僕と君の奇妙な世界


!ほとんど雪男しかいない
!オリキャラばっかり
!人が死にます
!捏造万歳













 僕の一番古い記憶はミルクの匂いだ。


 暖かい日差しの中、空色の肌触りがいいタオルケットに包まって、海色の目をした赤ん坊の頬を僕の小さく厚ぼったい手で撫でている。柔く少し赤味がかった頬の感触はなぜだか今でも手の平に。だからこそ僕は夢の様な光景を海色の赤ん坊がそのうちつややかで瑞々しい果実のようなピンク色の唇を僕に寄せて酷く優しい口付けをして、僕はまどろみに落ちていく。記憶の最後に残るのは柔らかな甘いミルクの匂い。


 僕の両親は僕が一歳にも満たない頃に離婚した。二人とも行くところがあったから、僕は母さんに引き取られて母さんはすぐに継父さんと結婚した。医者である継父さんは穏やかで仕事熱心で、母さんをとても愛していた。僕にもきちんと愛情を注いで実の息子のように育ててくれたから、僕が継父さんのような医者になりたいと思うようになったのは自然なことだったと思う。元々、知識を取り入れることが嫌いではなくて、小学校に入った頃には分厚い医学書を読みこなせるようになった。継父さんはお下がりだったり新品だったりする医学書を惜しむことなく与えてくれた。あの日も、朝食の席で継父さんから手渡された新品の医学書に大喜びした。継父さんの弁当を用意していた母さんに見せて自慢して、そうしたら母さんはよかったねと笑ってくれた。継父さんはいつも通り病院に行き、僕も帰ったら本を読み耽るのだと心に決めて学校に行った。その医学書は小学生が持つには重過ぎて持っていくことが叶わなかった。だからこそ一層楽しみで、でも僕は、あの日家に帰って本を読むことはしなかった。出来なかったのだ。帰宅してリビングを覗いたら冷たいフローリングの床に冷たい母さんが寝ていたから。それはそれは穏やかな表情で、本当に僕は眠っているのだと信じ込んだ。いくら本で手に入れた知識が母さんを死んでいると判断しても僕は認めなかった。こんなことを知るために必死になって勉強に明け暮れたのではないと。僕が知りたかったのは一人でも多くの人を助ける方法だと。母さんの傍らで泣き叫ぶ僕を、数時間後に継父さんが見つけた。家のも母さんのも繋がらない電話を不審に思って仕事を早く切り上げて帰ってきたそうだった。継父さんはリビングのドアで僕と母さんを見つけて、僕の隣にしゃがみ込んで母さんの頬と首を触って瞼を開いて眼球を確かめて、それから、僕をしっかりと抱きしめてくれた。そして、母さんがずっと病気を抱えていたことを静かに告げた。実父さんと別れて継父さんと結婚した頃から。本当はもっと前に亡くなるはずだったのに、強いね、母さんは。僕はもう一度大きく泣いた。母さんのお葬式を上げたら来る人たちが皆母さんの為に泣いた。その時に僕は泣かなかった。これからずっと今まで、僕は一度も泣いていない。納骨をして、継父さんと二人で母さんのお墓の前に立っている時だった。継父さんが僕に尋ねた。これから、どうする。と。実父さんと駆け落ち同然で結婚したという母さんには親類との縁が無くて、葬式にも母さんの親だとか兄弟だとか言う人は一人も来なかった。
僕は継父さんに尋ね返した。僕を捨てますか。―――今思えば随分乱暴な問いかけだったと思う。でも継父さんはなんでもない風に僕の頭を撫でて言った。雪男くんさえ良ければ育てさせて欲しい。僕はずっと継父さんを名前で呼んでいたけど、その時初めて、とうさん、と呼んだ。小学五年生の時の出来事だった。
 それから一段落ついた頃、母さんの遺品の整理をした。継父さんもやったけれど、大半は僕が片付ける事になった。そのなかにあったのは母さんの日記。母さんが日記を毎日欠かさず付けていることは知っていたが、見せてくれる事はなかった。一年に一度変わったらしいノートは全部で12冊。僕の生まれる前から付けていたらしい。古臭い匂いのする紙束の一つを用心深く捲る。表紙に書かれた年号は僕が生まれた年で、真っ先に僕が開いたのは12月27日。僕が生まれた日。そして、僕は知ったのだ。あの海色のミルクの匂いを纏った赤ん坊の正体を。燐という名の僕の兄さんだと母さんは記していた。僕には双子の兄さんが居た。兄さんは実父さんに引き取られたというのは次の年の日記に書いてあった。あのミルクの記憶が本物だという確信を持った僕。小学校を卒業して中学校に上がって。その間ずっと僕の心を掴んでいたのは兄さんの事だった。今はどんな人に成っているんだろう。どんな声でどんな話し方でどんな顔でどんな風に笑うのだろう。どんな人でも喜んで兄さんと呼ぼうと思ったが、矛盾するように会いたいとは思わなかった。兄さんもまた、実父さんと実父さんと結婚した女性との家庭があって、もしかしたら兄弟もできているかも知れない。それを僕が現れることで壊すことだけは避けたかった。血の繋がりに執着が無かったといえば嘘になるが、継父さんとの生活に不自由はなかったし、何よりも僕は、まるで恋をするように兄さんの幸せを願っていたのだ。


