俺があいつと再会したその翌日。俺とさつきの家それぞれに顔を出した朝風親子は当然ながら歓迎された。親同士は家に上がって長話を始め、結局女は女同士積もる話があるんだと言って、あいつはさつきに連行されて桃井家に行っていた。


「だから、青峰くんも行こう」

「めんどくせぇ」

「何言ってるの!私以上に暇があるんだからいいでしょ!それに凛帆ちゃんと話すチャンスじゃんっ」


そしてさらに翌日。母親が呼ぶので玄関まで出て来てみれば、そこにはジャージにTシャツ姿のさつきがいた。


「それ、青峰くんママが使ってねって持ってきてくれたの。だからそれ持って来てね」


さつきの指の先には一式の掃除道具。ため息をひとつ吐いて、サンダルに足を引っ掛けた。





「こんにちはー!」


開け放されたドアの手前からさつきが声を掛けると、返事と共にフローリングを駆ける足音がした。


「わ!だいちゃんも来てくれたんだ!ありがとう!」

「当然だよー!ね、青峰くん」

「これ、うちの親から」

「わざわざいいのに...!有難く使わせていただきます。どうぞ上がって!ちょっと待っててね」


母親を呼びながら奥に入って行ったのを見送って、二人で家に上がる。玄関から掃除してあったのか比較的綺麗になっていた。


「二人ともありがとうねー。忙しいだろうに」


すぐに現れたのはあいつの母親だった。綺麗な年の取り方をしているとはこのことだと思う。首にタオルをかけたまま微笑むその人に、俺は会釈を軽くした。


「どうしようかな。だいちゃんには高い所やってもらおうと思うんだけど」

「あ、はい」

「さっちゃんは台所を私とお願いできる?シンクとかを磨いて欲しいの」

「もちろんです」

「じゃあ凛帆、だいちゃんと二階の洋間お願いね」

「はーい。だいちゃん、こっちね」


部屋の奥へ進んでいくさつきを横目に、呼ばれるがまま階段を上る。少し埃っぽいが、懐かしい感じがした。

前を行く小さい背中に続いて部屋に入ると、そこには大きな本棚とベッドと机が置いてあった。


「おじいちゃんの部屋だったところだよ」


すごい本の量だよねー。そう言いながら掃除道具を手に取る姿に、俺もつられて支度をする。窓を開けると爽やかな風が吹き込んだ。


「窓とかその枠とか拭いてもらってもいいかな。上の方届かないから」

「おう。これ使っていいのか?」

「うん。お願いします」


濡れ雑巾を手に、窓枠を拭き始める。はたきを持って本棚を掃除する白い腕が目の端に映っていた。


「さっちゃん、だいちゃんの呼び方変わったんだね」

「ああ...そうだな」

「なんか私だけ時が止まってるなぁ。ずっと会えてなかったから、しょうがないか」


少し寂しそうな声色。そうだな、としか返せない自分がもどかしかった。自然と眉間に皺がよって、動かしていた手が止まる。


「あれ、だいちゃんは私のこと何て呼んでたんだっけ?」

「あー......なんだっけな」

「なんだっけ?でも、小さい頃はさっちゃんもみんなお互いちゃん付けだったような気がする...」


顎に手を当てて考えるのをちらりと見ながら、覚えてないような素振りをした。本当ははっきり覚えてる。俺はこいつのことを、


「あ、ちょっとごめんね」


鳴り出したスマホを急いで取り出し、部屋のドア付近まで行ってから通話を始めた。お互い背を向けあう立ち位置。話し声に耳を傾けてしまうのは許してほしい。手を動かしながら聞こえてくる小さな笑い声に心地よさを感じた。


「そう。今東京...うん、たぶん。...あははっ、忘れてないよ。あ、野口くんも?人数も丁度いいね!よかった!...うん、うん。わかった。じゃあまた連絡するー」


電話を切り、しまいながらまた掃除に取り掛かる。会話を耳にしながら何故か感じたモヤモヤを抱えたまま、俺は横並びになったその顔を盗み見た。


「中学の奴?」


そうだよ、と視線は棚に向いたまま返事が帰ってくる。


「今度、みんなで花火しようって言ってて。クラスの友達なんだ」

「、男もいんの」

「うん、4人くらいかな?」

「ふーん...」


こいつが俺たちとの離れていた時間を感じるように、俺もまた、離れていた間にできた知らないことが増えていることは確実で。どんな友達とつるんでるのか。どんな男が近くにいるのか。そもそも彼氏はいるのか?俺が知らない色々なことを他の男は知っている。仕方がないことだ。


「なあ」


なに?と言いながら俺と目を合わせる。その瞳は黒く大きく、胸が高鳴った。


「俺のこと、呼び捨てでいいから」

「え?」

「や、なんかほら。今の呼び方小っ恥ずかしいからよ。大輝でいい」

「だいちゃんはだいちゃんなのに」

「いいんだよ」


だってお前、他の奴らは呼び捨てとか苗字とかで呼んでるんだろ?言葉にはしないが、恥ずかしさよりもそっちの方が大きかった。たかが呼び方で、とも思う。でもこれは俺にとって重要な気がした。


「じゃあ、大輝って呼ぶ?」

「...おう」

「大輝」

「、ん」


繰り返し呼ばれるそれは俺の名前なのに、不思議と特別な感じがした。


「じゃあさ、私のことも名前呼び捨てでいいからね!今更ちゃん付けっていうのも、それこそ恥ずかしいでしょ」


いたずらな笑顔で俺を見る。お互い手を止めたまま、少しの間視線を交わせる。


「...凛帆」


離れていた時間を必死に埋めるように。些細なことだが、10年前とは違う俺たちになろうとしていた。


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