1+1


(+だけど×風味)

 夕食の用意を終えた頃に入った、少し会議が長引いて帰るのが遅くなるとの連絡。今日はハヤシライスにスープという、温めなおせば味に問題はないメニューだったから気をつけて帰ってくるように言った。元々燐はあまり時間を急ぐメニューを作らないし、ちゃんとした盛り付けは雪男が帰って来てからやる。高校を卒業してお互いに忙しさが増してすれ違いの多かった時期、一緒に食べる日の配膳は自分がやると雪男が言い出したことに起因するのだが、今では雪男だけじゃなくて燐も一緒にやる。メニューを見ながらこれこれのこの食材が安くてとか、明日は旬のあれをつかったどれどれを作ろうとか、そういう話をする時間が好きだ。雪男も燐も口に出さないがほんの五分のなんでもない時間を大切にしたいと思っていた。
 雪男との電話を終えて携帯を閉じると、腰に巻いたエプロンを外して自分の椅子の背もたれにかける。少し固い、黒色のシンプルなエプロン。悪魔である燐の背丈は高校から変わっておらず、15歳の時に雪男が燐へプレゼントしたそれは今でも丁度いい大きさ。髪も伸びて、雰囲気も大人っぽくなったとよく言われるが、映画館はまだ高校生料金でなんら問題なく見ることが出来るし、人間である雪男と町を歩けば兄弟と間違われる。いや、間違っていないけれど、間違っている。そういうときに限って雪男は燐のことを"兄さん"ではなく名前で呼ぶ。兄弟として兄のプライドが危うくなって、ムスっと顔をしかめるのだ。雪男が少しでも休めるように塾講師は代われないけど祓魔師の仕事はなるべく回してもらって、それなりに兄らしく弟を支えてやれているつもりでいるから、ちょっと悔しい。気がついったら自分よりもずっと頼りがいのあった背中は今でも安堵を齎してくれる。

『りんーごはんまだかー』
「ちょっと雪男遅くなるから待ってよーな」

 ドアを押して、燐の寝室で寝ていたクロが眠そうに鳴いた。ソファーに座った燐の膝に飛び乗るとくるんと丸まって丁度ついた大きめのテレビを燐と一緒に見る。ソファもテレビも選んだのは燐だ。どちらも二人用にしては大きいが一緒に横になったら丁度良い大きさだった。これなら映画見ながら寝落ちれるだろ!と得意げに家具屋で笑った燐をだらしないと叱りながらも雪男は了承した。未だに燐の目論見は達成されて居ない。ソファで眠っても決まって雪男が寝室まで運んで、朝目覚めたらちゃんと布団まで掛かっているからだ。雪男に彼女というやつが出来て家にあまり帰ってこられなくなったらきっと目論見は達成されるだろうが、ちょっとそれを考えて見たら燐はなんだか身体の芯をギリギリと締め付けられて痛くなった。
 テレビはバラエティ番組で番組編成の時期に良くある二時間枠の特番。料理対決と銘打っていたのでチャンネルを回していたら目に付いたのだ。対決だけあってそれなりに腕に覚えのある人が出ているから、勉強になることも多い。料理に置いてのみ応用は朝飯前なのでふんふんと見ながら頭のなかでは色々と組み合わせて考えていた。学生時代はそれを勉強にも使えとよく言われたが、無理な話だった。区切りのところでCMに入ったテレビ。録画ならピッピッピッと飛ばせるので思わずリモコンを手にしたがそういえばライブだったなと思いなおして置いた。考えてみたらこうしてリアルタイムにやっている番組を見るのは久々かもしれない、なんて思いながらちょっと退屈そうにCMを眺める。旅行とか恋とか当たり前のことをしていない燐にはちょっとぴんとこないCMが多い。
早く始まんねえかな、とか考えていると、チョコレートのCMが始まる。美味しそうだと思った。空腹感も手伝って燐の口には涎が溜まる。『優しい口溶け』ちょっと想像してみたら堪らない。
 まだ雪男は塾だよな、と、カウンターに置いた携帯を取ろうと立ち上がったら、がちゃり、と玄関の鍵が空く音がした。まさか、とそちらを見る。ただいま、と声をかけたのはその雪男だった。

