二次方程式の解



「色々、兄がご迷惑をかけたみたいで。すみません」

「もう慣れましたわ。先生も、任務で疲れてはるんですから、養生してくださいね」

「はい。勝呂くんにもよろしくお伝えください」


子猫丸はそう言い残して兄を背負って家路につく弟を見送る。仲が良いだけでは片付けられない兄弟は、誰の付け入る隙もなかった。


「ですってよ、坊」

「聞いとった。…廉造拾いいこか」

「ああー…煩そうですね」

「そう言ってやんなや」


さて、こっちもやることがあると、二人は腰を上げたのだった。






『泣くな雪男、もう大丈夫だから』

『だって、僕のせいで兄さんが怪我しちゃった…』

『悪いのは虐めてた奴だろ?それに、帰ったら雪男が手当てしてくれるし。な?』

『…うん』


小さい頃、雪男を助けた後に燐は彼をおぶって修道院への道を行った。


(今じゃ逆なのにね)


体格も身長も雪男の方が上。相変わらず燐の力は強いが、強いのは雪男も同じで。
ありとあらゆる事があの頃と違う。
兄を好きで好きで仕方ない気持ちも、性質が変わっていて。大きくなる一方。


「…燐」


背中の熱を呼ぶ。いつもと違う呼び方と意味。眠り込んでいるから、届きはしないだろうと踏んでいた。実際、どんなに動かしても起きる気配はなかったのだ。

しかし。


(…んー……?)


うっすらと、燐は意識を取り戻した。今にもまた、眠りに落ちそうな、そんなレベルだが。


「……れん、ぞ…?」


雪男の顔がぴしりと音を立てて固まった。苛立ち。間違いなど無いと分かっていても、生まれる、それ。
だが、雪男は悟られないよう、ゆっくりと間違いに気付いてもらえるよう、応える。


「………兄さん、起きたの?」

「…きお……かー…」

「うん」

(ああ、俺、夢見てるんだ。雪男が帰ってくるなんて有り得ないもんな)


夢にまで見てしまうなんて、自分はどれだけ弟を好きなのだろうか。
ぼんやりとした頭で、それでも幸せだと、嬉しくなる。


「そっかあ……ゆき、…か……きおー…あ、な」

「なあに?」

「おれ、……」

「…兄さん、聞こえないよ」

(あ、夢くらいちゃんと言わないとな、廉造にも悪いもんな)


暖かい背中に顔を埋める。夢の中だけの特権だ。
すー、と一呼吸置いて、小さな深呼吸。


「―――――ゆきお、すき」


じゃり。

足音が高く上がって止まった。
雪男は、一瞬で心拍数が上がるのを感る余裕もなく、様々な言葉と気持ちと結論が頭の中をぐるぐるぐるぐると交差する。


(え、)

「ごめん、な………」


ふわふわと意識が薄れていく燐。次にはもう、夢は醒めているのだろうと、少し残念に思う。

程なくして、規則正しい寝息が聞こえて来た。いつも通りの安らかな寝息。それが更に雪男の混乱を掻き立てる。

好き、と彼は言った。
ごめん、と彼は言った。


(自惚れていいのかな)


今すぐにでも起こして燐を問いただしたい。首を振られてもいい。
だって―――覚悟は決まっている。
それでも起こさないのは何よりも燐が大切だから。

雪男は溜め息をついた。


「本当、兄さんはずるいよ」


全ては、夜が開けて、朝。






結果として、朝一で、燐の意識があるときに問いただすという雪男の目論みは敵わなかった。
雪男は任務から帰って報告もせずに燐を迎えに行ったため(非常階段を使った原因はここにあった)、寮で待ち構えていたシュラに捕まり、報告と検査と説教で本部に翌日の昼過ぎまで閉じ込められていたからだ。


「まさかこの歳で説教されるとは思いませんでした」


一番長かったシュラの説教の後、苦笑しながら雪男は言った。


「それはこっちの台詞だ。んな歳の奴膝詰めで説教するなんて思わなかった」

「すみません」


本当だよ、とシュラは言う。


「燐の事になると駄目になるところ、変わんないよにゃーいや、変わったらそれで気持ち悪いかも」

「褒めてますよね?」

「おう、もちろんだ―――言ったのか?」

「言ってはいません。…でも、言われたかどうか判らなくて」

「ふうん。聞くのはルール違反だかんな」

「はい」

「じゃ、精々振られて来いよ」


不吉な言葉と一緒に雪男は残された。修行部屋。あと数年すれば、20年も慣れ親しんだ場所。
唯一無二の兄を守りたくて。
最愛で何よりも大切な人の為に。

強くなった。


「…帰ろうかな」


帰って、ただいまと言って、それからどう言って切り出そうか。身支度を整えながら、自慢の頭脳で考える。
鍵をさして、寮への扉に繋ぐ。部屋ではなく、玄関を選んだのは無意識か。
キィ、とゆっくり開ければ、真っ先に感じた食欲をそそる香り。


(兄さんの事だから昨晩の事は忘れてるだろうな…多分僕が帰ってきた事も知らないな、クロも寝てたし…)

「よーっし、クロー、飯だぞ」

「僕の分はないの?」

「ゆ、雪男!?」


台所に顔を覗かせたら、驚きの余り燐が落としかけたので皿を取る。野菜炒め。燐は、礼もそこそこに雪男を凝視した。


「やだなあ、幽霊を見るような目しないでよ」

「あ、わりい………昼飯、今から作るからちょっと待ってろ」

「そうだ、兄さん」

「ん?」


言葉は、随分と自然に出た。



「キスしていい?」

「へあ!?」

「ふふ、変な声。ね、駄目?」

「あ、いや、なんでだ?」

「兄さんが好きだから」


はっと燐は息を呑んだ。
それから、ゆっくりゆっくり意味を考えて理解して、段々と頬から顔中を赤らめていく。

その間を雪男は辛抱強く待った。


「…………いい、ぞ」


消え入りそうな声。
いつの間にか燐は泣いていた。泣きながら本当に嬉しそうに笑っていた。
雪男は、そんな燐に壊れ物の様に大切そうに触れて、優しく口づける。
どちらかともなく目をつむって、一緒に開いたらお互いの目が写し合っていた。


「幸せ過ぎて死にそうだ」

「ああ」

「ねえ、兄さん、僕と付き合って下さい」

「…………はい」

「ありがとう」

「雪男」

「なに」

「おかえり」

「…ただいま」








二次方程式の解
(重解)

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