いつもより丁寧に髪の毛をセットする。そんな自分にふと気付いて、鏡の中で照れ笑いしていることに恥ずかしさを覚えた。
少し早起きをして、少し家を早く出て。一本早い電車に乗れば、大坪先輩よりも早く体育館に着いた。
先輩が来るまでに、部室の掃除をしちゃおう。レギュラー用の所くらいなら終わらせられるはずだ。
「失礼しまーす...」
誰もいない部室に挨拶をして入る。ほうきで床掃除をしていると、窓際のベンチの上にあかべこがあった。確か、いつだか真太郎が持ってきた珍アイテムだ。和成と二人で可愛い可愛いと遊んでいた覚えがある。
しゃがんでその頭を指でつつく。あのときもこうやって遊んで、いい加減にしろと宮地先輩に怒鳴られたっけ。私はすぐ隣にいた和成の笑顔をちらちらと見ていた気がする。
ひょこひょこ上下するあかべこ。癒される...けど、こんなことしてる場合じゃないか。
立ち上がって掃き掃除を終わらせる。出ようと思ったらドア近くの和成のロッカーが目に入って。引かれるようにその前に立ってそっと手を当てておでこを付けると、ひんやりとしていた。
「和成...」
目を閉じて、小さく、彼の名を呟く。
...彼氏なんだ。
私は彼女、になったんだ。
そんなことをぼうっと考えていたら、ガチャ、とノブが回る音がして。
「瀬戸?」
「──っ!!おおおお大坪せんぱっ!」
びくっと反応し、慌てて背をロッカーにつけると無駄に派手な音が立った。
「......っ」
「......大丈夫、か?」
「だっ、大丈夫ですっ」
もしかして、見られた、かな...?
うん、今のタイミングは多分...、うん。
「あっ、そのっ、えっと、そ、掃除を!早く来たので、掃除しておきましたっ!」
別にやましいことをしていたわけではないんだけど、慌てて言い訳じみたことを言う私。言い訳でもないか。事実、事実。
「おう、ありがとな」
「いえっ。えっと、ボール準備してきます!」
無駄に動きが多い。目も泳ぎまくり。自分でも分かるほどにバタバタしていて。部室を出る間際、大坪先輩はふっと笑って、頼むな、と言った。
「あっ、おはようございますっ」
「はよ...って」
出てすぐ宮地先輩とすれ違った。超特急で倉庫へ向かう私を不思議そうに見て、
「大坪、あいつどうしたの」
「たぶん昨日のだな」
「あー...」
なんて会話が部室で繰り広げられていたなんて、まったく知らなかった。
「あああ、恥ずかし...っ」
レギュラーが集まって朝練が始まって。春先の朝から汗を流す彼らはいつだって輝いて見える。
その中でも、やっぱり目を引くのは、
「真ちゃんパース!」
...和成、だ。
「今日も調子いーねえー!」
「茶化すな。人事を尽くす俺がシュートを決めるのは当然のことなのだよ。今更何を言う」
「はーいはい!照れんなよー」
よく通る和成の声が朝日の射し込む体育館いっぱいに広がる。それが昨日までの愛おしさと違って聞こえるのは、きっと気のせいじゃない。
「そろそろあがってくださーい」
時計を見て声をかけると、一斉に片付けが始まる。この切り替えの早さは監督が厳しく指導するうちのひとつだ。
普段はボールなどの用具を片付けるのが私の担当だけど、朝練のときはモップもお手伝い。レギュラーだけだと人数が少ないし、何より私は着替えの必要がない。
「後はやっておきます」
「よろしく」
先輩たちも一緒になって片付けをして、大体終われば仕上げは私の仕事だ。部室に駆け足で戻っていく先輩たちと、真太郎と、
「っ、おつかれさま!」
「おっつかれー!」
和成に声をかける。
通り過ぎると思ったら、和成は私の前で足を止めて。
「待っててね」
「、うんっ」
綺麗に揃った歯を見せて、今度こそ和成は部室に入っていった。
一緒に教室行くのなんていつものこと。それなのに、
「〜〜〜っ」
一々ときめいててどうする...!
「......えっ、と...」
真太郎がいるのは、まあいつものこと。それはいいんだけど。
「たーかーおー。聞かれる前に先輩にはご報告、だろ?刺されたいの?」
「痛っ!痛いっす宮地先輩っ」
「高尾、瀬戸待ってるぞ」
「だって俺が待っててって頼んだんですかっ、らっ、いいいい痛い痛い痛い!」
部室からぞろぞろまとまって出てきたみなさん。普段は先輩たちが一足先に出て行くんだけど、今日は賑やかに...というか、和成がいじめられ...絡み倒されてる感じだ。
現に和成は宮地先輩に肩を組まれて頭を握り潰されてる。...痛そう。大坪先輩と木村先輩も両サイドから和成に話しかけている。視線は私、に向けて。
「しっ、真太郎!」
騒ぎから外れて前を歩く真太郎を引き止めると、冷たく見下ろされた。
「今日の高尾がいつも以上にうるさくて面倒なのは全てお前の所為なのだよ瀬戸」
「え」
「当分俺のことは空気として扱え。その代わり高尾が無駄に俺を巻き込まないようにしっかり管理しろ」
「えっ、ちょっと真太郎さん!?」
それだけ言い放つと、真太郎はスタスタ歩いて行ってしまった。その背中を見ていると、後ろから先輩に声をかけられた。
「瀬戸お前保留とかないわー」
「まあ良かったじゃん。おめでと」
「あんまり部活中イチャついてたら、高尾外周だからな」
「いやだから!分かってますって!」
好き勝手言って手を振り先に行く先輩たち。その場に置いて行かれた私と和成。嵐が去った後のように、私たちの周囲は静まり返っていた。
ふと和成を見ると、彼もまたこめかみを抑えながらこっちを見ていて。
「、行こっか」
ちょっと困ったように笑う和成に私は頷いた。並んで歩く教室までの数分間、照れくさくてろくに話せなかった。
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