君に呼ばれた気がしたんだ


ちょっと散歩に行くような感じで、兄は姿を消した。
正十字という街から。
僕の傍から。
多分サタンを倒しに行ったのだと思う。
兄さんがいなくなってしばらくして、悪魔の力が弱くなった。
だから、きっと兄さんは倒せた。
でも、兄さんは帰って来なかった。

それから。
丁度一年経った夏の暑い朝。
僕はシュラさんからの電話で起こされた。


ピッ。

「……はい」

「よーっす、雪男、まだ寝てるのかぁ?」

「僕の携帯が間違ってなければ今4時なんですが」

「私の携帯も4時だ。で、今暇?暇だよ…」

「寝てます」

「な」

ピッ。


非常識だ。

僕は塾の仕事を終え、つい一時間前に漸く布団に入ったばかり。シュラさんごときに邪魔は――――ヴーッ、ヴーッ――……
はぁ。


ピッ。

「何切ってんだメガネ!」

「なんですか眠いんですおやすみなさい」

「てめー寝んな、今すぐ本部来い!」

「一応未成年なので飲酒は遠慮します」

「そんなんじゃにゃーな、メフィストの代わりに呼び出してんだ」

「あれ、真面目な話ですか」

「当たり前だろ、私を何だと思ってるんだよ」
――非常識だと思ってます。

ただし、今回は不本意ながら僕に非がある様なので、大人しく詫び、5分で向かう事を約束した。

「5分じゃ無くていいから、塾の奴らも引っ張って来てくれ」

塾の奴ら、というのは恐らく僕の生徒であり同級生である彼ら五人の事なのだろうが、少し、躊躇った。
結構あの人たち、寝起き悪かったりするのが多いから疲れるんだけど。もちろんシュラさんも分かっているはずなのだが……やはり非常識だ、この人。

「眠気覚ましだにゃ」

心を読むな。

「お前わっかりやすいんだもん」

「何の話ですか。では、後で」

ピッ。


さて。

本部に行くのだから、僕は今から割としっかり身支度しないといけない。
…やっぱりみんな呼び出した方が早いよね。
決して、一人一人を訪問するのが面倒臭いと言う訳ではなく。
効率の問題。

メーリングリストから実に事務的な文面で、この寮に来るよう言い、加えて勝呂くんと神木さんにはそれぞれ志摩くんとしえみさんを頼む。
しえみさんが学校に行き、用品店から学生寮に住まいを写したのは兄さんがいなくなる少し前。
置き土産の様な事だと言っていたっけ。
置き土産の意味が分かっていたとは思えないんだけど。

「…推測の域はでない、か」

確かめる術はない。
パタンと僕は携帯を閉じて、身仕度を始めた。
途中でまず、三輪くんが来て、勝呂くんは志摩くんを起こすのに時間がかかると言った。お茶を出して食堂で待って貰い、身仕度を終えたくらいに勝呂くんと眠そうな志摩くん。女性二人はそれから5分後だった。
予想通り、というか少し早いくらいだったのだけど、勝呂くんは納得いかないらしい。

「なんで化粧もせんのにそない遅いんや…」

「え、えと…ごめんなさい」

「あんたには絶対わかんないわよ」

「うわあ、坊、女の子に謝らせるなんて最悪やわ!」

「んな、子猫丸、お前も思うやろ?」

「ええー…女の子には女の子の事情いうもんありますし」

「お前までか!」

決着が着いたところで軽く咳ばらいをすると、静かになった彼らは僕の方に注意を向けた。
そういえばシュラさん、どこに来いとか言ってなかったな……フェレス卿が呼んでるんだから、本部長室でいいか。

「行きましょう」

僕は鍵を使って扉を本部の中の一つに繋ぐ。開けた先に丁度シュラさんが立っていた。
よく分かりましたねなどは言わない。実に、今更。

「うっし、全員揃ってんな。諸君おはよーん」

しえみさんだけがおはようございますと言った。
相変わらず人を見る目のいい面々だ。

シュラさんは寝てんのか?なんて言って、ついて来いと歩き出した。

「あの、先生」

「はい?」

そっと、傍を歩いていた三輪くん。

「僕らなんも知らず集められたんですけど…」

「僕もシュラさんに来いと言われただけです」

「……未成年でも大丈夫ですよね?」

「フェレス卿の指示だそうですか、ら……?」

あれ?
更に不安じゃないか?
僕の内心と同じ様に三輪くんや、話を聞いていたみんなが険しい顔をするが、そのうちに僕らは本部長室に着いてしまった。
着いて、しまった。

「皆さん」

僕はなるべく静かにしかし重たく言う。

「粗相の無いように。ですが…身の危険を感じたら最優先に、逃げて下さい」

こくこく。
よくわからない緊張感が全身を走っていた。
シュラさんがそんな僕らを不思議そうに見ながら本部長室の扉に手をかける。
しかし、彼女は扉引き開くことは出来なかった。
その勢いを越える形で、中から扉が開いたからだ。

飛び出してきたのは一人の人影。


はっと、息を呑む音。
変に上がる声の、音。
体が、飛び上がる音。
僕は―――――無音。
息も、動きも、何もかもを止めて、それを凝視した。

扉に吹っ飛ばされていたシュラさんがゆらりと立ち上がり、その肩を掴み、その名を呼んだ。

「燐!ジッとしてろって言ったろ!」

「だってお前おせーんだもん」


燐。
奥村燐。
僕の、兄さん。
消えたはずの兄さんが目の前にいた。
"人間である"こと以外、一年前と何一つ変わらない兄さんがそこにいた。

「あー…ただいま?」

少し気まずそうに、僕らに言った兄さん。
兄さんが、帰ってきた。


まず動けたのは神木さんだった。悪態を吐きつつも、人間である姿を見て全てを悟った彼女はよかったわね、と言った。

それから、勝呂くんがその頭をいい音で叩き、志摩くんがにこにこと笑った。三輪くんがお疲れ様です、と言うと、おう、と、短く。

しえみさんはその場で泣き崩れてしまい、駆け寄って行く事になった。彼女は絶え絶えに、よかった、よかった、と何度も言った。

そして、僕。
なんと声をかけるべきなのだろうかと、いや、言いたい事は山ほどあるのに、その一つ一つが言葉にできなくて、立っていることしかできず、シュラさんが兄さんの後ろで口元を抑えるほど、豆鉄砲喰らった様な顔をして、後で彼女には覚えていて欲しいのだがそれどころじゃない―――僕。
立ち上がった兄さんが向く。口が開く。幾らでも長く感じられた、瞬間。
「それで、あんたは誰だ?」
目の前が真っ黒になった。
目の前が真っ白になった。







『雪男!』
それは、彼の声。
彼ではない、たった一人―――の、声。






君に呼ばれた気がしたんだ
(気のせいだと思いたいよ)

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