「できた......っ!」
ヘッドホンを外して椅子にもたれながら、来栖さんが呟いた。
春歌ちゃんが外出していて、何故か神宮寺さんにごはんをご馳走してもらったあの日。翌日になって私の部屋に訪れた春歌ちゃんは、何度も頭を下げながらごめんなさいを繰り返した。どうやら夜に自主練習に行っていた来栖さんが忘れ物をしたようで、届けに行って一悶着あったらしい。高所から落ちそうになっただなんてびっくり発言をしていたけれど、とりあえず怪我はしていないようで安心した。
無事に撮影もクランクアップ。その翌日から楽曲の最終調整が始まった。エネルギーみなぎる来栖さんは疲れを感じさせないほどに積極的だった。さすがに私の部屋に泊まって、ということはなかったものの、随分遅くまで作業をしていた。ちなみに、春歌ちゃんがよく差し入れを持ってきてくれたんだけど、その度に来栖さんがより活き活きしていたことは言うまでもない。
「お疲れ様でした」
「ああ...そっちこそ」
「お互い様です」
「、だな」
もう一度聴きたいと言う来栖さんがヘッドホンを付けたのを横目に、席を立って二人分のマグカップを手に紅茶を入れ直しにいった。背中越しに彼の歌声が聞こえる。
この曲は来栖さんがアイドルデビューを果たしてからの初めてのソロシングルだ。そんなメモリアルソングは彼らしい、人に勇気を与えるようなものに仕上がった。これからこうやって、あの人たちの曲に関わっていくんだ。そう思うと、この曲は私にとっても感慨深いもので。
「どうぞ」
「サンキュ」
歌い終えたのを見計らって淹れたての紅茶を手渡す。これで少し、一息つけるかな。でももう次が詰まっている。本当に社長は何を考えているんだか......
「あのさ、」
控えめな呼びかけに目線を送ると、来栖さんが苦笑いを浮かべていて。
「俺、ずっと気になってたんだけど...その、なんかタイミング逃して言えてなくて......悪かった、な」
「え?」
「いや、ほら、俺、最初のころに、すげえ失礼なこと言っちまっただろ。そのこと、謝れてなかったから」
ごめん。
俯く彼の姿に、記憶の端にあったあの出来事がよみがえった。ああ、そんなことがあったな、なんて、そんな程度なのに。
「正直、初めは本当に、才能ある奴なんだなってぐらいにしか思ってなくて。でもこの曲を作っていくうちに、そうじゃないんだって分かったんだ。たくさん勉強して、研究して、努力して...そうやって、お前の中から音楽が生まれてくんだって。そう感じた」
顔を上げ、大きな瞳に私を映す。来栖さんの言葉一つひとつが、私の心にすとんと落ちていった。
「お前と曲を作れて、本当に良かったよ。俺もたくさん勉強になったし。ありがとな」
白い歯をみせて笑う彼。初めは決して見ることのなかった彼の心からの笑顔だった。
「私も、来栖さんの曲のアレンジを担当できて良かったです。ありがとうございました」
「っ、なんか言い合ってんの、照れるな」
「そうですね」
和やかな空気の中、来栖さんが言葉を繋げた。
「あと、俺お前より年下だからな」
「、分かってますよ?」
「や、だから!俺、年下なわけ。敬語じゃなくていいから!つーか、まあ本当は俺が敬語使う立場なんだけど...」
「別に気にしませんから」
「だああああっ!だからその敬語!あと、来栖さん、とかやめようぜ。すげえよそよそしいじゃん」
じゃあ何て呼べばいいですか?そう聞くと、来栖さんは口を固く結んで言葉を詰まらせた。
「翔、でいい」
「翔さん」
「、まあいいや。それでいいよ」
なら、私のことも名前で呼んでください。
私の言葉に目を丸くして、一瞬固まった。来栖さん......翔さん、は頬をほんのり赤く染める。
「わーったよ!名前で呼べばいんだろ!」
少し投げやりな言い方は、彼なりの照れ隠し。
社長。確かにこのマスターコースは、私にとっても大切な経験になりそうです。
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