もう一度約束しよう


―――――――
にいさん、さがさないと。
あれからどれくらいじかんがたったのか。
すうびょう、すうふん、すうじかん?
かんかくがない。
―――――――

僕は、腰を上げて部屋を出た。
兄さんからの手紙を握り締めて。

もしかしたら、兄さんは消えてしまうかもしれないから。
人間ではなく悪魔―――恐らく、幽霊の一種の兄さん。
今更、伝えることなんてないけれど。
僕には、その資格が。

「……ふふ」

僕は、廊下で立ち止まった。
兄さんからの手紙を握り締めて。

またそう言って逃げる。資格とか、そういうことを言って勝手に盾を作る。
シュラさんは気付いてた。僕も、気付いてた。
逃げるの、もうやめようよ。

苦しいだけ。

「僕は」

今でも兄さんが好きです。
たぶんこれからも兄さんが好きです。
逃げません。
兄さんにした事からも。

もう、逃げません。

僕は、再び歩き始めた。
兄さんからの手紙ともう一つ。
僕が兄さんに宛てた手紙を握り締めて。


***


二日前午前三時半頃、シュラは本部長室に居た。直属の部下が長期の任務から帰ってくる、それを出迎えるために。正直面倒臭さがあったが、なにかと面倒を見てやっている奴なので仕方ない。それに、今回の任務の場所は少し、シュラにとって引っかかりのある場所でもあった。丁度一年前、師の息子であり弟子である少年が姿を消した場所。その任務の延長に今回の任務はあるので当たり前と言えば当たり前だが、引っかかりはこうしてシュラを動かして居た。

かちり、と丁度時計が30分を指す。

それを待って居たかの様にバタバタという足音。廊下を走るというマネをあまり好かないというメフィストが眉を顰めるのが判った。やがて、その足音は扉の前で止まる。慌てた声が言った。

―――すぐに、扉の間に。

シュラとメフィストは顔を見合わせて、メフィストがどうしたのかと訊ねた。二人とも少し焦りをみせていた。真っ先に思い当たったのが一年前のあの事件。まさか、青焔魔が。ありえないとは思うものの、奴が封印されたというのは憶測でしかない。封印した当人が生死不明のまま消えていったのだから。しかし、日本支部の上官である祓魔師が告げた事実はシュラとメフィストの予想の斜め上を行った。

―――奥村燐が、帰還しました。まずはフェレス卿と霧隠上二級にお会いしたいと。

奥村燐。青焔魔ではなく封印した方。そしてここ数日何かと頭の端を過ぎった少年。彼が帰還したと。
はたとシュラは息を呑んだ。かつて不浄王を目の前に指揮を取り切った彼女でもその事実は信じられるものではなかった。現に、文字通り『人間離れ』しているメフィストでさえ言葉を失っている。そうか、彼は生きていたのか。驚いたが、次に来たのはなんでもない、笑いだった。安堵と喜びと嬉しさ。

「行きましょうか」
「ああ」

メフィストにシュラが応えた。この悪魔でもこんなに素直に笑うのかとシュラは心から感心したものであったが、それはまた、メフィストも同様だった。




<扉の間>―――各地と日本支部を繋ぐ扉を集めたその大広間には深夜3時半過ぎという時間ながら人が多くいた。長期任務の祓魔師もだが、なによりも奥村燐を見ようと仕事を放って祓魔師が多いのだ。

「お前ら!暇してんなら任務から帰ってきた奴らの手伝いしてやれ!」

その人ごみを一喝で散らせて、シュラは道をあけさせる。メフィストのブーツとシュラのサンダルの音がざわめきの中で一際、ホールに反響した。それと、けらけら、と言う笑い声。顔を見なくてもわかる、燐だ。快活とした声にフッと口元が緩む。が。

「相変わらずシュラには男寄らなそうだなあ」
「落とすぞ」
「こえーっ」

突然帰って来た時点で相変わらずだと笑ったが、ここまで相変わらずだとは思わなかったとシュラは拳を構える。が、前はそれで静かになって居たはずの燐は言葉を続けたのである。悪い方向に成長しやがって。悪態はついたが、それよりもまずは彼が本物であるかを確かめるべきだろう。そうして、漸く目の前に行き着いて、燐を正面から見、シュラははたと気がついた。メフィストもほうと声を上げる。

「お前…」

燐の格好は正十字学園の夏服で、服自体はボロボロだったが体の方は比較的綺麗だった。しかし二人が驚いたのは格好ではなく、燐そのものの姿。尻尾もなく、耳も尖っていない。八重歯の尖りも人間サイズ。まるで人間のような、姿。シュラは燐が燐自身が忌み嫌っていたあの青い焔の呪縛から解かれたのだと思い、よかったと思った。きっと、燐の弟も喜ぶ。シュラやメフィストよりもずっとずっと。

