久しぶりに、しっかりしたご飯なるものを食べた気がする。胃が何日かぶりに現在進行形でフル稼働している。
お弁当の容器を片しながら、紅茶を煎れた。言わずもがなこのお弁当は嶺二さんの差し入れだ。ダージリンのティーバッグをカップに放り込んで、湧いたお湯を入れて。カップを両手にパソコンの前に戻り、作った音源を再生してみた。
「こんなもんかな」
忙しい来栖さんともなんとか数回やり取りをして。時折顔を出してくれる春歌ちゃんともあれこれ言いながら。なんとかほぼ完成の形にまでかこつけた。あとは本人と最終調整あるのみだ。
CDにデータを移す。三枚あるのは、来栖さんと春歌ちゃんに渡す分と、予備分。部屋で生活のほとんどが何とかなってしまうため、此処を出るのは相当久々だ。改めて、整った環境過ぎて怖い。
「......いない」
隣の春歌ちゃんの部屋をノックするも、返事はない。試しにノブを回してみたけれど開いているはずもなく。たぶんお仕事で出ているんだろう。仕方ない。先に来栖さんのところに渡しに行こう。
ふらふら歩いて来栖さんたちの部屋へ。いつもなら四ノ宮さんが真っ先に返事をしてくれるけれど、此処でも声はしなかった。三人とも出払っているなんて珍しい......とは言っても、まずあまり来たことがない。
「珍しいね」
どうしたの。澄んだ声が廊下に響く。そちらを見ると、部屋に向かって歩いてくる藍さんがいた。
「来栖さんに用があってきたんですけど」
「ショウならトレーニングルームにいるよ」
「トレーニングルーム......」
「二階の階段上って右の突き当たり」
「......ありがとうございます」
寮の中のことがさっぱりなのを、一瞬にして見破られた。恐れ多いです。
「でも、今行くとたくさん人がいるんじゃない。みんなショウのこと、見に行って入り口に立ってたから」
「来栖さん、何かあったんですか」
「撮影が上手く行かないらしいよ。相当焦ってるし、肩に力入ってるね、あれは」
淡々と。いつものように表情を変えることなく話す藍さんだけど、それは彼なりに心配しているようだった。
「そうですか......」
「ユキホは順調なの」
「まあ、一応。来栖さんのソロは完成に近付いてます」
「そう」
藍さんが部屋のドアを開けて入っていく。その背中を見つめていると、くるりと振り返って。
「シュークリーム、美味しかったよ」
じゃあ。そう言って藍さんがドアを閉めた。頬がゆるむ。さて、これを彼に届けに行こう。私は階段へと足を向けた。
初めて向かうトレーニングルーム。藍さんに言われた通り進むと、その場所は明らかだった。色鮮やかな髪色をした男の子たちと、その視線の先から漏れる光。いつも絶え間なく話し声がする彼らだけれど、今回は誰一人口を開いていなくて。
足を止め、彼らと距離を置いたところで暫くその姿を見つめる。嫌いだとか、関わりたくないだとか。そんな感情を抱いているわけではない。ただ、出会って日の浅い人に対する接し方が不器用すぎたり、相手の自分の扱いにトラウマがあったり、それだけなんだ。
「、おや?」
ゆっくり近付いていくと、一番に私に気付いたのは神宮寺さんだった。彼の声に、他のメンバーもこちらに視線を巡らせる。
「何だか久しぶりだね、レディ。元気だったかい?」
優しい、やや熱っぽいような瞳。こういうタイプは初めてだからか、はい、と答えながら斜め下に視線を落とす。
「来栖さんに用があって」
「おチビちゃんか。残念。デートのお誘いかと思ったよ」
「神宮寺」
聖川さんの制止に、お堅いねぇ、とおどける。
「翔なら今、中にいるんだけど......。ちょっと、ね」
「今はやめておいた方がいいと思いますよ」
一十木さんと一ノ瀬さんが中を見ながら呟いた。ふとそちらに目をやると、一心不乱に腹筋をする来栖さんがいて。ああ、藍さんの言っていたのはこのことか。納得しながら、手に持っていたディスクと見比べた。
「それは?」
一ノ瀬さんが、私の手元を見ながら尋ねた。来栖さんのソロの試作です。そう言うと、周囲からへぇ、という空気が漏れる。一番来栖さんを不安げに見守っていた四ノ宮さんが、目を細めてディスクを見つめていた。
「翔ちゃん、こんなに頑張っているのに」
僕たちは、何もしてあげられないんですね。
寂しそうに呟く四ノ宮さんは、本当に辛そうで。休む間もなく別のマシーンに移る来栖さんの顔に、一緒に音楽を作っていたときの笑顔はなかった。何かを抱え込んでいるような、そんな必死な顔。
「雪蛍ちゃん?」
四ノ宮さんの声を背に、トレーニングルームの中へ足を踏み入れる。私が入ってきたことに来栖さんは気付いていなかった。部屋の隅に置かれた、彼の仕事用の鞄。その上にそっとCDを乗せる。
この曲が、あなた自身にも勇気を与えてくれますように。
私が部屋を出てその場を離れると、後ろから足音が着いてきて。
誰が口を開くこともなかったけれど、私たちが思うことはきっと同じだった。
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