 高校は継父さんや学校の先生には私立を強く勧められたが、場所なんて関係なく勉強できると思ったし、継父さんに負担をかけたくないと思ったから、近所の公立校にした。主席で入学して早々にクラスや先生の信頼を勝ち取るのは容易かった。中学時代から培った付かず離れずの処世術が幸を奏したというわけだ。一ヶ月もすれば大学を視野にいれた勉強のリズムを取ることもできて、高校生活を順調と評したある日、夕飯後の勉強をしていた僕を継父さんがリビングに呼んだ。僕と継父さんは仲が悪くない。むしろ、夕食は決まって二人で食べるし、学校や病院の事を話すのはいつものことだったから仲は良い方だと思う。だからこそわざわざ継父さんが僕を呼び出すのが珍しかった。

 「なんですか?」

 僕は薦められた通りに継父さんの向かいにあるソファに座った。いつになく真剣な顔で少し言いにくそうにしてした継父さんがとうとう口を開く。

 「…結婚を考えている人がいる」

 二人にしては広すぎるリビングに響いた継父さんの言葉に特別僕は驚かなかった。継父さんはまだ40手前で少し若く見えるくらいの言い寄ってくる女性は多いだろうなという印象を持つには十分な容姿をしている。それでも継父さんが僕や母さんを大切にしているとそういう誘いを断っているのは知っていたし、僕にこんな風に言ったのだから、母さんの事を忘れた訳じゃない。変わらず愛しているのだろう。その上で一緒になろうと決めた人がいる、と。僕は笑って言った。
 
 「どんな人なんですか?」
 「怒らないのか」
 「僕は父さんが良いと思うなら良いです」

 継父さんが選んだ人なら上手くやれる確信があった。ホッとしたように継父さんも笑う。

 「少しおっとりしてて…料理が特別に上手いんだ」
 「それは助かりますね」
 「だろう?」

 男二人の家族で一番不便なのは料理や家事だ。家事はなんとか覚えれば済むのだが、料理は経験が物を言う。しかもレパートリーとかそういうものに頭がいかないのもあって、日々の献立はいつも似通ったようなものだった。料理上手とあれば、献立にパターン性は感じられないだろう。思わず顔が綻んだ。継父さんは更に続ける。

 「それから、雪男くんと同い年の男の子がいるらしい…僕も、会った事はないんだけどね」
 「え?」
 「聞いた話だと少し不器用らしいから、雪男くんの方から歩み寄ってくれると嬉しいな」

 兄弟。サッと目の前が白く眩んだ。頭を支配したのは兄さん。海色とミルクの匂い。それとは違う、兄弟と呼べる存在が出来るというのは聊か受け入れられる話ではなかったのだが、継父さんがあまりにも楽しそうに話すから、僕は何も言えなかった。

 「今度の日曜日、家に招くことになったんだ」
 「わかりました」

 多分、自然に笑えていたと思う。
 
 
 それから日曜日までの数日、僕は少しおかしかった。メガネを忘れて登校してみたり、教科書を全部忘れてみたり、授業中に指されても気付かなかったり。先生はもちろん、普段話さないクラスメートまで心配をしてきたから相当だったと思う。それほど僕に兄さん以外の兄弟が出来るのは衝撃だった。占めているのは戸惑いと驚愕とそれから兄さんへの罪悪感。一方的で馬鹿らしいと自分でも思うけれど、どうしても最後の一つはまだ見ぬ新しい兄弟といくら年月を共にしようとも消える気がしなかった。

