年に一度の愛の祭典。好きな相手にチョコを渡すという謎の習慣が、柳生は苦手だった。

立海大附属中において絶大な人気を誇るテニス部レギュラー陣は、この日は必ず女の子達のターゲットとなる。それは引退した今も変わらず、柳生は朝から既にどれくらいプレゼントを貰ったか分からない。

そしてたった今、また1つ謎の習慣の産物が柳生の手に渡った。


「適当な理由をつけて断ってしまえば良いものを……」

「好意を無碍にはできませんよ。紙袋を用意しておいて正解でした」

「そしてお前は必ず3月14日に返す……だから彼女達は自分にもまだ可能性があるかもしれないと思ってしまうんだ。酷だとは思わないか、比呂士?」

「私は好きだと言った覚えはありません。礼は尽くす……どう解釈されても、それは彼女達の問題です」

「そうか。ところで今のチョコは興味がある。某百貨店のみで取り扱われている限定品だ」

「よく御存知ですね、柳君」

「販売される日に姉さんが朝一で買いに行っていたからな。午前中のうちに完売。再入荷は無く、なかなかの値段……入手困難な代物だ」

「そうなんですか? でしたら柳君、どうぞ。先程も同じ物を頂いたので」

「……お前は本当に酷だな」

「言いながら受け取る柳君もどうかと思いますが。どちらにしても私1人では食べきれませんから」

「というより入手困難な物をお前はあっさりと2つも得た、と?」

「いえ、私が頂いたのはそれ1つですよ。もう1つは仁王君にと頂いた物です」

「なるほど」


なかなかお目にかかれない高級チョコレート。その価値すら柳生には分からない。

結局貰ったばかりのそのチョコは柳の鞄の中に消え、代わりに取り出されたのは小さな物。苺のイラストが描かれたそれは、裏面に賞味期限が表示されている。受け取った柳生は、わけが分からないというように首を傾げた。


「礼だ。お前は悩んでいただろう?」

「あ……」


一瞬にして、柳生の頬は真っ赤に染まってしまう。理解が早い柳生には、手渡された物の意味が分かってしまった。


「使うタイミングはお前次第。まぁ頑張れ」

「頑張れって、柳君……!!」

「柳生──!!」


突然かけられた第三者の声。その高い声音に、振り返らずとも相手が誰か分かってしまう。その目的も。


「何よ、どうしたの? 柳生ってば顔真っ赤にしちゃって」

「男同士の卑猥な話をしていたところだ」

「柳君……!?」

「え、やだ。アンタ達でもそういう話すんの!? なんか意外」

「そうか? 普通の事だと思うが?」

「んー……他の奴等ならね。けどアンタ達はそういうのとは無縁って感じだから。ね、柳生ってどんな子が好きなの? クリスマスに一応協力してくれたからさ、誰か紹介してあげるよ」

「クリスマス?」

「そう。柳生がね、協力してくれたの。ま、仁王が用事ができたか何かで先に帰っちゃったんだけど」


クリスマス──それには覚えがある。仁王と二人きりになりたいという彼女の願いを聞き入れ、柳生は喫茶店で席を外し、そのまま帰った……事になっている。

実際はその際に柳が仁王に電話して外に連れ出し、その後柳生と仁王は二人で出掛けたのだが。

結果として彼女は喫茶店に置き去りにされた。自分が仕掛けたくせにその事で彼女に対して多少なり罪悪感を抱いている柳生がチラリと柳を見やると、彼は妙に爽やかな笑みを浮かべた。


「そうか。それは残念だったな。せっかく比呂士が協力したというのに……雅治も雅治だ。女性を1人にするなど、仕方ない奴だな」


事も無げに言う柳に、柳生は開いた口が塞がらない。

そしてあの時仁王に電話をかけた相手が柳だという事を、彼女は忘れているのだろう。何も知らない彼女への罪悪感は増すばかりだ。


「まぁ仁王はいつもの事だけどね。だからさ、柳生。お礼はするよ。どんな子が好き?」

「比呂士の好みなら知っているぞ。自分より背が低く、色白で物事の駆け引きが好きな人間だ。あぁ、こう見えて髪を染めた人間も好きだな」

「へぇ、意外。柳生って清楚な子が好きなんだと思ってた。ブラウンくらいが好き?」

「いや、銀髪が」

「何それ、仁王みたい!!」

「あぁ、仁王に似ているな」


似ているというよりまんま本人じゃないですか……!!──楽しげに笑う二人の隣で柳生は叫びそうになるのをグッと堪えた。

ダメだ。柳は楽しんでいる。この状況を心から楽しんでいる。


「それで、用事というのはそれだけですか?」


平静を装いつつ、柳生は話をすり替える。隣を見やれば、柳がまだ楽しげに笑みを浮かべていた。


「違う違う。それもだけど……ね、柳生。今日女の子達から仁王へのチョコ受け取ったでしょ?」

「えぇ、まぁ……」

「やっぱり。そうだと思った。だって仁王ってば今日休んでるんだもん。柳生は仁王と仲良いから頼まれてるんじゃないかなぁって」

「それが何か?」

「そのチョコ、私が仁王に渡してあげる。放課後仁王の家に行くからさ」

「仁王君は風邪で休んでいるんです。移ってしまいますよ」

「平気平気。私風邪ひいた事無いから」

「しかし……」

「お願い。何か理由をつけてでも仁王に会いたいの。私は直接渡したいの」


本気なのだろう。おそらく、彼女が退く事は無い。

しばらく考えた後に柳生は溜め息をついて、分かりました、と呟いた。


「よろしくお願いします。しかし必ず渡してくださいね」

「分かってるよ。じゃあまた放課後、受け取りに行くね」


じゃあね、と手を振る彼女の背中を、柳生は苦笑しながら見送る。結局根負けしてしまったのは自分だから、仕方ない。

嵐が去ったような感覚に、柳生は僅かに安堵した。


「良いのか? 全て捨ててしまうかもしれないぞ」

「構いませんよ。彼女がしなくても、結局は仁王君がやりますから」

「放課後はお前も仁王の家に行くんじゃないのか?」

「いえ、私は行きませんよ……あぁ、予鈴が鳴ってますね。では柳君、また」


いつもの優しい笑みを浮かべて、柳生は踵を返す。

本当に行く様子の無いその姿に柳は、ふむ、と小さく呟いた。


「雅治が家にいない確率、100パーセント」










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