2014

開け放たれた障子からは穏やかな秋の日差し。抜けるように青い空には魚の群れを思わせるような白い雲が静かに流れていた。
乾いた空気に金木犀の甘い香りが混ざっていた。この季節、鈴なりに咲く金木犀のおかげで吸う空気は粉で溶いたようにとろりと柔らかい。

「長秀さま、そろそろ離していただけませんか?」

「……」

「長秀さまってば」

昼下がりの屋敷で、nameは長秀の腕の中で小さくなっていた。事は昼餉を済ませ読書を始めるのかと思われた長秀がnameを招き寄せようとしたところ、猫と遊ぶのに夢中になっていた彼女が彼を適当にあしらったことから始まった。何度か呼んでも此方に来る気配すらないnameに、来ないのならばまあいいかと、長秀は僅かに眉を上にあげるのだった。しばらくして猫が飽きて何処かに行ってしまえば、手持ち無沙汰になったnameは「そういえばさっきは、」と、漸く長秀の元へとやって来る。
何と無く理不尽な気持ちがする長秀であったが、近づいてきたnameを懐に収めると、彼女を挟んで書見台に向かう。
はじめの内はじっとしていたnameだったけれど、時間が経つに連れ自分を構いもせずなにを喋るでもない長秀に飽いてきたのか、彼の着物の襟を必要以上に正してみたり、鼻の傷を指でつついたり、頬をやんわり抓ってみたりと子供のように振る舞い始める。
それでも微動だにしない長秀であったが、台に立てかけられた本をnameが勝手に捲ろうとしたところで漸く動き、彼女の手を捕まえた。nameの頭頂部に顎を乗せ、「大人しくせぬか」と静かに言う。けれどnameは不満顔だった。

「長秀さま本読んでばっかりなんだもん」

「先のお前は猫に夢中だったではないか」

長秀は向かい合って下から膨れ面で自分を見上げるnameの視線を、つい、と躱してそっけなく言う。

「まさか、猫に嫉妬ですか?」

「嫉妬などしておらぬ」

少しだけ眉を寄せた長秀。nameは楽しそうな笑顔を浮かべて長秀の胸元でふふ、と笑いをこぼす。なにがおかしい、と言いたげな長秀の視線に彼女は「嬉しい」と小さく言った。

「長秀さまは私にあまり関心がなさそうだったから」

「……」

関心のない女子にこのようなことをする男がどこにいるのだろうと長秀は内心呆れるも、そう思わせていたことを申し訳ないとも思うのだった。
しかし自分の心の内を全て知られてしまっては、流石のnameも重たいと思わざるを得ないであろうから。などと猫にまで嫉妬をする自身の案外狭い心を鑑み、であるからしてnameに自分の本心などわからぬ程度でよかったのだとひとり納得するのであった。

「それはそうと、読みにくくはないんですか?」

こんな格好で。と言ってnameは横向きになった肩を長秀の胸に預け首を傾げた。

「読みにくい、ということはない」

「ならいいですけど」

ふう、と一息ついてnameは瞼を閉じる。静かな昼下がり、聞こえて来るのは何処かで剣の稽古をしている声や、青空を横切る鵯の甲高い鳴き声だけだった。とろりとした甘い秋の空気と、着物に焚き染められた長秀の香りに包まれてnameはいつの間にやら眠りの中へと落ちていた。ふわふわと頭を揺らしながら小さな寝息を立てる彼女の白いうなじを覗き、ようやく自分のものだけにできたと長秀は口の端を僅かに上げるのだった。
日が傾き始めても一向に部屋から出て来ず物音すらしないのを不思議に思った侍女が、座ったまま眠りについている二人を見つけてしまったのはまた別の話。

【まどろみの君と僕】
- ナノ -