「…おかえり」
「何、その嫌そうな顔。遅く帰ってきたのは悪かったけど、会議なんだし仕方ないだろ」
 「それじゃねーよ。あー…」

 思ったよりも声が低く出た。それ以外に身に覚えがない雪男は怪訝な顔をして、妙な空気が漂う。クロがそっとソファの影から見守っていて、耳がピクピクと動いている。燐ががくりと肩を落とした。理不尽な話だとはわかったがさっきまで盛り上がっていたのだ、仕方ない。チョコレートは明日にでも買いに行けばいいと言い聞かせてみるがちょっとだけわがままになりたい自分も居た。

「失礼な兄さんだな」
「わりいとは思ってるよ、一応」
「一応って、なに」
「なんつーか…間が悪いっていうか」
「はあ?着替えてくるから頭冷やしなよ」

 ガサッと雪男は呆れ顔でテーブルにビニール袋を置いて、寝室に消えていく。黒い塗装が少しはがれたデジタル腕時計と携帯をカウンターに置くのも忘れずに。やりきれないが弟に悪いからこれでお仕舞いにしようと燐はわりい、とその背中に投げかけた。少し開いた引き戸の向こうから何かあったのと訊ねられる。

「別に」
「そう?最近疲れてるんじゃない」
「任務続きだけど体力には自信あるぜ?」
「無理しないでよ、仕事中は簡単には兄さんの所いけないんだから」
「来いなんてたのまねーよ」

 スウェットとトレーナーなんていう楽な格好に着替えた雪男がリビングに戻る。昔はもうちょっとキチンとした格好をしていたのだが、最近は燐と変わらなくなって、一度それを指摘して似てきたな、なんて燐が言ったら随分と不服そうな顔で否定した。一足先にキッチンに入った燐を追うように雪男も入って、燐が届かない高いところにあるハヤシライス用の皿を無理なく降ろす。ふん、と横で燐が口を尖らせたので思わず雪男が笑った。

「拗ねないでよ」
「そんなことしてねーし。図体だけでかくなりやがって…」
「拗ねてるじゃない、おもいっきり」

 くすくすとまた雪男が笑う。少し頬を赤らめて燐はテーブルの方に顔をそらした。

「ってあれ、お前何か買ってきたの?」
「ああ、うん…チョコレートをね」
「へ!?」

 今までのやり取りなんて忘れて、燐はテーブルまで駆けて行った。不思議そうに雪男が見る。がさがさとコンビニの袋から出したのはまぎれもなくチョコレートだった。しかも、期間限定のさっきテレビでやっていたやつ。

「おおおまえっ、これなんで!」
「塾の子が持ってて食べたくなったんだ…って兄さん!?」

 動揺を隠せなかった雪男の声が荒げる。無理もない、燐がチョコレートの箱を握り締めていきなり抱き着いて来たのだから。ぐらりと成人男性にしては軽い体重を受け止めた雪男の体が揺らぐが、片足を後ろに滑らせてなんとか支えた。爛々と目を輝かせて雪男を見上げる青眼にそっと溜め息が出る。

「いきなり危ないよ」
「だってこれ」
「何、兄さん食べたかったの」
「CM見て雪男に頼もうかと思ったら帰ってきちゃうんだもん」
「ああ…」

 それでさっきがっかりしたような顔で出迎えられたのか。雪男は漸く納得した。苛立ちとかは怒らず、ただ単純な兄だと微笑んだ。何笑ってるんだ?と燐が首を傾げたので、兄さんが喜んでくれてよかったなって、とごまかした。半分は本当だ。
 燐は雪男に回していた腕を戻して改めてニコニコとチョコレートの箱を眺める。さっきまで諦めていた物が目の前にあるのだ、嬉しくないわけがない。ぱたぱたと尻尾が振れている。そんな燐を眺める雪男の顔は、彼の厳しさを少しでも知っている者なら、昔から彼を知っている者なら更に驚くほど、甘さだけに浸りきっていた。燐も、雪男自身も気がつかない。二人にとっては穏やかな兄弟の時間が流れているだけだ。
 ただ一人、一匹、ひらりとソファから降りた又猫が夕食は遅くなりそうだと燐の部屋へ消えて行った。



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