「しかし……まさかお前が仕掛けるとはのう……柳生?」 コーヒーを口にしながら、仁王がニヤリと笑う。 「仕掛けるだなんて人聞きの悪い。クリスマスプレゼントを渡しただけです」 「アイツは俺とどこかに行きたかったんじゃろ?」 「それは私も同じです。なら私を優先してくれますよね、仁王君。仁王君を連れて行く代わりに、喫茶店のお支払いは私がしました」 「似非紳士」 「おや、彼女とどちらかに行きたかったのですか? では今からでもどうぞ。お邪魔虫は退散します」 「冗談じゃろ。頼まれてもごめんじゃ」 にこりと微笑んだ柳生は、コーヒーを口にした。優しく涼しげなその顔からは、仁王が言うところの“似非紳士”など想像すらできない。 しかしせっかくのデートに乱入し、あまつさえ先に約束していた柳生から仁王を奪おうとしていた彼女を引き離したのは、他ならぬ柳生自身だった。 「参謀まで使いおって……面倒くさかったぜよ、アイツ」 「私が柳君に頼んだのは仁王君に電話をかける事と時間稼ぎ、それから彼女からは死角になっていた駐車場に連れ出す事ですよ?」 「アイツの中の中学二年生が暴れ出したんじゃ」 「……何の話ですか?」 手を洗ってくると言って席を立った柳生は、トイレに入るとまず柳に電話をかけた。事情を話して仁王に電話するよう頼むと柳は快諾してくれたのだが……おそらくは遊び心がくすぐられたのだろう。仁王は柳の妙な中二病ごっこに付き合わされる羽目になった。 その間に席に戻った柳生がせめてものお詫びにと支払いだけを済ませ、あたかも気を利かせて帰るかのようにして喫茶店を後にした。あとは駐車場にいた仁王と合流し、元々予定していたデートコースを回って現在に至る。 結果として置き去りにされた彼女には申し訳ないが、仁王としてはありがたかった。何より柳生も自分と二人きりで過ごしたかったという思いが見えて嬉しい。 「まぁあの程度で彼女が屈するとは思えませんし、休み明けが大変な事になるとは思いますが……頑張ってくださいね、仁王君」 「他人事じゃと思いやがって」 「それより先程の展覧会、良かったですね」 「ん? あー……」 「ルノワールを初めとした印象派展。特に姉妹を描いた作品は素晴らしかったです……それにまさか幸村君達も来ていらっしゃるとは思いませんでしたね」 いや、予想できる事じゃろ──仁王は小さく呟いた。 元より絵画、とりわけ印象派と呼ばれる作風の絵を好む幸村が、実物を鑑賞できるこの機会を逃すはずがない。しかも今日は最終日。これまでに何度も足を運んだと思われるが飽きもせずもう一度、と考えて行く事など簡単に予想できる。 くわえて今日はクリスマス。真田も幸村と共に訪れていた。 「幸村君は本当に好きなんですね。全て解説してくださいました」 嬉々として話す幸村と興味深そうにそれを聞く柳生──その少し後方で、絵画に特に興味のない仁王と真田はこっそりと溜め息をついていた。 ──仁王…… ──何も言いなさんな、真田。お前の気持ち、たぶんこの瞬間は俺が一番理解しとるぜよ。 ──そうか。しかし敢えて言わせてくれ。俺にはあの価値が全く分からん。 ──安心しんしゃい。俺もじゃ。しかしそれを言ってしまえば…… ──分かっている。俺達の命は……無い。だから俺とて何も言わずただ黙ってついて行くのだ。 ──そうじゃな。お互いせっかくのクリスマスじゃが……もう少し、もう少しの辛抱じゃ。頑張るぜよ、真田。 ──あぁ。お互い……な。 口にしたわけではない。しかしアイコンタクトだけで真田とここまで通じ合えたのは初めての事で、もう二度と無いだろう。 互いがいて──いや、正確には互いのパートナーがいて良かったと、二人共心底思った。そうでなければ幸村の絵画に関する詳しい解説は真田が聞かなければならなかっただろうし、感想や意見を求める柳生に仁王は付き合わなければならなかったはずだから。 そしてそうなれば適当に相槌を打つわけにはいけない。幸村も柳生もそれは見抜いてしまうし、そうなれば烈火の如く怒るだろう。二人の命はやはり無いに等しく今後の関係にも、特にクリスマスである今夜に直に影響してしまうのだ。 それだけは避けたい。 故に互いがいてくれて本当に良かったと、彼等は思っている。 「それにしても……仁王君は一通りのマナーは覚えているんですね。意外でした」 「どういう意味じゃ」 「こういうところはお嫌いかと思いましたので」 「まぁ苦手じゃな。けど柳生は来たかったんじゃろ?」 「えぇ。以前家族で食事に来た事があって、それ以来気に入ってるんです。美味しかったでしょう?」 「おん。確かに美味かったな」 柳生がディナーにと予約した店──それは地元でも有名な、というより全国的に有名な一流ホテルに入っているレストラン。どこぞの派手なキングを知っているせいで忘れていたが、そういえば柳生も金持ちの息子だった。 普段からこういうところで食事をする機会があるのだろう。レストランに来る前に立ち寄った店で服を試着させられたかと思えば柳生がそのまま購入し、仁王は有無を言わさずそれを着たまま連れて来られた。普段縁の無い場所に若干挙動不審になっている仁王には構わず慣れた様子で入り、当然の如く柳生はテーブルについた。 まさに紳士。普通の中学生には似合わないが、柳生には似合う。これが女性相手であれば、それはもうスマートにエスコートしてしまうのだろう。 「そうじゃ、柳生」 思い出したように、仁王。 「クリスマスプレゼント、まだ渡しとらんかったな」 「プレゼントだなんて……私は今日お付き合い頂いただけで十分ですよ」 「俺が選んだのはいらんち事か?」 「そういうわけでは……」 いつの間に仕込んだのだろう。試着してからそのまま着ていたはずのジャケットの内ポケットから、仁王は小さな箱を取り出した。少し細長いそれは、赤いリボンがかけられている。 「きっと気に入ってくれるはずじゃ」 手にした箱を、僅かに躊躇いながら柳生は開ける。中に収まっていたのはシンプルな、しかし品の良い万年筆だった。 「気に入らんかったかの?」 「いえ。仁王君がくださる物を私が気に入らないわけないじゃないですか……ありがとうございます」 ふわりと浮かぶ柳生の笑みに、仁王の頬も自然とほころぶ。彼独特のこの優しい笑みが、仁王は何よりも好きだった。 「私からもプレゼントを渡したいのですが……」 何故だろう。突然視線を落としたかと思えば、柳生は口を噤んでしまう。唇を尖らせて何やら考えている姿は可愛いのだが……さて、何を考えているのか。 「あの、明日は……何か予定でも?」 「いや、別に」 「でしたらもう少し一緒にいてくれませんか? 部屋を……取ってあるので……」 「……部屋?」 「このホテルに……」 そう言って、柳生が正面から仁王を見つめる。その表情はどこか儚げで、もし断られたら──などと考えているように見える。 仁王は一瞬躊躇ってから、えぇよ、と小さく呟いた。 |