「人間…じゃ、ねえんだよ」
「は?」

燐が言う。困ったように笑って、シュラとメフィストを見つめた。明るく前向きながらも、その顔には陰りがあって。

「俺、もう死んだから。今は幽霊な」
「でもお前、今、アタシの目の前に居んじゃねえか」
「残った炎の力で実体化できるから普通の人にも見えるみてえ」

夢物語のような話。だが、悪魔を相手にする祓魔師という職業がシュラの思考を無理やりにでも納得に導いていた。隣を見ればメフィストは悪魔らしく納得をしたらしい。珍しそうに燐を眺めている。青焔魔の焔。それは倒された今でも厳然とその力をこうして示した。が、悪魔である二人と違って、純粋に人間であるシュラにとってはよく判らない話で、目の前に居る燐が死んだというのも、どうも。

「なんか現実味に欠けるな」
「あー、俺も、だって普通に飯食えるもん」

へへ、と笑う燐。死人。どうしようもない気持ち悪さにシュラは眉を顰めた。人間として接すればいいのだろうか。確かに、目の前に居るのを見れば人間にしか見えない。しかし、残った焔の力を使って実体化しているのならば、この人間である時間は期限付きということになる。恐らく、燐が死んだのは青焔魔と一緒の、一年前。そこから一年間こうして実体化し続けて、焔の残量はどれくらいなのだろう。ぞわりと寒気がした。―――それでは、燐は二度も死ぬのだろうか。
急に無言になったシュラを燐は不審がら無かった。予想していたとも言える。だから燐は視線をメフィストに移した。応えるように、メフィストが一歩燐に近づく。

「して、貴方が幽霊にもなってここに戻ってきた目的は?」
「忘れ物取りに来たんだ」

死人は聖者の如く爛々とした目で白いその悪魔の問い答えた。堕ちる先はどこにも無いとしても、持って行きたいものがあると。燐はそうしてまた口を開いた。


***


塾、騎士団本部、スーパー、公園。僕たちの足跡を探すように僕はそれらを訪れ、兄さんの姿を探した。そこだけじゃない。この一年、町を一人で歩く度に町中にある兄さんの痕を思い出した。交わした言葉とか、どうでもいい事で二人で笑ってしまったりとか。僕の世界には兄さんが溢れていて、眩しくて綺麗で。僕には勿体ない位。

「はあっ…」

僕はいつの間にか学校に居た。ここも兄さんと過ごした場所。塾や騎士団よりも身分を隠さなくてはいけなかった分一番"普通"の学生で居られた場所だと思う。校舎の小蔭で並んで昼ごはんを食べて、いつの間にか昼寝をしてしまった兄さんを起こすのは僕の役目だった。日付も変わりつつある夜の薄暗い中でみる学校にはあまり思い出はないけれど――――いや、一つだけ。一回だけ、僕らは夜の学校に忍び込んだことがある。
兄さんが世界に二つだけのあの鍵を落としてしまって、二人で真夜中に探しに行った。ちゃんと鍵は兄さんの机の中にあって返りは二人そろってどこか早足だったのを覚えている。決してそういうものが恐怖の対象ではないけど、真夜中の学校と言えばそういうイメージがあるのは仕方ないと思う。帰りに通ったコンビニでシュークリームとかロールケーキとかを金なんて構わずに大量に購入した。

「――――ああ」

ポケットの冷たい金属の感覚にはっとした。最後に残った可能性を僕は無意識に消していた。だって、兄さんが僕の記憶を失っているならあの場所には絶対に来ないから。僕との記憶だけしかない場所のはずなのだ。でも、可能性はある。彼がクロと話をしたように、きっと手がかりになる欠片は落ちていたはずで、僕は兄さんから目を背けるようにその欠片にも背を向けていた。例えば、僕の為に作ったお弁当だったり、好物の魚だったり。捻じ曲がった解釈は後に降る事実すらも歪めていく。
手近な扉に鍵を差し込んだ。ガチャリ。見慣れた丘の上に出る。僕のものと許された指定席の方にゆっくりと歩いていく。数歩。丘が下り坂になったとき、少しはねた髪が草の上にあるのがみえた。見付けた、今度こそ。

「兄さん」

僕が呼んだら、もぞもぞと首だけ動いて目が僕を捕らえる。

「おせーぞ雪男」
「うん」
「指定席ちゃんと空けてたんだからな」
「…ありがとう」

天使のように笑った彼は、紛れも無く兄さんだった。












もう一度約束しよう
(出逢うことを、笑い合うことを)

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