきゃ満足できない、ってこと」

「自惚れるな」

「試してみる?」

ふん、と鼻を鳴らした三成の腕からするりと抜けて私は言う。空になった腕を素早く畳についた三成は何も言わずに私を見上げる。

「暫く私が瀬戸内に行く、三成は私なしで生活する」

「それは許さんと先程言ったはずだ」

それに。と言った三成は立ち上がり私との間合いを一瞬で詰めると、思い切り私を畳の上に叩きつけるようにして押し倒す。避けようと思えば避けられるけれど、そうしないのはそれでは楽しみが減ってしまうから。
腰と背中をしこたま畳に打ち付けるも後頭部が無事なのは、三成が手をギリギリのところで差し入れてくれたからだ。愛おしい手の平は私を壊す。
刃を突きつけられたかのようにひやりとする喉元。顔の横につかれた三成の手首に爪を立てた私の喉を、三成の指が締め上げた。失われてゆく空気と膨張する思考に眼球の裏が熱くなる。
私はそれを心地いいと思う。このまま息絶えてしまえたら幸せなのに。戦場で刀を振り下ろすたびに私は願う、早く誰か私を殺してと。いつかの戦で、血しぶきを浴びながら舞うように人海を掻き分けた先に居た三成と背中合わせになった時、互いに振り返って合った視線を結び付けた瞳が二対、全く同じ震え方をしていたことを思い出す。ひりつくような視線は私の心の片隅に、決して消えない焦げ跡を残した。
ふ、と笑みが零れ、そうしてやっと三成の手が私を解放する。新鮮な空気がどっと体の中に入り込む。

「なにが可笑しい」

「べつに、なにも」

「name、気がついていないようだから教えてやるが、私なしで生きてゆけぬは貴様の方だ」

勝ち誇った男の顔をするでもなく三成は冷ややかに言う。そんな事、言われなくたってわかっているのに。全身の針を逆立てながら互いに身を寄せ合い、傷だらけになりながらその血を啜り合う私達。永遠に癒えることのない傷痕は、やがてどちらのものとも分からぬままに癒合する。そうしてひとつになった私達は、愛憎を永劫に輪廻させるのだ。

「だったら、」

ちゃんとわからせてよ。そう口にした言葉の最後は溜息に変わった。真昼だというのに薄暗い部屋の隅。べたりと垂れる飴のような睦言など私達の間に存在しない。腑を抉るような、喉笛を食い破るような、そんな荒々しさで私達は唇を合わせる。歯がぶつかる硬質な音。上に下になるたびに鳴る畳の乾いた音。絡まる唾液、離れる唇、零れる吐息。私達を根底でつなぎとめる感情は、言葉をもってして説明できるような単純なものではない。
着物の合わせから乱暴に入り込んだ三成の手が私の肩から衿を落とす。

「もっと、余裕ない顔、見せてよ」

「黙れ」

覆いかぶさる三成の頬に手を伸ばせば、手の甲に歯を立てられた。鈍い痛みに思考が溶ける。

「いいかname、貴様は私から逃れることなど未来永劫能わない。阿呆な貴様が忘れぬように何度でも刻みつけてやる」

「できるものなら、」

口の端を吊り上げた私の右頬を畳に押し付け、三成は剥き出しになった首筋に顔を近づけ皮膚を吸った。呪いにも似た愛憎の花がひとつ、またひとつと増える度、何物にも代え難い恍惚が頭蓋を満たすのだった。
投げ出した脚が文机に当たり硯から筆が転がり落ちた。けれど三成はそれに構うことなく私を貪る。高く太陽が昇っているというのに三成の腕の中は月もない夜だった。前髪が、揺れている。切れ長の目が細められ、眉は切なげに顰められていた。揺れる爪先が冷たい。気を紛らわす為に口へと含んだ三成の指もまた冷たかった。

「みつ、な…り」

「……」

浅く息を吐く三成は何も言わず、返事をする代わりに私を穿つ。もっと、もっと。刀を振るうにも勝るとも劣らぬ焦燥が私を駆り立てる。このまま何処か遠くへ消えてしまえるのではと、ありもしない期待を込めて。死地に赴く私に死ぬなと言う癖に、ただの敷畳の上にてこんなにも私をいたぶり犯す三成が狂おしいまでに愛おしかった。
創痍の獣が二匹、交わる様はさぞ滑稽だろう。私達のよすがはこれなのだ。ぐしゃりと指を差し込んだ三成の髪は艶々と零れ落ちる。部屋には爛れたような甘い香りが立ち込めていた。
それは確かに、ひとつになった男と女の香りであった。

【boy needs girl, girl needs boy】
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