忘れたとは言わせない


「おい燐、冗談、やめろ」

「はあ?なんだよそんな怖い顔して」

「……っ、まじかよ」

遠く、ここじゃない遠く。
兄さんとシュラさんが話してる。
勝呂くんが殴り掛かろうとするのを志摩くんと三輪くんが止めている。
神木さんが顔を伏せていて、しえみさんはどうしていいか分からなくなっている。

「お前ら、俺そんな変な事言ったか?」

「変もなにも!」

「坊、落ち着いて!」

ああ、僕はそこにいるのか。
―――――いる、のか。

「こん人は!」

「勝呂くん」僕は言う。「大丈夫です」

「先生、嘘、いうてます」

「そんなこと無いですよ」

そう、僕は大丈夫。
大丈夫だから、笑え。出来る限り笑え。取り繕え。悲しみは微塵も出すな。辛くなんか無いだろ。忘れてるなんてどうでもいい。だって、兄さんが、居るんだから。
十分じゃないか。

「雪男です。あなたの、双子の弟です」

「……は?」

「忘れてしまった様ですが」

「…そうか」

納得される。
意外――だった。

「疑わないんですか?」

「勝呂とシュラがこうだしマジなんだろ。…悪いな」

兄さんはそれでも不思議そうに僕を眺める。
それからぐしゃっと顔を歪めて、呟いた。

「なんか、寂しい」

どうして泣きそうな顔をしているのだろうか。泣きたいのはこっちなのに。
どうして。
あなたが、泣く、必要が。

「雪男」

シュラさん。

「メフィストが中で説明する。お前らもだ」僕らに理事長室を顎で差す。「燐は検査な」

「俺、なんとも無いんだけど」

「見た目から変わっておいて何言ってんだ、ほら、来い」

猫を掴む様にして、兄さんを引きずり、去って行った。しん、と静まる廊下。

「行きましょう」

誰も、何も言わなくて、そんな彼らの優しさが痛い。
兄さんが開けた手前の扉をくぐり、奥の扉の前に立つと、ひとりでに開きはじめる。
フェレス卿は、笑っていた。

「状況は大体分かった様ですね?…好ましくは、無いでしょうが」

「兄が帰ってきただけで、僕は十分ですよ」

しえみさんが口を開きかけるのを制して言う。
今度は、嘘じゃない。

「一年も、絶望の中に居たんですから」

「驚きました…お強いですね。では、あなた方が疑問に思っている幾つかに答えるとしましょう」

長くなりますから、とフェレス卿はソファーを勧め、僕達が全員席に着いた所で、彼は勝手に話しはじめる。

「奥村くんからの報告で、サタンの消滅が正式に確認されました」

「だから、サタンの体の一部とされていた炎が無くなったのね」

「流石は聡明な神木さん。今の彼は人間です。検査結果を待たないと詳しくは判りませんが、十中八九、間違いはないでしょう…さて、これ以外に質問があれば受付けます」

「…どうして、記憶喪失になったんですか」

僕が言ったのではなかった。僕は、聞けなかった。
しえみさんだった。

「雪ちゃんだけを、よりによって、雪ちゃんを…っ」

彼女は涙を堪えていた。
よりによって、僕を、忘れた。
思わなかった訳じゃない。

「私のこと、忘れればよかったのに」

「違いますよ」

「雪、ちゃ…」

「僕で、いいんです」

兄さんはきっと。

「僕を、忘れたかったんです」

僕から逃げたかったんだ。
心当たりはある。
口に出す事はしないけれど。

「だから、そんな悲しいこと言わないで下さい」

しえみさんは俯いてしまった。

「記憶喪失の件はつい先程に分かった事なので…情けない話、何も分からないのが現状です」

「そうですか」

妙に、淡白な物言いになった。
帰ろう。兄さんが来てもいいように、部屋を片付けなければ。
ソファーから腰をあげる。

「検査が終わったら兄さんを寮まで送ってくれますか」

「いいんですか?」

「クロも居ますし、前と同じ生活したら元に戻るかなって」

「………シュラにそう伝えておきましょう」

「よろしくお願いします。…皆さんも」

僕は、部屋を後にした。
それから、寮に戻るため、来た時に繋げたままにしている扉に歩く。
なんでだろう。
一歩踏み出す度に、涙が溢れる。
なんでだろう。
十分なんかじゃない。
十分どころか、十二分だ。
だから、泣く必要なんてないのに。
泣く資格なんてないのに。

「醜いな…」

汚い、汚らわしい。
そんな人が兄さんの傍に居ていい訳など、毛先程も、無い。
"ゆ、きお、"
無い。

「―――ああくそっ」

バンッ。

気が付けば壁に拳を殴りつけていた。血が少し滲む。

「帰らないと」

今、僕は幸せだ。
死にたいくらい幸せだ。
いっそ、死んだ方がいいのかも知れないけれど。



兄さんが帰ってきたのは昼下がり。扉からではなく、シュラさんに連れられて寮の正面からだった。

「うわ、更に古臭くなってんじゃねーか…」

見上げてうんざりとする兄さんは変わってない。

「それでも快適ですよ、この前冷房も入れましたし」

「あ」

僕に気が付いた途端気まずそうな顔をする。にこりと笑ってやることにした。

「雪男、って呼んで下さい。前もそうでしたから」

「お、おう」

「シュラさん、ありがとうございました」

「お礼は三倍返しでいいからにゃー」

スルーで。
兄さんに向き直る。

「じゃあ行きましょうか、寮の中は覚えてますか?」

「いちおー…お!」

「?」

「ニャー」

「クロ!」

クロは、これでもかと尻尾を振って駆け寄って来ると、兄さんの腕に飛び込んだ。
何を話しているのかは分からないが、一匹と一人はとても楽しそうだ。
楽しそうなんだけど…段々クロが嬉しくてテンション上がってるような。気が。

「ストップ、クロ、大きくなっちゃ駄目だよ」

「別にいいだろ?なー」

「ニャー!」

「あなたは人間なんですから、さすがに前みたいに平気では済まないでしょ」

「う…」

「にゃあ…」


しゅん、となる一匹と一人。
気が付いたらシュラさんは帰っていたし、暑いからどうにかして寮に押し込む。
文句を言っていた兄さんは懐かしいと真っ先に廊下を走り、台所に向かう。転ばないか少し心配になった。
……ん?
なんか、おかしいような気がする。
違和感。

「まあいいか」

どうでもいいことだろう。
台所から弾んだ兄さんの声。

「なあ、お腹すいたからなんか作っていいか?」

すごく昔みたいで、一緒、元に戻った気がした。
気のせいだったけど。






忘れたとは言わせない
(僕に忘れる資格はない)

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