幸福ハイド


 !物凄い暗い
 !色々注意













 ふわりと香ったあいつの匂いに俺の意識がぼんやりと覚醒して、閉じていた瞼をゆっくりと押し開ける。すぐ傍にある温もりにぎゅう、と頭を押し付けたら体に巻ついていたたくしく力強い腕がいっそう俺を包んだ。
 おはよう、髪の毛に埋められた唇が動く。擽ったい。でも嫌いじゃない。あいつの唇が伝える振動を身体で感じるのは、むしろ好きな感覚だ。俺も胸に唇を押し付けておはようと返した。優しく耳に馴染んだ鼓動に揺れる。
 二人揃って生まれたままの姿で一枚の肌触りがいいタオルケットに包まっていた。触れあう素肌から伝わる、少し低めの体温が好き。もう少しで秋が来るから薄手の毛布でも出してこないと、風邪をひいて同じベッドに並んで咳をするなんて間抜けな事になって、同窓生達の特にピンク色の髪の奴の笑い種になってしまう。馬鹿馬鹿しいお見舞いの品を持って来られたらもう俺は恥ずかしくて仕事どころか外に行きたく無くなる。それでこいつと一緒に一日中ベッドでのんびりごろごろしているのだ。…あ、なんか普通にいい日常じゃんか。そうしよーぜ?ってその一言だけを行き成り口に出したら、目をパチパチさせて、何が?なんて暢気に答えられた。風邪をひいてしかも仕事に一生いけないニートよろしい生活に自分が堕ちてしまうかもしれないのに、危機感のない奴だ、まったく。
 なんていう有りもしない事をダラダラ夢想してたら、朝ご飯、って一声が降る。朝ご飯がどうしたんだよ、俺は朝ご飯じゃねーよ、なんて母さんみたいな返し。母親知らないけど。兄弟だけど。恋人だけど。つーか俺はご飯作る機械じゃねーし、倦怠期かこの野朗。旦那さんがご飯と風呂しか言わなくなったら浮気の合図ってワイドショーが言ってたかもしれないし言ってないかもしれない。ワイドショーなんて見てる暇無いんだ。はいはい、布団ちゃんと直しておけよ、と俺は言い残して服探しにベッドを出た。
 昨晩の部屋着は生憎着れるような状態じゃないので、箪笥に足を伸ばす。面倒なんだよなあ、どーせあと一時間もすれば仕事着になるし、わざわざ上下着るの無駄じゃねえ?ってことであいつのワイシャツに決定。太もも位までは余裕で隠れる。体型差なんていうのは俺は知らない。なにそれ美味しいの?兄の威厳を守るのに手段は選ばない。リビングの隣、俺の城でもある流行りのシステムキッチンに立つ。電気ケトルをセットして、卵とハムでハムエッグ。それから食パンをトーストに入れて、手早く野菜を千切る。ビンに入った手製のジャムとドレッシングを冷蔵庫から出してカウンターに並べておく。そのうちのろのろと着替えたあいつがテーブルまで運んでくれるのだ。昨日八百屋のおば…お姉さんにおまけしてもらった色鮮やかなオレンジをカットしてサラダの傍に置いた。昨日の夕飯の残り物のスープに、また野菜を入れて暖める。ピーッとケトルが鳴って俺は揃いのマグカップを出してコーヒーを入れた。俺のはカフェオレにするから事前にホットミルクが注いである。いい匂い、って耳元で少し眠そうな掠れた声囁かれて腰に腕が回って抱きしめられる。挽きたてだからな、と笑ったら、兄さんの事だよ、なんて。ホストかこいつは。蹴りながら城の外に追いやって、物を運べと命令する。トーストとハムエッグをプレートに載せて、サラダもオーケー。スープも器に注いで二人分の朝食が完成した。向かいあわせに座って、手を合わせて、一言。




「いただきます」

俺一人の声がリビングに響く。目の前には誰もいない。テーブルだってあるのは焼かれてない食パンと水だけ。一人分。朝日が注いで明るかった部屋は黒い厚手のカーテンが窓にかかって薄暗い。そう。俺は、一人。たった一人だ。もう何百年も続いてる毎朝の一人遊びは実によくある朝を滑稽に演じることだった。幕が閉じて、還る日はずっとずっと色が無い。

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