旅路


ゆらりぐらりと揺れて進む寝台特急に合わせて、左肩に乗った頭も不安定に前後左右に動くから、本当よく眠れるなあなんて呆れを越して尊敬を覚える。ああいや、呆れよりもまず可愛いなんて思ってしまうなとますます病気みたいな事を考えて苦笑して雪男もふあ、と欠伸をした。うとうと。隣の兄兼恋人に釣られて船を漕ごうか、どうせ目的地までまだまだあるのだからと軽く目を閉じかけた、その時。がたん、と一際大きく揺れて燐の頭が肩から落ちた。

「あ」

「……んぅ、ゆきお?」

雪男にかかっていた重みが暖かさと一緒に離れていくのを寂しく思ったが、燐が目を擦りながら小さく名前を呼んだから良しとする。ああ幸せだなんて、こんな些細な事で思ってしまうんだから、随分と自分は安いと雪男は思ったが、まず、その前提に燐が居ないと成立しない幸せであるから安くはない。結局眠れず、少し霞みがかった頭で幸せに浸っている雪男が返事をしないので燐はもう一度呼ぶ羽目になった。

「…雪男」

少々棘のある言い方に、我に返った雪男が慌てて振り返ったら、燐は口を尖らせて拗ねていた。ごめんね、と頭を撫でると、ふい、と顔を背ける。が、その耳朶が紅くなっているので許してくれたのだろうと思う。ついでに、個室だからと出されている尻尾もぱたぱた揺れていた。しばらくそうしてから、雪男は尋ね返した。

「どうしたの?」

「……何時かなーって…」

おずおずと振り返った燐はそわそわと雪男の腕を覗きこむ。一々仕草の可愛い人だと頬が緩むのを感じつつ、彼の目当ての腕時計を見せてやった。

「ああ…10時くらいかな」

「まだそれだけかよ」

燐が駄々をこねるように足をばたつかせる。

(小学生の時にこういう子、いたよなあ、兄さんの方がずっと可愛いんだけど。)

顔がどんなに微笑んでいても、雪男のその内面は救い様が無いくらいに馬鹿だった。

「兄さん子供みたい」

「なっ…子供はお前だろ?いきなり海が見たいからって北海道行きたいとかさ。しかも鍵じゃなくてわざわざ電車使うし」

「寝台列車だよ、一度乗ってみたかったんだ」

「ふーん?」


納得はしていない顔だったが、雪男は構わずバッグから冷やしみかんを取り出し、隣にあった首筋に何の前触れもなくくっつけた。

「ひあ!?」

「ふふ、予想通り。はい兄さん、あげる」

「ふつーに渡せよ!って、なんでこの蜜柑凍ってんだ?」

「そういうものなんだって。美味しいよ?」

手元の一つを食べさせてやると、黙って咀嚼し始めた。しばらくして飲み込むと、燐が雪男に向かって口を開く。

「もーいっこ」

「自分でやりなよ」

「雪男のがいいんだ」

何気ない一言。だがそれだけで容易に雪男の内心は掻き回される。
ああくそ。

「……反則…」

「ん?何か言ったか?とにかく早くみかんくれよ」

「はいはい」

開いている口に放り込む。気に入ったらしい。冷やしただけで美味いなんて不思議だよな、と燐が笑った。

「他にも色々買ったんだ、柿ピーとかアイスとかチョコとか…あ、ジュース飲む?」

「買い過ぎだろ。カルピスくれ」
「はい。楽しくなっちゃって。あと、そのうち車内販売が来るみたい」

「…はしゃいでる雪男が可愛い」

「可愛いのは兄さんでしょ、はい、みかん」

「あー…ん」

みかんをやると燐は静かになる。その様がツボに入ってしまってしばらく食べさせてやった。さながら餌付けの様だとは言わない。
雪男の手にあったみかんを食べ終えると、燐は漸く手元のみかんを剥き始めた。

「雪男、あーん」

「ありがとう」

お礼を言って、差し出されたみかんを、指先ごと口に含む。小さく息を呑むのが分かって、内心でほくそ笑み、軽いリップ音を立てて口を離す。そのまま顔を見れば真っ赤になった可愛らしい恋人がいた。
睨む様に照れた顔に、ふるふると震える体。全て自分のものなのだと自覚したらどうしようもなくにやけた。回した腕でそっと抱き寄せ、良い匂いのする髪に顔を埋める。

「仕返し」

「なんのだよ!離せー」

「やだ、もう少しこのままがいい……ね?」

「…仕方ねーな」

がたりと、列車が揺れる。回された腕が強くなる。言葉はない。ただ、互いにゆっくりと目を閉じた。



旅路

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