「おはっ…おは、よう」
「え、あ、お、おはようございます」

最近、シリウス・ブラックはおかしくなりました。いや、元々おかしいと言ったらそこまでなんですけど、元気がないほうのおかしい、じゃなくて、なんていうか。わたしへの態度が、気持ち悪いのです。ああそうです、気持ち悪いという言葉がしっくりきます。

「いや別にそれで普通なんじゃないのか」
「でも!普通にあいさつとか、レポート手伝ってくれるとか!おかしい気持ち悪い!」
「…………(初めてブラックが哀れだと思った)」

ありがとう。おはよう。おやすみ。当たり前のあいさつ。でもシリウス・ブラックがそれをするというだけで(それもわたしに対して!)おかしいのです。もくもくと煙の立つ部屋の中。すでにポリジュース薬を作り初めて一ヶ月がたっています。

「まだ?」
「ああ」
「………」
「………」
「まだ?」
「ああ」
「………」
「………」
「………」
「………」
「まだ?」
「ああ」
「………ま「あと二ヶ月はかかる」………そっか」

セブは毎日ここにやって来てポリジュース薬を作ってくれています。最低でも三ヶ月はかかるらしいのだけど、やっぱり待ち遠しいのです。

「…それより時間はいいのか」
「あーうん、…行かなきゃ」

シリウス・ブラックとの約束の時間が迫っていました。



「ごめん!リリーとしゃべってて遅くなっちゃって…」

結局十分くらい遅れて待ち合わせ場所、中庭の銅像の前に行くと、シリウス・ブラックがポケットに手を入れて立っていました。寒さも本格的になってきて、マフラーと手袋のかかせなくなってきた最近。昼間でさえ寒くてたまらないというのに夕方、日没の少し前に呼び出されたのです。ああ寒い。細かい雪がふわふわ舞う中この間と同じコートを着て鼻を真っ赤にするシリウス・ブラックを見てほんの少しだけ時間に遅れてきたことを後悔しました。もっと待たせてやればよかったとも思いました。

「…ん、こっちだ」

当たり前のように手を取られて、お互い手袋はしているのにシリウス・ブラックの手の冷たさが伝わったような気がしました。黙々と雪をかき分け前を歩くシリウス・ブラック。手をひかれながら後ろを歩いているので雪の積もった中でも歩くのは容易でした。

どこまで行くんでしょう。

「シリウス、こっち、森だよね?」

進行方向の鬱蒼と繁る木々に気づいたわたしはシリウス・ブラックに問いかけました。もうすぐ日没。冬。禁じられた森になんか入ったこともありません絶対嫌です…!

「見せたいものがあるんだ」

歩みを止めようとしても強く腕を引かれるので半ば引きずられるようにして、わたしは森に足を踏み入れてしまいました。



雪の深く積もった森の中。黙ったまま歩き続けるシリウス・ブラックのわたしなんかよりずっときれいな黒髪が目の前で揺れ続けます。時々どこかで物音が立つたび泣きそうになりながらわたしはひたすら心の中でシリウス・ブラックを罵っていました。ただこのつながられた手だけが命綱のような気がして、その手を強く握るとシリウス・ブラックも握りかえしてきました。

「…着いたぞ!」

その言葉に顔をあげて、わたしは息を飲みました。

森の開けた場所。いつの間にか雪がやんで、雲の切れ間からのぞく太陽がホグワーツ城をバックに沈んでいきます。と氷った湖と積もった雪がきらきらオレンジ色に反射して、

「きれい…」

ほうっと、感嘆のため息がこぼれました。だろ?と相づちを打つシリウス・ブラックが隣で笑ったのがわかりました。

「この間ジェームズと遊んでたら見つけたんだ」

禁じられた森に遊びに来るなんてまともな神経をしていません、とか、そんなことを思う余裕は心の中にはありませんでした。ただこの美しい景色をできるだけ頭に焼き付けようとするのに精一杯なのです。

「ありがとう、シリウス」

きらきら、きらきら、太陽は沈んでいきます。

「レイ、」

手がほどけたと思ったら、背中に体温。前に回された腕に後ろから抱き締められていることに気づくのはすぐでした。

「レイ、俺、」

オレンジ色の光は沈みました。あっという間に暗がりが辺りを支配して、星がきらり、とひとつ瞬くのが見えました。寒さが頬を突き刺して、息をするたび肺が凍りそう。早い鼓動を刻む心臓の動きを背中に感じて、それに呼応するようにわたしの心臓も早鐘を刻み始めます。

「俺、レイのこと、」




2010/02/06 ニコ

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