『ごめんね、こんな時間に電話しちゃって...』
持っていたシャーペンを置き、解き終わった課題プリントをまとめて端に寄せる。
「んーん、大丈夫だよ」
電話のお相手は、さつきちゃんだった。
ふあ、とひとつ欠伸をする。時計を見ると、針は22時半を指していた。
『陽和乃ちゃん、その...青峰くんと、どう?』
遠慮がちに口を開いたさつきちゃんの言葉は、予想通りだった。
「うーん、特になんにも」
『そっか...』
「ごめんね」
『え?』
「ムダに気遣わせちゃって」
慌てたように、そんなことないよ、と言ってくれる。その姿を想像して小さく笑いながら、ベッドに仰向けに寝転がった。
この前の試合を見に行って以来、それまでのように青峰と話すことはなくなっていた。当たり前だと思う。あいつはあいつで私を嫌がってるはずだし、私も前みたく接する気は起きなかった。
青峰は完全に教室に現れることはなく、相変わらず部活も出ていないらしい。試合後学校で顔を合わせた桜井くんは、少し気まずそうに私に声をかけてくれた。
「観に来てくれてありがとうございました......スイマセン」
そんな言葉に彼の優しさを感じて。同時に青峰と、試合中の桜井くんの表情を思い出して。ちくりと胸が痛んだ。
そして日はあっという間に過ぎ、あれから約1ヶ月が経とうとしていた。
『あのね、』
しばらくの沈黙を経て、さつきちゃんが声を発する。
『ずっと、言おう言おうって思ってたんだけど』
「うん」
『...陽和乃ちゃん、ありがとう』
「なに、が?」
天井を見上げたまま固まる。お礼を言うのはこっちだ。こんな私に電話をわざわざくれるさつきちゃんに、お礼を言うのはこっちの方なのに。
『青峰くんに、怒ってくれたでしょ?』
「あー...え、と」
『いいんだよ。怒ってくれて、私、嬉しかったんだ』
「どういうこと?」
『...あんな風に青峰くんに思いをぶつける人...ほとんど、いないから』
そう言われて改めて思い出す、あのときの記憶。だんだん声も大きくなっていたような。ああ、やっぱり聞こえちゃってたんだな。なんだか恥ずかしいっていうか、情けないっていうか。
「青峰、何か言ってたり、しないよね」
『まあ...うん。私もあんまり話してないから』
「だよねー」
別に期待してた訳じゃないから、いいんだけどさ。なんとなく、心が渇いている感じがずっとする。
青峰が、こんな短期間でこんなに大きな存在になってたんだって、実感した。
『今度の試合ね、誠凛さんとやるんだ。決勝リーグ』
「誠凛って...」
『うん。テツくんがいるところ』
テツくん。
その名前はさつきちゃんと話すようになってから頻繁に聞く固有名詞のひとつだ。
テツくん(とさつきちゃんが呼んでいるのでそのまま呼んでいるんだけど、)は帝光中バスケ部だったようで、キセキの世代と呼ばれるうちのシックスマン、とやらだったんだとか。
さつきちゃんは彼にベタ惚れで、付き合っているんだと言っている。でも、その節は怪しいんじゃないかと密かに思っていたり。
「良かったじゃん。テツくん観れるんだ」
『そうなのっ!楽しみだなあー!って、そうじゃなくてね、』
「ふふっ。うん?」
『今度の試合、きっと青峰くんにとっても大事な試合になるんだ』
「元チームメイトだもんね」
『それだけじゃなくて、』
テツくんと青峰くん、コンビだったの。
そう言うさつきちゃんは、どこか寂しそうだった。
『中学の時、テツくんがパスをして青峰くんがシュートを決めるっていうね。他のみんなももちろんパスは受け取るんだけど、二人は特別すごかったんだよ。それに、』
「それに?」
『その頃の青峰くん......きっと陽和乃ちゃんが観たい青峰くんそのものだった。きっと』
瞼の裏に浮かぶ青峰の姿。いつもみたいに無表情で気だるそうで。私の言葉に一瞬歪んだその顔は、怒っているような、でも泣き出しそうな、そんな顔だった。
「......あのさ」
『うん』
「青峰って...何があったの?」
「俺がどんな思いしてるかも知らねえで好き勝手言ってんじゃねえよ」
ふとしたときに頭をよぎる青峰の言葉。
青峰に言ったことに後悔はない。でも、これを思い出す度に苦しくなる。
わずかに見せた辛そうな顔が重なる。
「私...青峰のこととかあんまり考えないで、思ったこと言っちゃったんだよね。全然、あいつの気持ち知らないのにさ......。だから」
『青峰くんは、壁...に当たってるんだ。ずっと』
「、壁...」
『うん。でも、私からは言わないでおく』
え?と声を上げると、さつきちゃんは小さく笑った。
「なんで?」
『それは、青峰くんから直接聞くべきだよ』
「そ、かな」
『そうだよ』
彼女は今の私の状況を分かっている、はずなんだけど。こんなときに聞いたところで、話してくれるわけない。それ以前に、話しかけづらい。
お前が蒔いたタネだろ。と言われればそれまでだけど。
『テツくんが約束してくれたの』
「なんて?」
『青峰くんに、勝つって』
うちが負けちゃうのは、困るんだけどね。とさつきちゃんが笑った。
『それでね、そのとき陽和乃ちゃんを思い出したの』
「へ、」
『青峰くんにはたくさんの人が付いてるんだなって思った。テツくんも、陽和乃ちゃんも、チームのみんなも。だからね、きっと青峰くんは大丈夫』
「さつきちゃん...」
『ねえ、陽和乃ちゃん』
少しの間を置いて、
『青峰くんが陽和乃ちゃんと出会えて、良かった』
さつきちゃんはそう言った。
どこかで聞いた台詞だな、と思って思い出した。
あのとき、黄瀬くんにも同じようなことを言われたっけ。
『だから、これからも青峰くんをよろしくね』
なんだかさつきちゃんが青峰の保護者のようで、笑ってしまった。
「もちろん」
電話を切った頃には、もう23時半を回っていた。
きっと明日も、何かが足りない一日が待っている。
それは青髪の、あいつだ。
携帯を握りしめて枕に顔を埋めると、からりと胸の奥で音がした気がした。
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