ミルクティー
「なんか、寒い」
「…今日は凄く冷えるって朝、テレビで言ってたよ」
互いの机に並んで向かい、燐がずずっと鼻を鳴らす。少し兄が心配になったが、彼はバカだったとさして口にだそうとは思わない。雪男の言葉にまじか、なんて暢気に言う燐は短パンに半袖だった。
「何か暖かいの飲もうぜ」
「その前に兄さんは上着着て」
「んだよ、かーちゃんみたいだな」
母を知らない燐が言う。母じゃなくて弟だよ、と訂正するのも面倒だ。雪男の手は止まることなく紙に文字を綴り続ける。
五分ほど経って、パーカーを羽織った燐がもう一度提案した。
「ミルクティーとか飲まねえ?甘いやつ」
ぴたり。雪男の手が止まる。したり顔の兄は見ないで、甘さは疲労を回復する効果があるとかなんとか適当な良い訳をして。
「…五分で帰ってこようね」
「やった」
雪男が思い腰を上げた。
『ミルクティー』
ぴったり五分で、二人は寮の部屋と厨房を往復した。手にしている揃いのマグカップからはほわほわと柔らかな湯気が立っている。
「ふー…ふー…」
息を吹きかけてミルクティーを冷ます燐を横目に、雪男はマグカップに口をつけた。
「…熱っ」
「ちゃんと冷ませよ、雪男クン?」
ニヤニヤと笑う燐に言われる。どうやらしてやられる日のようだ、今日は。不本意ながらも先の燐に倣ってカップに息を吹きかけた。
「猫舌とか似なくていいのにね」
「ん?あー…そうか?外見まで似てねーんだし、いいだろ」
「ふうん?」
そうか、そういうものなのか。雪男の中で煩わしかった猫舌といういわば欠点が、何やら特別なものになった。
…そろそろ、良いくらいだろう。もう一度ミルクティーを一口。丁度いい温度であったが、甘くないなと首を傾げた。砂糖ならこれでもかという程入れたのにも関わらず、だ。ちらりと雪男が燐w見ると、同じように燐も雪男を見ていた。
「…どしたの」
「いや…甘くなくて」
「は?兄さんあんなに砂糖入れてたじゃない」
「でも思ったより甘くねーの。雪男は?」
「まあ、僕も甘くないなって感じなんだけど…」
「お前の方が砂糖入れてたよな?」
「兄さんの方が入れてただろ」
「いーや、雪男がバカみたいに入れてたの俺知ってるね」
「バカはそっちだろ」
「そういうんじゃねーよ、察せよ!頭いいのにバカだな」
「意味通って無いし。バカバカ煩いし。バカみたい」
「お前が言ってるバカと俺が言ったバカは違うって言いてえの!」
「最初から知ってるよ、兄さんじゃないから」
「くっそ、バカにしやがって」
不毛すぎる応酬はそこで一度停止する。本当に不毛だと、雪男は溜め息をつき、どうしてこうなったのかときっかけを探した。手元を見て思い出した。
「ねえ、交換しない?」
「何を」
「ミルクティー」
「…こっちの甘くねーぞ」
「多分僕のより甘いから」
「俺のが苦いって」
「まあ、飲めば判るよ」
雪男は燐のマグカップを、燐は雪男のマグカップを手にした。もう冷まされた、丁度いい温度であろうミルクティー。なるほど、猫舌が似るというのも悪くない。二人で一緒にミルクティーを飲んだ。
「…甘い」
「え、こっちのが甘くね」
「いや、兄さんの方が甘いよ」
今度は二口目も早い。
ごくり、と雪男の喉が鳴る。
「うん、やっぱり甘い」
「そーか?」
燐も雪男のをもう一口飲み、こっちが甘いと主張する。どういうことなのかと二人で顔を見合わせた。と、時計を見ると、雪男が席を立ってからもう十分以上経過していた。雪男の休憩の限度を超している時間だ。
「とりあえず勉強に戻ろうか」
「げ、忘れてると思ったのに」
「残念でした。ほら、机に向かって」
「ミルクティー、どうする?」
雪男に追われるようにしながらも、燐が尋ねる。雪男は既に自分の机に置かれた燐のマグカップを見た。自分のとなんら代わり無い大量生産が売りの安価なマグカップなのに、どうも手放し難いし、それに、口の中に残る甘さがとても心地いい。
「…このままでいいんじゃない?」
今度は雪男から出たその提案は、快く燐に受け入れられた。
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