案の定深夜まで作業に没頭した私は、ほとんどの人が揃って朝食を食べる時間には起きられず。起きてすぐチェックしたメッセージ欄に聖川さんの名前を見つけ、全身に電気が走った。バタバタと適当な洋服を出して着替え、布団の中から部屋を出るまで約十分。女の子の朝の身支度にかける時間じゃない?そんなの知らない。
「おっ、おはようございます!」
「おはよう、その、」
待ち合わせていたホールまで走って行くと、既に聖川さんが待っていた。私の顔を見た彼は驚きの表情を浮かべた。
「、急がせてしまったようで悪いな」
「いえいえ、そんな、こちらこそ、お待たせしました...っ」
元々整っていなかったのに加え、走ってさらに乱れた髪に軽く手櫛を通す。こんな格好で申し訳ない。寝起きの体にすごい速さでドクドクと血液が巡る。どう見ても寝坊したとしか考えられないこの状況だが、聖川さんは触れることなく私落ち着くのを待ってくださっていた。これが藍さんやカミュさんだったら嫌みの一つ二つは降りかかるだろう。
「すみません、えっと」
「ああ、歌詞が完成した。これでお願いしたい」
「はい。預からせて頂きますね」
差し出された紙を受け取り、目を通す。この人は常時筆ペン...いや、本物の筆...を使っているのだろうか...。字綺麗ですね、と素直に感想を口にすると、少し照れたように聖川さんは謙遜した。
「これを参考に編曲していきます。完成までの間に何度か聴いたり意見をもらったりする時間を取りたいのですが、大丈夫ですか」
「分かった。必要になったらいつでも連絡してくれ」
落ち着いた大人な対応に、ついこちらも丁寧になる。改めて真っ直ぐ聖川さんを見てみると、朝から完璧な身支度で健康的な姿。それに対して今の自分が酷く適当であったことを思い出した。なんか恥ずかしい。
勝手に気まずくなった私は、じゃあと言って背を向けた。よろしく頼む、という声を聞きながら歩き出したが、数歩行ったところで聖川さんに呼び止められた。
「はい」
「その...」
どうしたんだろう。何か言いたそうで、でも言い出しにくそうな雰囲気。思わず私も身構える。なんだろう、髪の毛がぐしゃぐしゃ?洋服が裏返ってる?気になって手を漂わせていると、聖川さんは意を決したように口を開いた。
「その、七海は...最近どうなのだろうか」
七海...?
「...あ、春歌ちゃんですか」
自分のことではなかったことにほっとする。それから冷静になって彼を見ると、なんとなく心情を察した。
彼も春歌ちゃんのことがやっぱり気になるんだな。
「会ってないんですか?」
「いや、会うには会うんだ。朝食も来るし、この前もミュージカルのオーディションの話をしたし」
「じゃあ、」
元気なことは知っているはずだし。何を聞きたいんだろう。
「その...彼女の最近の仕事はどうなのだろうかと気になってな」
「作曲の進行具合のことですか?」
私が問うと、いや、まあそうなんだが...としどろもどろな返事が返ってくる。
「作曲なら順調に何曲か出来ているみたいですよ。しかもどれも良い仕上がりで」
「ああ。それは分かっているのだが、その。頑張り過ぎていたりはしないだろうか」
聖川さんの声が心なしか小さくなる。
「七海はいつも全力で曲を作ってくれるし、努力しているのは分かっているのだ。だが、素振りは見せずとも抱え込んでしまうこともあるのではないかと思ってな。それが少し、心配で...」
「春歌ちゃんのこと、大切に想ってるんですね」
「そっ......、」
私の言葉に顔を赤らめる。翔さんも分かりやすいけれど、この人もすごく分かりやすい...なんて。
「まあ、その。今までとは違って、七海には徳永という良き相談相手がいるから...ぜひ沢山話を聞いてやってほしい。彼女の支えに、なってあげてほしいのだ」
顔を隠すように俯きつつもはっきりとした声でそう伝えた聖川さんは、呼び止めて悪かった、と付け足してから背を向けて去って行った。
「恋桜...か」
きっと彼女のことを考えながら書いたのだろう歌詞は、切なさと熱い想いが混ざったようなもので。春歌ちゃんの話をするとすぐに頬を染める聖川さんの、内に秘めた恋心が表れているように感じた。
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