魔王のようなあの人に脅迫されて──いや、協力する見返りとして呈示された“ご褒美”。長く待たされたが、それがようやく手に入る。

まだかまだかと304号室の主──切原赤也は、彼が来るのを待っていた。





デビルズケーキ






柳蓮二は目の前の光景を信じられずにいた。彼が今いるのは病棟には無いはずの304号室。そして、良く知る後輩・切原赤也──の姿をした“誰か”。


『だから、俺本人ッス。俺が切原赤也』

「嘘をつくな。お前のような人間ではないモノが、赤也なわけがないだろう」


柳が睨み付ければ、途端に不服そうに唇を尖らせた。


『自分達が生み出したくせに………つか俺が人間じゃないってのは認めるんスね? アンタそういうの信じなそうなのに』


それは柳自身良く分からなかった。ただ漠然と、目の前にいる赤也に良く似た“誰か”は人間ではない気がしたのだ。

もっとも周りには幸村や仁王のような特別というか、不思議な存在が山ほどいる。柳だって菩薩だの悪魔使いだのと言われた事があるくらいだ。一部、ただの比喩も入ってはいるが。


『まぁいいや。とりあえず俺、朝までアンタを好きにするんで』

「ちょっと待て。どういう事だそれは。はい分かりました、と許可するわけがないだろう」

『え? でもちゃんと許可は貰いましたよ?』


そもそも俺が協力するのってそれが条件だったし──そう言って“赤也”はニッと笑う。いたずらっぽいその様は間違いなく柳の知る赤也であるが、やはり何故だろう。違和感は拭えない。


「許可だと? 一体誰に」

『幸村さん。協力してくれたら1日だけアンタを好きにして良いって』

「精市……っ」

『だからアンタは、今から朝までは俺のモノ』


いつの間に動いたのだろうか。気が付けば赤也は背後にいて、柳をそのまま抱きしめた。

そして、彼は気付く。



赤也の鼓動が、感じられない。



『俺ずーっと我慢してたんスよ? 俺も“切原赤也”でアンタの事大好きなのに、アイツは触れて俺は触れない。俺はずっと見てるだけだった』

「アイツ?」

『アンタが知ってる“切原赤也”。アイツの中に俺はずっといて、アイツの中からずっと見てた……アンタの事。アイツは俺だし俺はアイツだし、アイツがアンタを好きになるなら当然俺もアンタを好きになるわけで……だけどアンタに触れるのはアイツだけ。同じ“切原赤也”なのに、俺はアンタに触れない。アイツにアンタは笑いかけてくれるのに、俺には笑いかけてくれない……この悔しさ、アンタに分かる?』


次元が違いすぎて想像すらできない。それでも可能な範囲で考えてみると、寂しいというか、切ないというか、そんな気持ちを覚える自分がいた。

知らなかった存在。とはいえ彼は、目の前のもう一人の赤也は、こんなやるせない気持ちをずっと抱えたまま自分を見てきたのだろう。

柳はなんとなく申し訳なくて、俯くしか無かった。


『でも今のアンタは俺だけのモノッス。ね、柳さん。俺お願いがあるんすけど……』

「……なんだ?」


とはいえ突飛な事は許さない。許容の範囲でなら叶えてやっても良い。それが自分にできる精一杯の事だと、柳は思った。


『俺と話してください!』

「……は?」

『話! 俺こうやってアンタと話せるのが嬉しいんすよ。だから俺と、もっと話してください!』


その無邪気な笑みに、呆気に取られた。“切原赤也”なら……そう、例えばあんな事やこんな事を要求されると思っていたのに、どうやらこの赤也はそうでないらしい。純粋で、無垢──今はまだ。


「しかし話すと言ってもな……一体何を? 俺の事は知っているんだろう?」

『まぁ、そッスね。じゃあどうしようかなぁ……』

「ではこれはどうだ?」


僅かな笑みを浮かべて、柳は赤也を見やる。

柳が自分を見てくれているという現実が嬉しかったのだろう。赤也は更に目を細めて、子犬のように柳に擦り寄った。


「お前の事を教えてくれ。俺はお前の事を何も知らない」

『俺の事? 別に良いけど……面白くないッスよ?』


そして聞いたのは、とても現実とは思えない話。

304号室というのは彷徨える者達をあるべき場所に送る、あるいは帰すための場所であるらしい。赤也は304号室の主であり、彼等の話を聞き、行くべき場所を教えてやる。

その仕事柄、彷徨える者の記憶を覗く事も稀ではあるができる。心残りを解決してやって行くべき場所に向かわせる、そうでない場合は──……ここから先は教えてはくれなかった。曰わく、知らない方が良い。


『そういえば俺、仁王さんの記憶覗いたんすけど……聞きます?』

「それは精市には言ったのか?」

『まぁ……あの人の依頼ッスから』

「そうか。では俺は聞かない事にしよう」


赤也の様子を見る限りでは、あまり良い話ではないように思えた。精市1人で背負う事にはなるが、俺を売った報いだと思えば良い──柳は自分の性格の悪さに、思わず苦笑する。

ふと気が付けば、外が明るくなり始めていた。


『あーあ。もう終わり。せっかく楽しかったのに……』

「そういうな。ところでお前はいつもここにいるのか?」

『いつもじゃないッス。彷徨える誰かがいる時と、誰かが俺を求めた時』

「そうか。では次に来る時は丸井の店のケーキを用意しよう。どうだ?」

『本当ッスか柳さん!? 俺のために!?』

「あぁ。約束しよう──赤也」


それが嬉しかったのだろう。柳に抱きついた赤也は『絶対ッスよ!? 約束!』、と無邪気にはしゃいでいた。

304号室を出る間際にもう一度振り返えれば、赤也が笑っていた。一心に手を振るその笑顔は、まるで太陽。

初めて体験した、非現実的な世界。しかしたまには悪くない──僅かに手を振って、柳は304号室の扉を閉めた。









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