 「はあ」

 継父さんが新しい継母さんとその兄弟を車で迎えに行った日曜日の昼過ぎ。夕飯を振舞ってくれるという継母さんのためにキッチンを出来るだけ綺麗にしていた。調理器具も少ないし調味料も必要最低限だから調理代を布巾で拭くくらいしかやることなんて無いのだけれど。やっぱり僕の心は晴れない。けれども新しい兄弟と上手くやることが継父さんへの親孝行だと思う面もあったし、いつ会えるか判らない、もしかしたら一生会えないかもしれない兄さんを言い訳にして新しい兄弟との壁を最初から作るのは感心されることじゃない。そうだ、上手くやるんだ。本当なら五分もあれば終わることを僕はゆっくりゆっくり時間をかけて終わらせた。布巾を洗って脇にかけて、着替えるために自室へ上がる。昨日四苦八苦しながらアイロンがけしたワイシャツに袖を通して、寝癖を直す。身だしなみには気をつけるほうだったが、今日は一段と注意深くやった。だからまた時間がかかる。もうそろそろだろうかと腕時計をみて僕は首を傾げた。継父さんが出て行ってから二時間が経っていた。継父さんの話では一時間もあれば戻ってこれるという話だったはず。渋滞にでも巻き込まれたのかと思ったがもしそうならポケットの携帯に連絡が入るだろう。
 妙な胸騒ぎがした。僕は携帯を取り出して継父さんの電話番号を呼び出した。コール音が三回。継父さんはサイレントモードにはしないし、車は運転中でも電話ができるような仕様だから気がつかないことはまず無い。電話に出る音がして、堰を切ったように僕は呼びかけた。

 「もしもし!」
 「ご家族の方ですか?」

 聞こえたのは男性の声だった。継父さんよりも少し高めで、僕にはまず聞き覚えの無い声。ドクドクと心臓が鳴く。

 「…息子です、あの、父は」

 告げられた言葉は、煩い心音であまりよく聞き取れなかったが、僕はまた家族を失うことになったらしい。交通事故。搬送された病院は奇しくも継父さんの病院だった。

 リノリウムの床の廊下を早足で抜ける。昼下がり、陽射しが反射した廊下はなんだか眩しくて、一層現実感を狂わせていた。
 継母さんと新しい兄弟を車に乗せた継父さんは珍しく気が急いでいたんだろう、いつもよりも早い速度で車を走らせていて、結果カーブを曲がり切れなくて事故に遭ったらしい。前に座っていた継父さんと、継母さんは即死だった。残ったのは後部座席にのっていた兄弟だけらしい。全身を強打し、怪我もしたが命に別状は無いという。わけがわからなかった。よりにもよってと一瞬考えたがすぐに振り払う。不謹慎で不適当な考えだ。継父さんの遺体の確認と、その兄弟との対面をするために僕は病院に向かった。会う医師や看護師さんが慰めの言葉をかけてくれる。院長である継父さんが慕われていた事がよく分かった。泣いている人も居た。継父さんの遺体と対面しても、ふわふわした浮遊感はぬぐえなかった。足が竦むじゃなく、この空間に自分が存在していないかのような。母さんの時と少し似ているなと思った。継父さんのポケットには婚約指輪が入っていたという。多分今日、継母さんに渡すつもりだったんじゃないだろうか。継父さんの鞄と、眼鏡と、時計を受け取った。眼鏡と時計はガラスが割れていて少し曲がっていた。ぽたり、と拉げた眼鏡に水分が落ちる。
 僕は泣いていた。
 母さんの時に泣いた僕は、父さんの時にも泣いた。
 僕は、一人になった。
 こんどこそ一人になった。







 「雪男」

 鼓膜が揺れる。父さんの遺品を握り締めたまま僕は霊安室のドアの方を見た。包帯を巻いた少年が一人。僕より少し小さくてちょっとだけ童顔の彼は空色の目をしていた。兄さんと同じ空色。そうか母さんもあの空色だったんだ、なんて今更。
 かち、かち、と僕の時計の秒針の音がやけに聞こえた。

 「…燐?」

 父さんの再婚相手の継母さんは、どうやら僕の実父さんの再婚相手でもあったらしい。
 一生会えないと思っていた兄さんと恐らく一番奇妙な形で僕は再会を果たした。


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